第九夜┊十「血染めの白衣」
俺が余計なお節介をやめてから、雛遊の戦果はみるみる上がっていった。
元々桜子が配属されてから右肩上がりではあったけど、今や飛ぶ鳥をも落とす勢いやった。
綾取と檻紙も俺らとは別の場所で猛威を奮っとったし、総司の代の御三家は子供ん頃から「歴代史上最高の三人」やって評判やった。
このままなら、この街は数年のうちに平和になって、祓い屋なんて必要なくなるんやないかとまで囁かれた。
酒吞ちゃんも以前よりは被弾が減った。
俺が「酒呑ちゃんの戦い方は痛々しゅうて見とれんのや」って伝えてから、受ける必要のない攻撃は避けてくれるようになっとったし、調子付いた酒呑ちゃんは、大型怪異ですらも傷を負わされる前に倒しきるようになっとった。
俺も阿呆な自己犠牲をやめたし、前衛の酒吞ちゃんもあんまし怪我をせえへんくなったから、桜子も消耗が減って前より顔色が良うなった。
いい循環やったけど、全てが全て順調というわけでもなく。
相変わらず俺と桜子は、同じようなことで衝突しとった。
「だから、俺らのことは駒として扱えって、なんべん言ったらわかんねや!」
「あなたに教わったように、治癒士としての立場はきちんとわきまえているわ。自分の身を危険に晒すようなことはもうしない。でも私は、あなたたちのことを自分の子供のように思ってるの。だからお願い、自分たちのことを駒だなんて言わないで」
桜子の言葉に、それまで黙って聞いとった酒吞ちゃんが「は、子供? 何を血迷うとるの」と顔を上げる。
おー言ったれ言ったれ! と囃し立てる俺の横から「うちの方が年上なんよ。雛遊は年功序列。ちゃんとうちを敬ってや」と斜め上の抗議を投げ付けた。
年上の貫禄どころか反抗期の子供みたいなセリフに、俺は突っ込むべきか否か大いに悩んだ末、「自分の命のほうが大事やな」と結論付けて口を閉じた。
「あら、ごめんなさい。蜜鬼ちゃんは可愛らしいから、どうしてもそういう風に見てしまって……」
「うちが可愛いのは事実やけど、リスペクトが足りひん。うちの方が先輩やねんで」
「そうよね。これからは人生の先輩として、たくさん頼らせてもらうわ」
「ええよ、なんでも聞きや。鴉取よりうちの方がよっぽど頼りになるで」
なんでか俺に飛び火しとったけど、酒吞ちゃんと桜子も約束の一件以来、仲を深めたようやった。
元々女というだけで肩身の狭い雛遊家に、酒吞ちゃんつー味方ができたのがよほど嬉しかったんやろ。桜子はことあるごとに酒吞ちゃんの部屋に足を運んどった。
中で何話しとるんか俺にはわからへんかったし、「仲ええなー」くらいの感想しかなかった。
酒吞ちゃんが、どんな思いで桜子と接しとるのかなんて、この時の俺は考えもせえへんかった。
✤
桜子の勤勉さは、総司によう似とった。
どっちも「できるようになるまでやり続ければ何でもできる」と考える、勉強熱心っちゅうか馬鹿正直っちゅうか、努力を努力とも思わへん節がある。
総司が桜子を迎え入れたのは、もしかしたらそんな側面があったからかもしれへん。
けどそんな二人も、色恋沙汰においてはズブの素人やった。
雛遊の家風もあって、総司は「硬派」をそのまま形にしたような人間やったし、桜子に至っては「恋ってどんな気持ちなのかしら」なんて言い出す始末やった。
総司も桜子のことは確かに大事にしてはったけど、桜子自身の境遇も相まって、惚れた腫れたの恋愛というよりは、傷付いた小鳥を庇護しとるような距離感やった。
怪異の討伐と、祓い屋の面倒な会合に追われるだけの毎日に、俺は段々と危機感を覚えていった。
「なあ酒吞ちゃん、これってまずいんやない?」
