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第16章 戦乱の風 シルーハ蠢動篇(その1)

 シルーハ王国、ティオン市・軍港


 強い陽射しが海面を介して周囲を一層強く照し出し、夏の熱気を含んだ潮風が港の熱気に加わる中、戦艦から身軽に飛び降りたアスファリフは出迎えたティオン市のシルーハ高官達には目もくれず、整列していた兵達の元へと歩み寄った。


「おう、南ではご苦労だったな!今日から一週間は休暇だ、思う存分戦場の垢を落としてこい!金はここに居るティオン市のお歴々持ちだ!」


慌てて自分の元へ駆け寄る高官達を親指で示しながらアスファリフはそう言い放つと、最後兵達に短く告げた。


「解散!遊びまくってこい!!3日は帰ってくるんじゃ無いぞ!」


 うおおっ


 アスファリフの言葉に喜び勇んだ兵達がたちまち蜘蛛の子を散らすような勢いで港から駆け出し、歓楽街へと一目散に向かうと、苦虫をかみ潰したような顔をしているティオン市の高官達へと向き直るアスファリフ。


「と、言うことで、後は宜しく」

「将軍!勝手をされては困る!」


 軽く言葉を放ったアスファリフに、苦い顔で高官の1人が文句を言うと、アスファリフはきょとんとした顔で聞き返した。


「勝手?」

「そうだ、貴殿にはこれから帝国侵攻という大事な役目が待っておるだろう!」


 別の高官が言うと、アスファリフは肩をすくめて苦笑いを浮かべる。


「おいおい、俺は仕事を終えたばかりだ、仕事の後は休め、だぞ?」

「…貴殿…」


 なおも何か文句を言い募ろうとした高官を手で制し、アスファリフはややキツイ口調で言葉を返した。


「じゃあ、言い方を変えようか…契約で作戦や戦術、俺のやり方については口を挟まない事になっていただろう?契約はどうした?」

「うっ……契約は絶対だ」


 高官達が怯んで口をつぐむ。

 それを見てアスファリフはにっと笑みを浮かべ、明るく言った。


「分かっているんなら五月蠅いことを言うなって。仕事はきっちりやってやる、それが契約だ」

「分かった…」


 苦々しい表情の高官達に、苦笑を返すアスファリフが、徐に口を開いた。


「心配する事は無いぞ?既に仕込みは色々やってある。後はその仕込みが上手くいったことを確認してから作戦決行だ、じゃ、後は頼んだ!」

「ま、待て…その仕込みとは…」


 呆気に取られる高官達を後に、アスファリフは満面の笑顔で歓楽街へと向かうのだった。





 帝国東部国境、ユリアルス城最深部・開かずの間


 シルーハとの最前線であるユリアルス城の最深部には、俗に開かずの間と呼ばれる部屋がある。

 城主である第3軍団長やその上級幹部である千人隊長級の将官以外は立ち入れないその開かずの間に、人の声が響いていた。


「リキニウス将軍、あなたはこのような場所で永遠の時を無為に過ごすおつもりですか?」

『使者よ、何が言いたい?それは仕方ないだろう、私はこの地に守護役として縛られ、毎年帝国皇帝から任命式に名を借りた呪いで今も縛られ続けているのだ。今の皇族が根絶やしにされるか、帝国が完全に滅びでもしない限り私の呪いは解けない』


 くぐもった声を出し、闇から浮き上がったのは、かなり古い帝国の鎧兜を身に着けている壮年の筋骨逞しい男であるが、既にその命が無い事は透けた身体を見れば一目瞭然であった。

