8-2
車が家の前で止まり、駆動音が止まる。彼が車から降り、私の横のドアを開けた。
大きな手が伸び、強く私の腕を掴む。
その手から伝わる彼の怒り。
引き摺り出すように引かれ、ドアを閉める間も与えてくれずに家へ向かった。
温かくてホッとする筈の家。
だけど、私は今、入りたくなかった。説教されるのが分かってるから……。
リビングへ向かうと、急に腕が痛いほど強い力で引かれた。
バランスが崩れて傾く私の身体は、ソファに倒れ込む。硬めのソファは、身体の衝撃を吸収をしてくれた。
腰から倒れ込んでしまったので、少し腰が痛かった。
その痛みも感じさせることもないぐらい、張り詰めた空気が心臓をキュッと締めてくる。
身体を起こして、彼を見上げた。
ジンが腕を組み、静かに私を見下ろしている。
その赤い瞳は、いつもより深く燃えていた。
──こんな彼を、初めて見るかもしれない。
謝ろうと口を開いた。
しかし、あまり怒らない彼がこんなに怒っているのだから、「ごめん」の一言は安っぽいだろう。
何を言えば火に油を注がないで彼と話が出来るだろうか。
「ジン……」
考えて絞り出した言葉が、彼の名前だ。
「…………」
彼は口を開いてくれない。
固く口を閉ざす彼は、本人がそういうつもりがなくとも、私には圧を感じる。彼は今何を思っているんだろう。
どうして怒っているのかだけでも聞きたい。
秒を刻む針の音だけが響く。
私は身を恐縮させたまま、ジンが口を開いてくれるまで待つ。
これじゃ、ヘビに睨まれたカエルだ。
どれだけ時間が経ったか。
彼がようやく、重たそうに口を開いてくれた。
「俺が助けに来なかったら、どうしていた」
彼の声は低く、枯れた音が喉の奥で震えた。
それでも、音がはっきりと耳に届く。
「それは、もう、ボコボコに……」
「それが出来るなら、抵抗すれば良かっただろ」
「ごめんなさい。ジンに甘えてて……」
目が合わせられなくて、視線が床を彷徨った。
「あいつらだって一応は暗殺者だぞ。いくら仲間とは言え、あの場面で刺された可能性だってあったんだ」
「はい……」
まだ私の居場所が分かる所だったから良かったけど、ジンが気付かない場所だった可能性もある。
彼の言うことが正しくて、ぐうの音が出ない。
「いつお前が発作を起こるのかが分からないのに……」
私から視線逸らし、唇の奥で何かを押し殺すように呟く。
それが、彼の一番の怒りの発端に聞こえた。
私を心配しての怒り。その優しさを利用してしまったかのようで胸が苦しくなる。
「ジン、ごめんなさい……」
まだ彼の顔を見れない。
声を押し出して謝ったものの、許してはくれないかもしれない。
次の言葉を待っていると、ジンが一歩、木の床を軋ませた。
遂に我慢に耐えられなくなったのかと思って、膝の上に乗せた手に拳を作って身構える。
視界の端で、彼の足が入る。そして衣擦れの音と共に、頭上に気配を感じた。
──叩かれる。
ぎゅっと目を瞑ると、そっと私の頭に何かが乗っかる感触がした。
……痛くない。
優しい重みだけがある。
そこでようやく顔を上げることが出来た。
彼の手が私の頭に伸びている。その手が、私の頭の形に合わせて動かされた。
彼の腕の奥で、少し口角を上げる彼。
その目には、さっきまでの燃えるような深い赤みが消え、威圧というものも消えて柔らかくなっていた。
さっきまで張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ気がする。
「もうあいつらに関わるなよ」
ジンは長い脚の膝を折り、私に目線を合わせてくる。
頭が軽くなり、次は私の手首に触れられた。
そこには彼の手と同じ大きさに赤くなってしまった跡、手の甲には木の皮で擦れて線状に腫れてしまっていた。
その痕の両方を、優しく親指の腹でさすられる。
少しくすぐったい。
「俺も乱暴にして悪かったな。あの状態で発作が起きたらと思ったのと、お前が危険な目に遭っていると思ったら、居ても立っても居られなくて感情的になってしまった」
「ううん、私が悪いの。ジンは謝らないで」
私は、彼の手に反対の手で覆った。
私の手じゃ彼の大きな手は覆いきれないけど、これで仲直り出来たってことで良いだろう。
ふと、自分の指先が僅かに震えている事に気付いた。ジンの手から少し浮かせて見ると、自分の手はピタリと止まる。
もう一度彼の手に触れると、また振動を感じる。
まさか震えているのは、ジンの手?
彼の手の震えを感じる。まるで緊張が解けた時みたい。
「気をつけろよ。もう、本当に……」
弱々しく呟く彼。
任務の時には震えなんてものはない彼なのに、この度、震えが起きるほど不安にさせてしまった。
もう二度と同じ事が起きないようにすると、心に誓った反面、私を心配してくれている気持ちが、心のどこかで嬉しさを感じている。
「また、私を助けてくれる?」
恐る恐る、冗談も交えて聞いてみた。
ジンは私の目を見て頷く。
「当たり前だろ。相棒が助けを求めて駆けつけないわけがない」
こうしてまた、いつもの私達に戻れた気がした。
前回のお金に関する事もそうだけど、何度もジンと揉めたことがある。
しかし、こうしていつの間にか仲直りが出来ている。
それが私達の良さであり、私達らしさだった。




