第九夜┊二十一「血染めの白衣」
俺らは、カルタ嬢ちゃんの強さに甘えとった。
嬢ちゃんを取り巻く環境がいかに理不尽かも、カルタ嬢ちゃんにこんな思いをさせへんために桜子が死力を尽くしたことも分かっとったはずやのに、俺らは嬢ちゃんなら大丈夫やと思うてしもうた。
総司には時間が必要や。
もう少し落ち着いたらきっと、総司やってカルタ嬢ちゃんの手を借りんと立ち行かんくなる日が来る。
時が来れば、二人はきっと和解できるやろう。
俺らはそう信じて、孤立していくカルタ嬢ちゃんの姿に目をつむり続けた。
✤
「もう二度と、女子供を怪異の前に立たせることはない」
総司はそう言い切って、実際にそれを実行した。
他家のやり方にまでは口出されへんけど、少なくとも雛遊の討伐戦に女子供が連れて行かれることはなくなった。
カルタ嬢ちゃんは髪を切り、口調も総司みたいになっとったけど、そんなんで総司が心変わりするはずもない。
例外は認めないと酒呑ちゃんまでもが討伐戦から外されて、酒呑ちゃんはカルタ嬢ちゃんと同じように髪を切った。
既にカルタ嬢ちゃんも同じ手を使うとったし、そんなんで総司が意見を曲げるわけないやろうと思ったけど、翌朝の総司は、酒呑ちゃんだけは連れて行くと前言を撤回した。
「ええ……、あの総司を説き伏せるなんてさすがやね。一体どんな手を使うたん……、」
ぺらぺらの称賛を口にしながら立ち入った部屋で俺が見たのは、全裸のまま血に塗れ、胸にいくつもの深い切り傷を残した酒呑ちゃんの姿やった。
「何言うてるん? うち、最初から男の子やったやろ?」
平然と俺を見上げる酒呑ちゃんは、怪異の前におるときと同じ、別人のような目をしとった。
あとから聞いた話やけど、酒呑ちゃんは自室で胸の肉を削ぎ落とそうとしとったらしい。異変に気付いた総司に固く止められるも、「なら、他にどこを削いだらうちを連れて行ってくれるん?」と一晩中迫り続けたとか。
俺やったら、総司に連れて行かれへんって言われたら大人しくその通りにしたやろう。
事実、翼を失っとった時の俺は留守番係やった。
けど酒吞ちゃんは、式神として役に立たれへんのなら、自分に生きる価値なんてないと信じこんどる。
もうその気持ちを失くしてしもうとったとしても、かつて恋に恋した男の前で、自らを男児だと称して肉を削ぎ落とすのはどれだけの覚悟がいることやろうか。
極まった目をした酒吞ちゃんに、俺は何も言われへんかった。
その日から、酒吞ちゃんは「男の子」になった。
✤
綾取に双子が生まれたと知らせを受けたのは、桜子の葬儀をあげてから二年後のことやった。
桜子が亡くなってから、引き摺られるように暗い雰囲気に包まれとった御三家やけど、久し振りのめでたい報せに、総司の剣呑とした雰囲気も少しだけ和らいだ。
「カルタ嬢ちゃんとは少し年が離れとるけど、幼馴染ができて良かったなぁ」
「どうやろか。綾取の双子は男女らしいで。向こうは実力主義やし、これで女の子の方が後継ぎに選ばれたら、ますますカルタ嬢ちゃんの立場があらへんよ」
俺らの心配はあながち杞憂でもなかったけど、綾取の双子はカルタ嬢ちゃんにも肇坊っちゃんにも、良い意味で影響を及ぼした。
綾取家の襲君は、成長するにつれ武具に興味を示すようになった。
カルタ嬢ちゃんからの手合わせの申し入れにも快く応じて、二人は総司の目の届かんところで、物理的な戦闘技術を高め合うようになっとった。
一方で、大して実力が追い付いとらんのに、周囲のせいで天狗になっとった肇坊っちゃんのプライドを叩き折ったのもまた、襲君やった。
カルタ嬢ちゃんに比べれば見劣りするものの、肇坊っちゃんかて九歳になる頃には十の式神を従えるほどには成長しとった。