 その前に跪く浅黒い肌をしたシルーハ人の男が言葉を継ぐ。


「…あなたを昇天させる術があると言えばどうしますか?」

『…帝国に攻め入るのか?それで私が邪魔なのだろう?はっきり言ってはどうだ』


 使者の質問に答えず、100年前の帝国英雄、豪腕将軍リキニウスは厳しく使者を睨み付けた。

 だが使者はリキニウスの言葉やその様子に動じた様子もなく言葉を継ぐ。


「…そうです、あなたさえいなければ…いや、あなたがここを打ち破ってくれさえすれば、私たちは帝国貴族との協約に従い東部諸州を占拠出来るのです」

『なんと、誇り高き帝国貴族が貴様らの手引きをしたのか?』

「そうです、ルシーリウスという名をご記憶ですか?」

『…信じられぬ』


 帝国筆頭貴族の名が出たことで驚愕の様子を浮かべるリキニウスに使者が淡々と応じる。


「では、何故私たちがこの場所を知ったのでしょうかね?何故易々とこの城の最深部まで来ることが出来たのでしょうか?」

『途中で気配が減ったと思わば…手引きしている者がいたわけか…』


 使者の言葉に、しばし考えるリキニウスであったが、手引きしている者がいるということ以外にも思い当たることが無かったわけでは無い。

 この地に縛られ続けているとは言え、外部からの情報は得ることが出来る。

 帝国兵達の噂話、愚痴、世間話、軍団長らの報告、城を通る商人達の会話、間諜の自白。

 それらを聞くことが出来るリキニウスが感じたのは、ここ数年、特に数十年ほどで腐敗し悪化した帝国貴族の質とおかしくなった帝国そのもの。

 そしてそれを阻止していたはずの帝国皇帝が力を失い、市民が疲弊しているという事実。

 更にここへ現われたこの曲者は、帝国貴族の筆頭であり、本来では帝国皇帝を助け、市民との融和を図らなければならない貴族のルシーリウスが自分と会わせる手引きをしたという。

 リキニウスが100年この地を守って初めての事態である。


『うぬっ…』

「そう言うことです、これを見た事がおありですか?」


悔しそうなうめきを漏らしたリキニウスにすかさず使者が懐から一振りの短剣を取り出して見せた。

 その手にあるのはルシーリウス家の家紋と家名が刻まれた帝国風の短剣。


『………』


 絶句するリキニウスに、使者がにんまりと笑みを浮かべ、短剣をそのままに口を開いた。


「あなたは確かに東部派遣軍総司令官となって東照の攻撃を防ぐよう命じられはした。そして力の限り戦って東照の大軍を破り、あなたは名誉ある戦死をした。しかしその結果与えられた今の状態はあなたが望んだものでは無かったはずです」

『私の任務は果たされていない…それは確かだ』


 辛うじてそう返すリキニウスに、言葉を被せるように使者が言い募る、


「東部諸国の併合ですか?しかしそれは戦死した者に課すべき事ですか?残されたあなたの家族はどうなったのですか?一族は招魂祭であなたが一切現れないのをどう思っておられるでしょうな…よもや真実は不名誉な結果に終わったのでは、と…思っておられる方もいらっしゃる事でしょう」

『不名誉など一切無い!』


 思わず怒鳴るリキニウスに、使者は少し間を置いてから語りかけた。


「そうでしょうとも、ですからあなたを解放して差し上げます。どうぞこの城と帝国兵を打ち破って下さい。そうすればこの薄暗い山間の城に縛られ続けることも無くあなたは昇天出来る、一族に会うことも叶うでしょう。心配いりません、我々は帝国を滅ぼすことは毛頭考えていません。東部諸州を押さえて交易路を確保するのが望みです。我々に帝国を滅ぼしきる力はありませんからね」


 使者の言葉に、腕を組み目をつぶったリキニウスがしばし口を引き結んで黙り込む。

 そして徐に禍々しいものを帯びた目を開け、口を開いた。


『…よかろう…100年、100年尽くした…もうよかろう…』

「おお、では?」


 喜色も露わな使者に、リキニウスは額にしわを寄せて答えた。

 約束を違えれば縊り殺してやれば済む話だ。


『第3軍団は任せておけ…しかし、くれぐれも昇天の件、違えるな』

「もちろんですとも」


 



