和洋折衷幽閉生活のすゝめ
とある尼僧院で、老女が亡くなった。もう何十年もその尼僧院で暮らしていた老女だった。
老女が亡くなった半年ほどしたある日、彼女に花を手向けたいという若者が現れた。
仲間たちは驚いたが、若者の立ち入りを許可して話を聞いた。
「あの人はずいぶんと若い時分からこの尼僧院にいてね。あたしが来た時には、もういたよ。そうか、やっぱりあの人、貴族のお嬢様だったのか。そうじゃないかって、あたしら皆で話してたんだよ。
なんていうかあの人、楽しそうに大声で笑ったり、祭で踊ったり、おいしいものを嬉しそうに食べてる時でもさ、なんか……、あたしらとは違ったんだよね。いつでも両膝をきちんと揃えて背筋をピンと伸ばしてさ。気品っていうか、威厳っていうか。そんなものがあったんだ。教養も深かった。
ほら、昔、先の王妃殿下がお亡くなりになった時にね、そうか若い人は知らないか。とにかくその時にね。そりゃ、あたしらだって悲しかったよ、今の国王陛下をお産みになった、「慈愛の王妃殿下」だもんね、でもいくら王家の方々を敬愛するって言ってもさ、あたしらみたいな庶民には雲の上の方だ。親しい人が亡くなった時とはわけが違う。
それなのにね、あの人の悲しみ方は、まるで身内を亡くした時みたいだった。人前で涙を流したりしはしなかったけど、そういうのってわかるじゃないか。だからあの人の悲しみようを見た時、「おや?」と思ったんだ。この人、もしかすると貴族の出なんじゃないかって。それも、前の王妃殿下に近しいくらい高貴な。
この尼僧院で暮らしてるんだからさ、確かにみんな庶民の中では小金持ちだよ、ここはそれなりに金がかかるからね。質素な暮らしだけど、老人が世話をしてもらいながら暮らしていくには金がかかるものさ。だからここは商家の後家とか、独り者とかが多い。でもお貴族様なんていやしない。貴族の方々は、専用の修道院なり施設なりがあるじゃないか。ここに入るだけの金を持ってる貴族なら、わざわざ庶民に混じって暮らさなくても、そういう貴族ばかりのところに行くものさ。逆に貴族でも貧乏ならここには来れないし。だからここには貴族はいない。
それなのに、あの人はわざわざここに来た。そして、あたしたちと楽しく暮らしてた。それだけでも、あの人がどんな人だか、わかるだろ?
明るくて、お茶目で、ちょっとズレてて上品な、そんな人だった。あの人が亡くなった時は、皆で泣いたものさ。葬式には、外からは誰も来なかったし、身寄りはいないと言ってたから、あたしらだけで送ったんだ。あの人の墓には、今でも花が絶えない。みんなに慕われて、愛されてた。このあたしでさえ、一目置いてた。言っておくけど、これでもあたしは、国内一の財閥を一代で大きくした立役者なんだよ、女傑と呼ばれていたものさ。それでも、あの人みたいな女性には、お目にかかったことはない。稀有な存在だったのさ。
病没された王太子殿下?もう五十年くらい前の話じゃないか。覚えてるよ、確か結婚間近の婚約者様を残して突然、亡くなったんだったね。……ってまさか、あのひとがその婚約者様!?……そうかい、確か、ずいぶんと苦労をされた方じゃなかったかい?そうだったのかい。あの人が。
あまり驚いてないって?そりゃあね、あの人なら違和感ないというか納得できるというか。まさかそんな大物とは思わなかったけど、時折出る言葉遣いとか物腰とか見てりゃ、貴族の中でも上等な部類の人だったんじゃなかろうかって思ってたさ。もちろん、詮索なんかしなかったしあの人も過去についてはほとんど口を閉ざしてた。
そうかい、あの人も、王太子殿下が突然病没されなければ、「妃殿下」と呼ばれる身の上だったわけだ。不運だったね。
え、病没じゃない?じゃなんで。婚約破棄?王太子殿下があの人を?なんでまた。あの人ならば素晴らしい王妃になられただろうに。
真実の……愛?なんだいそれは。流行りの黄表紙かい?え?現在も療養中の前王太子妃様?ちょっと待った、あの人が王太子の婚約者だったんだろう?他の人と結婚したのかい?そんなこと庶民には全く知られていないよ、どうなってるんだ。
つまりなんだい、その前王太子妃様とやらは昔、王太子様と恋仲になって、婚約者だったあの人を追い落として王太子妃になったってわけか。それが真実の愛とは、「二の句が継げない」とはこのことだね、まさしく。
けど幽閉されているってことは、略奪婚だけじゃなくて、なにが悪どいことでもしたんだろう?