けど、それらを叩き伏せた襲君の鮮烈なお披露目戦は、誰に叱られることもなく持て囃されて育ってきた肇坊っちゃんに、煮えたぎるような屈辱と敗北感を与えたらしい。
桜子の負けず嫌いをしっかり受け継いどったらしい肇坊っちゃんは、それから人が変わったように勉強に精を出すようになった。
✤
綾取が子供らのお陰で明るさを取り戻す一方で、檻紙はますます暗く沈んで行った。
綾取の双子とは一年違いで檻紙に一人娘が生まれとったことも、そもそも檻紙が籍を入れとったことも、その相手があのミカド君やったことも、俺らは後になって聞かされた。
酒吞ちゃんはミカド君の名前を聞いた時点で一切の興味を失っとったけど、ツッコミどころしかない一連の連絡に、俺は総司と大騒ぎした。
「み、ミカド君? って、あのミカド君よな? 大丈夫なん? 子供産まれてから籍入れたって……、それ、あの檻紙に手ぇ出して責任取ったってことやろ? 俺らが送るのってお祝いでええんやろか? それともお詫びやろか?」
「……祝いがてら、一度話を聞きに行こう」
俺は檻紙邸を訪ねさせてもらえないか打診したけど、檻紙当主の面前に通されたのは総司だけやった。
『まずは祝いを述べよう。出来ることならば、もう少し早く知らせて欲しかったが…………』
『申し訳ありません。どうしても文を送る勇気が出せず…………』
『風の噂だが、どうも君が我が子を愛せないらしいと…………』
『ああ、どうかお許しください。この身は呪われているのです。まさか己が身から怪異を生み出すなど…………』
壁越しに聞こえてくる言葉に聞き耳を立てとると、「盗み聞きとは、躾のなっていない式神だな」と威圧的な言葉が降ってくる。
「ミカド君……、えっと、ご結婚おめでとう」
「ふん、入籍は檻紙当主の温情に過ぎない。くだらない挨拶が終わったならさっさと出ていけ。鶴夜は見ての通り心を病んでいる」
見ての通りも何も、門前払いの俺は見えへんのやけど。
首を傾げながらも、いい機会やと気を取り直して、俺は尊大な態度で俺を見下ろしとるミカド君に向き直った。
「檻紙がおかしくなってもうたのって、桜子が亡くなったからなん? 友人ではあったやろうけど、なんで檻紙がそない気に病んどるん? もしかしてあの日、桜子を殺した海神に何か関わっとるんやないの?」
矢継ぎ早の俺の質問に、ミカド君は忌々しげに目を細めた。
「鶴夜の名誉のために言っておくが、彼女は桜子の死に一切関与していない。なのに貴様らが呪っただのなんだのと要らぬ嫌疑をかけるから、彼女はすっかり自分のせいだと思い込んでしまった」
「ほんまにそれだけなん? 檻紙やって、か弱い小娘なんかやない。仮にも三家当主を務める器や。それがこない取り乱すなんておかしいやろ」
「……口を慎め、式神風情が。思慮の足らぬその頭で、気安く鶴夜を語るな」
嫌な気配がして、さっとその場から飛び退る。
真っ赤な目をした鼠の大群が牙を剥いて、俺がいたところにボトボトと落ちて行った。
見覚えのある三尾の鼠に、確信を持ってミカド君を睨みつける。
……と、ミカド君の背後から、そっとこっちを窺う小ちゃい女の子に気が付いて、俺は投擲寸前だったクナイを慌てて握り直した。
長い銀髪を揺らめかせる女の子は、女中ですら着とらんような貧相なワンピース一枚やったけど、ゾッとするほど整った顔で俺を見る。
淡い藤色の瞳が、その中に俺を映してぱちりと瞬いた。
「……いんがおうほう、てんもうかいかい。やられたらやり返します。どうか武器をおさめられませ」
「アンタが噂の檻紙の子ぉか。遺伝子って怖いわぁ……!」
感嘆を通り越して、半ば恐れの混じった息を吐く。