 シルーハ王国北部の街、ルグーサ


シルーハ風の丸屋根に尖端や丸味を強調した装飾が施された建築物が建ち並ぶ街並み。

 気候的にはクリフォナムとそう変わらないのだが、建っている建物や歩いている人の衣服が違うだけで相当な異国情緒が漂っている。

 本来日干し煉瓦を主な建材として作られるシルーハの建築物であるが、ここはセトリア内海やクリフォナム地域に類する気候地帯である為、シルーハが発祥した地域より雨が多く、建材は主に大理石で、部分部分に切り出された石材が使用されていた。

 道行く人の衣服もシルーハ風のゆったりした白っぽい麻や木綿の衣服であるが、やはり気候的な理由から本国の人々が着用する物よりも厚手であるようだ。

 着ている人々も肌の色はシルーハ人より色白であるので、どこか違和感を覚える光景であった。


 そしてそんな街中を歩くクリフォナム人の一団が居る。


 その先頭を歩くのは、クリフォナムはフリード王子のダンフォード。

 しかしその表情は異国情緒を楽しんでいるとは決して言えない。

護衛に付いているフリードの戦士達はもの珍しそうにあたりを眺めているが、ダンフォードはその様子にも苛立ちを隠せないようで遂に叱責の声を飛ばす。


「おい!もうここへ来て何か月経ったと思ってるんだっ、好い加減になれろ!」

「いやあ…そうは言っても王子…やっぱり珍しいですぜ?」


 フリードの戦士が頭をかきつつ答える。


「くっ…この馬鹿共が…」


 思わずこぼすダンフォードだったが、そんな彼らが付いているからこそ王子面していられるのだと、先程諭されたばかりだったのを思い出して唇をかみしめた。

 わなわなと拳を振るわせるダンフォードの脇の黒い箱から声が響く。


『おい、もうそろそろではないのか?』

「…まだだ」


 憮然としてその声に答えるダンフォードであったが、声は諦めず再び響いた。

『…なにをぐずぐずしているのであるか?早く用意せねば徒歩の我等はシルーハの傭兵将軍の出兵に間に合わなくなるであるぞ』

「分かってる!……もうあまりしゃべるな」


 思わず怒鳴ってしまってから、怪訝な顔をしている戦士達に気が付き慌てて声を落とすダンフォード。

 しかしそれを意に介した様子もなく声は響くのだった。


『…良いから急ぐのである。お主が馬は嫌だと抜かすから、仕方なくシルーハから歩兵を貰ったのである。早めに用意するが良いのである』


 


 ルグーサの与えられた館に戻ったダンフォードは、アルトリウスの首が入った箱を机に置くと、ドサリと力なく椅子に座った。

 シルーハの将官達から招かれ、勇んで軍議に参加したダンフォードだったが、その結果ははかばかしくない。

 亡命こそ受け入れられたものの、クリフォナムの地における復権の後押しをしきりに願い出るダンフォードを持て余し気味のシルーハ側は、今まで言を左右にしてダンフォードの要望に応じてこなかった。

 シルーハとしてみれば、商品や交易路の関係において商売敵であるとは言え、蛮族が跋扈する不安定な地域が一応の安定をしているのであるから、治安面においてシレンティウム同盟はかなり評価されている。

 それに加えて新たな市場として有望である為、目端の利いた商人達はシレンティウムへ出向き始めてもいるのだ。

 シルーハの麻や木綿などの繊維製品、小麦、それに青銅や金貨、象牙がシレンティウムへ持ち込まれ、逆にシレンティウムからは大麦、硫黄、銅、乾し肉、乳製品などがシルーハへもたらされている。

 紙を始めとする帝国への輸出物品、東照物品の交易や交易路については摩擦があるものの、シルーハとシレンティウムは正式な外交関係こそ無いが商業交易については概ね良好な関係にあった。

