5.
時は過ぎ、あっという間に入院生活一ヶ月が経った。
今のところ発作は起きていなくて、心電図も徐々に安定してきているのが分かった。
家に帰っても良い状態ではあるみたいだけど、突発な発作に対応できるように、もう暫く入院生活を強いられる。
入院中、ジンは毎日お見舞いに来てくれた。
任務がない日は、面会時間のギリギリまで居てくれる。
来るたびにお見舞いとして果物を買って来て、大人しく餌付けされる。
果物が大好きなので、今の私は果物食べる為だけに生きてるようなもの。
ちなみに、今日はリンゴだ。
ジンが包丁を持って、手慣れた手つきでリンゴの皮を剥いてくれる。
皮は途切れることなく、螺旋状に伸びていく。
手間が掛かるのに、わざわざ皮を剥いてくれるのが嬉しい。今度仮病使って看病してもらおうかな。
スッポンポンになったリンゴを八等分に切って、お皿に乗せたあと、フォークと一緒に渡してくれた。
一口食べると、シャクっとハリがあるようなみずみずしさがあって美味しい。
シャクシャクシャクシャク。
いい音。
「毎日来てくれてありがたいけど、ここに来て暇じゃないの?」
ジンは椅子に座り、返事もせずに長い足を組んでボーっと私を眺めている。
私を見ているはずなのに、目が合わない。彼の目線が少し下を向いていた。
どうやら、咀嚼で動く私のほっぺを見ているようだ。なんでそんなに見てるんだろう。
話しかけると、彼はゆっくりと瞬きをして、目が合わせられる。
「迷惑だったか?」
少しからかうような口ぶりで話される。
折角時間を割いて来てくれているのに、少し言い方が悪かったかな。私は、すぐに首を横に振った。
「んなわけない。嬉しいよ」
正直ジンがいてくれて助かってる。
暇すぎて発狂しそうな所に、彼が話し相手になってくれるお陰で、時間の経過が少しでも早く感じる。
ジンはお皿に乗ったリンゴを一つ手に取り、一口齧った。
細い顎から飛び出るほっぺが可愛らしい。その膨らみが減って、もう一口齧るとまた膨らんだ。
なんだか、ジンが私のほっぺを見る理由が分かったかもしれない。
ジンがご飯を頬張って食べることがないから、普段見れない光景につい釘付けになってしまう。
「お前はなんでも美味しそうに食べてくれるよな」
「だって美味しいんだもん」
レバーとか、食べ慣れてない物以外だったら好き嫌いはない。
だからどれも、基本的には美味しく食べられる。
家での料理は、私とジンが交代で作るんだけど、ジンが作る料理は格別においしい。
だからなのか、彼が用意してくれる物は何でも美味しく感じて、このリンゴも他のリンゴより美味しく感じる。
「ジンの料理は最高だよ。仕方ないから、私専属の料理人として指名してあげよう」
「それは誠に光栄だな」
私の冗談に小さく笑うジン。私はその控えめな笑顔が好き。
大笑いしている所を見たことはないけど、普段一文字に結ばれた口が弧を描くんだから、それはレア物だ。
しかも、笑えば雰囲気が柔らかくなって、いつもと違う一面を見られるから、つい魅入ってしまう。
結局、リンゴを全部食べ終わるまでジンに見つめられていた。
少し食べ辛さはあったけど、時々彼の口角が上がるのが面白くて、私もジンの顔を見つめて食べた。
「ごちそうさまでした」
完食してお皿を置いた瞬間、扉がノックされる。
私とジンが同時に扉の方を振り向くと、ルル先生が入ってきた。
「レイラさん、この一ヶ月の間様子を見ましたが何も進展がなかったので、一度帰ってもらっても大丈夫です」
その言葉で、雨雲のように重たかった心が一気に晴れて、身体が軽くなったような気がした。
「え!! 嬉しい! やったぁ!」
胸痛が一ヶ月に一度現れるかどうかの頻度。
規則性もなく、特に変わりなしと診断され、無事に帰れることになったらしい。
心臓に何事もなかったことより、帰れる嬉しさが勝って、私は軽い足取りで荷物をキャリーバックに詰め込んだ。これでいつでも帰れる。
「"一度"ということは、また入院が必要なのか?」
ジンの問いかけに、またどんよりとした雲が押し寄せてくる。
いらないこと聞かないでよ、とジンを睨んで訴えるけど、彼は私の思考を分かっておいて知らんぷりをした。
「おっしゃる通りです。私も初めて見る症例ですので、色々模索したくて」
……逃げよ。
私は聞かなかったことにして、キャリーバッグを引きながら医務室を先に出て行った。
家には帰らして貰ったものの、今度は明日から通院だということをジンから聞いた。
私の心は雨雲に戻った。
雨雲以上に暴風に雷雨、そしてゲリラ豪雨で荒れている。
私はキャリーバックを玄関に投げ飛ばして、強く地を踏み鳴らしながらソファに向かう。うつ伏せに身を投げ出した後、ボスッボスッとクッションを強く叩いた。
「もういやぁ!! 病院嫌ぁ! ただでさえ娯楽を制限されてるのに、もーーーっとすることがないんだもん!」
「病院じゃないぞ。医務室だ」
「そんな事はどうでもいいの!」
ジンは私が投げ飛ばしたキャリーバッグを運びながら、屁理屈を言ってきた。
「クッションが可哀想だろ。こいつに罪はない」
今度はジンがクッションを取り上げて、感情をぶつける場所がなくなった私は、ソファに寝転がってうなだれた。
「言っておくが、いつでもお前を連れて行く準備は出来ている」
車の鍵をテーブルの上に置くので、私はそれを奪って服の中に隠した。
今の彼は敵だ。私を病院送りにする人は皆敵だ。
「逃げるもん」
「俺から逃げられるわけないだろ」
何が何でも逃げてやる。火事場の馬鹿力というものを見せつけてやる!