冤罪?あの人にかい?あの人が悪事を働いたって?まさか。そんな嘘であの人は王都を追放されたのかい?酷い話じゃないか。王太子はなにをやっていたんだい、婚約者を貶められて。え?王太子もグル?しかも自分たちの罪をあの人になすりつけた!?それがバレて第一王子殿下は「病没」、妃殿下は幽閉ってことか。現在の国王様は元々、第二王子様だったね。そういうことがあったのか。そりゃ、庶民に知らせないはずだ。
でもそれなら、冤罪がわかった時に、あの人を王都に戻してやっても良さそうなものじゃないか。ええっ、結婚?結婚させられてたって、誰とだよ。辺境伯?先代の?ええっ、先々代!?あの人よりずいぶんと年上じゃないか。三十近く違うのじゃないかい?先々代の子供たちでも、あの人より年上だよ。結婚してしまっていたから王都には戻せなかったってか。そりゃ、そうかもしれないけどさ、どう考えても、あの人が望んで嫁いで行ったわけじゃなさそうじゃないか。
それでも、辺境伯様たちがあの人を大切にしてくれたんなら歳の差には目を瞑るけどさ。……そうじゃなかった?そうかい、今更だけど、あたしゃ、ウチの店と辺境との商売を見直させることにするよ。それで、その辺境伯のジジイが亡くなったから、ここへやってきて暮らしていたっていうことだったのか。
で、あんたは?ずいぶん若いけど、あの人のゆかりの人かい?孫?あの人の?そうか、時々孤児院の子たちを見ては涙ぐんでいたことがあったから、事情を聞いたらしんみりと、生き別れた子供がいるって言っていたよ。子供と引き離されてここで暮らすことになったって。古い手紙が大切にとってあったよ。で、あんたの親御さんは?あの人の墓参りくらいしてもいいじゃないか。仕事に追われてる?そりゃ大変だけど仕事があるのはいいことなんだよ。
それにしても、あの人も波乱の人生だったんだね。でもね、あの人、決して不幸じゃなかった。こんな尼僧院に長年いても、幸せそうに暮らしてた。教養があったから孤児院の子供たちをずっと教えていて、親子三代で教えてもらったなんて家族もいたくらいさ。周りに慕われて、私らと笑ったり泣いたりしながら暮らしてた。王妃様みたいな豪奢な暮らしじゃないけど、きっと自らの婚約者を冤罪で陥れるような男と結婚していたより、ずっと幸せだったさ。
あの人の遺品を皆で大切に管理しているんだ。慎ましやかなものばかりだし数も多くないけど見ていくかい?
ど、どうしたんだい、急に泣き出さないでおくれよ、あたしらが虐めてるみたいじゃないか。
ん?あの人がここに幽閉されて惨めに暮らしていると教えられた?誰だい、そんなこと言ったのは。で、今度結婚するから、自分の親を捨てた祖母とはどんな悪女かと気になって訪ねてきた?……あのねぇ。あの人をよく知るあたしらが断言するよ、そんなわけないさ、あんたの婆ちゃんは、情の厚い、誠実な人間だったんだ。ほら泣き止んで。嘘を信じ込まされていたことを謝りたいなら、その花を手向けてやって、幸せに暮らしていることを報告してやりなよ。絶対に喜ぶよ。目に浮かぶようだよ、あの人の笑顔が。……やだねえ、年寄りを泣かすもんじゃないよ。
へえ、親御さんは家を出て職人になったのかい。辺境伯の血筋でも、年取ってからの後妻の子なら、むしろ独立を奨励されたんだろう。よくある話さ。で、あんたは嫁さんの実家の商売を手伝うのか。薬師?いいじゃないか。王都に店があるんなら、ウチの商家の者たちに贔屓にするように言っておくよ。いやいいんだよ、あの人の孫ならあたしらにだって孫みたいなもんだ、婆ちゃんがたくさんできたと思って、嫁さんやら子供やらを見せにおいでよ。せっかちだって?そりゃ、残り時間が少ない連中ばかりなんだ、仕方がないじゃないか。
結婚式!?ここで?……そりゃ、全員腕まくりして準備させてもらうよ、いろんな職業やツテを持ってる者が大勢いるからね。でもいいのかい?まずは嫁さんに相談しないと。え、彼女ならそうしたいと言うだろうって?やだね、ノロケかい?それでもきちんと承諾をもらってからだ。もちろん、ここで式を挙げてくれるんなら、豪華じゃなくても心に残る式にしてやるよ、全力でね!ここは幽閉先なんかじゃなくて、あの人の楽天地なんだからさ。
そうそう、幽閉で思い出したけど、前王太子妃様、あの人から婚約者を略奪した、それこそ幽閉されてるっていう……。その人は今、どんな暮らしをしてるのか、興味あるね。まさか、あんたらに嫌がらせができるような環境じゃないだろうね。ちょっくら調べてみようかね」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。