 そこへ舞い込んできたのがダンフォードとにわか騎兵の面々である。

 当初戸惑いの色を隠せないシルーハであったが、亡命の申し出にはダンフォードに今後使い道があると考えたアスファリフが受け入れ、ここルグーサに住まわせたのだ。

 そしてしばらく飼い殺し状態が続いていたが、ここに来てようやく声が掛かったのである。


 しかし、その結果は悪いモノであった。


「…たったあれだけで何が出来ると言うんだ…」

『…渋ちんのシルーハが南方歩兵を1万も用意してくれたのであるぞ?…まあ、奴ら召集兵であるが故に腹は据わっておらぬし、根性も無いが…』

「…それで、そんな連中でシレンティウム同盟領へ雪崩れ込めと言いやがったんだぞ!あの傭兵野郎っ無理に決まってる!!」


 シルーハは伝統的に騎兵中心の軍制で歩兵は強くないし、また養成もしていない。

 市民による志願兵中心で士気や練度の高い西方帝国に比べ、シルーハの歩兵は無産市民や小作農民達が招集されて編制されるため、やる気も無い上に訓練も行き届いているとは言い難い。

 戦争がある度に招集され、簡素な丸盾と槍だけを装備したシルーハの歩兵達は一般的に南方歩兵と呼ばれ、弱いながらもシルーハ歩兵の中核を担っている。

 その南方歩兵が1万余り招集され、ダンフォードに預けられることになったのだ。


『要は工夫次第である』

「……お前、好い加減なことばっかり言ってっ!どうやって1万ちょっとの軟弱歩兵であのシレンティウム軍を破るって言うんだ!!」


 アルトリウスの言葉に、絶望感漂うダンフォードが噛み付いた。

 戦士としての矜持も意思もなく、技能も無い、その余りに哀れな元農民達を前にして、ダンフォードはクリフォナムの徒歩戦士とは余りに成り立ちが違い過ぎることに絶句したのである。

 しかしアルトリウスは冷静な声を響かせてダンフォードを諭した。


『我等の役目はあくまで陽動と牽制である、それを忘れなければやりようはある。我等が役目を果たせれば帝国も、辺境護民官もあの傭兵将軍が滅ぼしてくれようぞ』

「…随分あいつを、アスファリフを買っているな…家移りすればどうだ?」


 アルトリウスの言葉に拗ねた声を出すダンフォードであったが、それについてアルトリウスは揶揄すること無く普通に答えた。


『ああ?それは無理なのである』

「どうしてだ?呪いのせいか?」


 てっきり皮肉が返ってくると思っていたダンフォードがいささか面食らい気味に問い返すと、アルトリウスはきっぱりと言い切った。


『いや、我はあ奴を好かんのである』

「……は?」


 アルトリウスの言葉に絶句するダンフォードであったが、続いた言葉にげんなりする。


『あのようないかにも女にもてそうなスカシ野郎は我の敵であるっ。我はスカシ野郎と芋虫は此の世で一番嫌いなのである。芋虫かスカシ野郎かと問われれば、一晩悩む自信があるのである!』

「………」


 あきれ顔のダンフォードに気付いているのかいないのか、アルトリウスは口調を改めて言葉を継いだ。


『それに…我の好き嫌いの問題だけでは無いぞ?我があ奴の手に渡らば、お主はお役ご免で切り捨てられよう。今回の陽動とて、まともな者であれば受けもせぬし、受けたところで全うは出来ん。我と我の知恵があってこそ成せる作戦である、故に我の献策を軍議で提案したお主が一目置かれたのである。もしお主の献策のからくりが我であると分かれば、お主は我を取り上げられて暗殺である。フリードの廃王子など、王位を正規に継いでしまったアキルシウスが居る限り、それ程利用価値は無い』

「あいつは偽王だ…」

『と、言っておるのはお主ら一部だけよ、現実はそうでは無い』


 ダンフォードがぼそりとこぼした言葉を今度は揶揄するアルトリウス。

 案の定我慢出来ずにダンフォードはがたりと椅子から立ち上がり、アルトリウスの首が載った机を力一杯叩き叫んだ。


「…うるさいっ黙れ!誰が何を言おうと王は俺だっ俺なんだっ!」 

『……やれやれ、また疳の虫が起きたか…まあよい、そうなるよう努力しようでは無いか、ここまで来たのなら家移りなどせず最後まで面倒を見てやるのである…そして、最後は帝国を滅ぼすのである』



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