次の日の早朝三時。まだまだ外は真っ暗。
私達は同じ部屋で、別々のベッドで寝ている。
ジンと私のベッドの間にパーテーション立てているだけなので、物音はお互いに丸聞こえである。
私は物音を立てないようゆっくりと起きて、抜き足差し足で、パーテーションから彼のベッドを覗いた。
掛け布団が盛り上がっていて、ジンが寝ていることが確認出来た。
よしよし、良いぞ。
私は慎重にドアを開けて寝室を出る。
暗殺者なんだから、気配を消せるのは当然。こんな所でも気配を消す能力が役に立つとはね!
私は絶対に医療班の所なんかに行かぬ。
暗闇の部屋をあとにして、次は玄関へ向かった。
ふふふ、今のところ完璧。朝起きたら、慌てるんじゃない?
ジンの慌てる姿を想像すると、自然と口角が上がる。ニヤつきながら玄関のドアに手を掛けた。
──すると、ふと、背後で気配を感じた。
「こんな夜にどこに行くつもりだ?」
「──っ!?!?」
振り返る間もなく背後から声をかけられて、身体が飛び跳ねる。驚きすぎて、もはや声も出ない。
足に力が入らなくなって、尻餅をついてしまった。
後ろを振り返ると、リビングから差し込む月光が廊下まで伸びていて、その光の中、壁にもたれて腕を組むジンの姿が浮かび上がっていた。
逆光に照らされた彼は、表情が見えないのにも関わらず、怒っているように見えた。
発作が起きてないのに心臓が痛い。
「えっ、ね、寝てたんじゃ……??」
「単純で助かるな。あれはダミーで、布団の中は毛布だ。お前が夜な夜な抜け出すのは、もう分かってるんだよ」
組んでいた腕を解き、ゆっくりと私に近づいてくる。
──逃げないと!
慌てる私は暗さもあってか、鍵の場所が上手く特定できずに指が空回りする。
そうこうしていると、ジンが私の腕を掴んできた。
僅かな光を反射させた彼の赤い瞳は、深く強い光を放っていた。
一瞬、宝石みたいで綺麗、と見惚れてしまったけど、今はそれどころじゃないと正気に戻る。
「で、どこへ行くつもりだ?」
彼の手の力が強まる。
「あー、えっと〜……」
必死に言い訳を考えるけど良い内容が思いつかない。仕方ない、力技で逃げさせてもらおう。
私は、捕まれた腕を護身術で外した。
即座にジンが構えを取り、私は次々と攻撃する。しかし、全部手でガードされて歯が立たない。
流石はジン。
全ての動きを見破られてしまっている。
しかし、私も上位の人間だ。
僅かな隙を見逃さず、空いた脇腹に蹴りをくらわせた。
彼はガードが間に合わず、私の蹴りを受けてしまって身体がよろけた。
次こそは、と鍵があるであろう場所に触れると、硬いつまみが当たり、そこを捻ってドアを開けた。
飛び出すように家を出ると、すぐに家の屋根に飛び乗って、ジンを見失わせる作戦を取る。
屋根から覗いて、ジンが出るのを待った。しかし、一向に家から出てこない。
諦めたのかな……? 乗り出していた身を引くと、身体が何かにぶつかった。
「鬼ごっこして遊ぶのか? それともかくれんぼか?」
「!?」
また背後でジンの声がした。
──いつの間に!
気配を消すのが上手すぎる。私でも気付かないぐらい。
「言っただろう、俺から逃げられるわけないって」
私はそれでも諦めず逃げようとした次の瞬間──、ズキン、とあの痛みが心臓に走った。
「〜〜っ、……」
逃げ出す為に一歩引いた足が、屋根の淵を滑って身体がぐらりと傾く。
無重力な感覚で血の気が引いた。
「っ!?」
何かに掴む為に手を伸ばしたけど間に合わない。私の身体が落ちかけた時、急に首元が締め上げられた。
「ぐえぇっ」
私の身体が宙に浮いたまま止まった。
足がぷらぷらと行き場を失っているのが見える。
間一髪、ジンが私の服の首根っこを掴んでくれたお陰で落ちずに済んだ。
私の体重が首だけで支えられていて、息が詰まる。
でも私を腕一本で掴むジン。重みもあってか呻き声が頭上から聞こえてきた。
そのまま、ゆっくりとジンが引っ張り上げてくれる。
「ゲホッ、うッ、……っ、ゴホッ……!」
首の詰まりから開放されたものの、息を吸えば胸痛が襲う。
まともに酸素が回らない。それでもなんとか深呼吸をして、肺に空気を送り込んでいく。
ジンはそんな私を抱え、屋根から飛び降りた。
「お前って馬鹿だよな。懲りたか?」
痛みに耐えながら何度も頷く。
ジンは、私を怒っているような口ぶりではなかった。むしろ呆れて、ものが言えなくなっているような感じ。
彼はやれやれと言いながら溜息をつき、私を車に放り込む。
言う事聞かないからバチが当たったんだ……。
もうしない。言う事聞いておこう。
そう心に誓った。
次回、来週の金曜日。