ここ最近は閉じ籠もっているとはいえ、もともと天女と名高い檻紙と、仮にも雛遊の血を引くミカド君の子や。ちょっと近寄りがたいくらいの容姿やった。
こない別嬪さんな子ぉやったら喜んで世話したくなるやろうに、叩かれでもしたんやろうか。その子の頬は赤く腫れ上がっとった。
「……出生届すら出されへんのやって? ミカド君の子ぉなら総司の姪や。虐待するくらいなら雛遊が面倒みたるけど」
「寝言は寝て言え。雛遊に女児を渡す馬鹿がどこにいる。貴様らは主人の娘ですら冷遇しているそうではないか」
カルタ嬢ちゃんのことに言及されて、ぐっと押し黙る。返す言葉もあらへんかった。
「……せやね、でも安心したわ。アンタのことやから、自分の娘ですら興味本位で切り刻むんやないかって心配やったけど、その口ぶりからしてちゃんと子供やとは認識しとるんやね」
俺の皮肉混じりの本音に、ミカド君は「当然だ」と薄ら笑いを浮かべて、その女の子の肩に手を置いた。
「これは檻紙の血を引く貴重な娘。鶴夜の代わりに贄になれる」
——カッと頭に血が上る。
俺は、カルタ嬢ちゃんや肇坊っちゃんを守るために命を賭した桜子を、ずっとそばで見てきた。
そんな桜子の生を冒涜するようなミカド君の存在が、頭のてっぺんから足の先まで何もかも気に入らんかった。
今度こそミカド君に向かってまっすぐ投げ付けたクナイからかばうように、「警告はしましたよ」と女の子が前に出る。
怯むことなく手をかざすと、寸分違わずミカド君に向かって投げられたクナイは、見えない壁にぶつかったように固い金属音を響かせて地面に落ちた。
「結界……っ!? その年でもうここまでの演算ができるんか。ほんまになんでそんな子ぉにこんな仕打ちを……」
「ふん、そっくりそのまま返してやる。あれだけの技量と素質を持つカルタを、ただ女であるというだけで迫害し、爪弾きにしておいて、よくもそんな口が利けたものだ」
気に食わんのは向こうも同じようで、ミカド君が苛々と娘を引き寄せる。
その耳元できらりと何かが光を反射して、俺は思わず目を見張った。
銀の長い髪から覗いた桜色の耳飾りは、かつて確かに桜子が持っとったはずの宝貝。
「なんでアンタがそれを……」
「ああ、これか。安産祈願の宝貝……。貴様のような鳥頭にこの価値が判るとも思えないが、とある書物ではその名を『燕の子安貝』と云う」
「まさか……、そんなもんを奪うために、アンタが桜子を……ッ!」
平然と答えるミカド君に、バクバクと心臓が早鐘を打つ。
桜子の最期が、涙の跡が、あの焼け付くような無力感が脳裏に思い起こされて、もう我慢ならんかった。
俺はその喉に掴みかかろうとして……、その場に膝を付いた。
「……? なんや、これ……」
——やけに息が苦しい。
倒れ伏しながら見上げた女の子は、小さく何かを呟きながら、機械的に演算を続けとるようやった。
喉を押さえてもがく俺を、ミカド君が冷たい目で見下ろす。
「その結界は酸素だけを遮断する。……冥土の土産に教えてやろう。海神を喚び出したのはこの俺だ。少しばかり欲しいものがあったのでな。鶴夜は何も知らぬまま俺に手を貸しただけにすぎない。よもや桜子が結界の中に入り込むとは思ってもみなかったのだろう」
「そんな……、くだらん理由で……ッ!」
這い蹲って近寄ろうとする俺の手を、ミカド君が踏みにじる。
汚いものでも見るような視線を投げ付けてから、娘に「行くぞ」と声を掛けて俺に背を向けた。
「そのまま、陸で溺れて死ぬがいい」
薄れ行く視界の中で、やけに眩い輝きだけが目に焼き付く。
——遠ざかる御門君の手には、あの龍の頸にあった、五色に輝く宝玉が握られとった。
御門君はいつだって、やることなすこと裏目に出る。