「……うちは総司に、跡継ぎがどうとか、小姑みたいなこと言うつもりはあらへんよ」
「ほんま? 酒吞ちゃんはちいちゃい総司、見てみたないんか?」
「…………だってそれ、総司の子供であって総司やないやん」
「自分の子供と一緒におる総司、俺は見てみたいけどなぁ。きっと可愛えよ」
押し黙る酒吞ちゃんに、「それにどうあがいたって、総司より俺らの寿命の方が長いんよ?」とダメ押しする。
俺かて、総司には百年でも二百年でも生きとって欲しいけど、人間はそういう風にはできとらん。
酒吞ちゃんはしばらく俯いとったけど、総司が死んだあとの自分らのことを想像したんやろう。
「……わかった」と小さく首肯して、立ち上がった。
「総司」
滑りのいい障子が、スパァンと音を立てる。
これが桜子やったら怒鳴っとったけど、酒呑ちゃん相手に声を荒らげるほど俺も命知らずやない。
総司も特に気にしとらんようで、書いとった手紙から筆を下ろすと「どうした」と顔を上げた。
「おっきい虫が出た。燻煙剤を焚くから、しばらく桜子と外でも歩いてきたってや」
「そうか。臭いが移るものは片付ける必要があるな」
「そんなん鴉取に任せとけばええよ。それより桜子が煙を吸ったら喘息が悪化するやろ、一緒に居たって。せや、今なら綾取の離宮でユリが見頃やよ」
さっきの今で、ようこんな嘘がスラスラ出てくるもんやなーと感心しとったら、酒吞ちゃんに肘で思い切り鳩尾を突かれた。
多分俺の顔で嘘やとバレてもうたんやろうけど、総司はこういう誰の身にも危険が及ばないケースでは、いちいち嘘を追及したりせえへん。
「判った。桜子を連れて出掛けよう。夕方頃には『燻煙剤』は終わりそうか」
「せやね。終わったら綾取に使いを出すから、こっちのことは気にせずゆっくりしたってや」
桜子の準備もあるからちょぉ待っといてね、と告げて酒吞ちゃんが書斎を出る。
丁寧に扉を閉めてから、鬼の形相でこっちを向いた。
「鴉取」
「ごめんって。酒吞ちゃんがそない嘘が上手やなんて思わなかったんよ。綾取には連絡しといたから許してや」
使いのカラスに「雛遊夫妻に離宮を散策させて貰えないか」と綴った手紙をくくる。しばらくすると、綾取当主から快く承諾する返事とともに、迎えの車まで手配してくれる旨の返事が届いた。
御三家は元々仲が良い。
どうしても傍系や、その他の家やと政治事情が入るから、同じ立場の三家の子供らは唯一対等な幼馴染として育つ。
総司も、同代の綾取と檻紙とは仲の良い友人関係を築いとった。
迎えを待っとる間に、酒吞ちゃんは桜子にも同様の嘘を告げて、出掛けるための支度を手伝った。
俺は酒吞ちゃんに言われるがまま、今度は檻紙に使い走りさせられて、中身が何かも知らんまま大量の箱を抱えて奔走した。
「はえー……、化けるもんやねぇ」
「そんな言い方しかできひんからモテへんのや」
酒吞ちゃんが額を拭いながら毒づく。
綾取の車が着く頃には、桜子は見違えるような美人になっとった。
鮮やかなパステルブルーの絽の生地に、撫子と桔梗をあしらった八月用の訪問着。
着物に合わせて華やかに結い上げられた髪には、涼やかなガラス細工の簪が飾られとる。
丁寧にメイクを施された桜子は、天女やって言われとった当時の檻紙にも並ぶくらいの別嬪さんやった。
「……酒吞ちゃん、こんな技術どこで覚えてきたん」
「ただのたしなみやよ。それにしても桜子は、着物も髪飾りも全然持っとらんのやね。総司にねだって買ってもらい。今回は檻紙が二つ返事で貸してくれて助かったわ」
俺が運ばされた荷物は着物と髪飾りやったんか。
そういえば、着の身着のまま押し付けられた桜子は、嫁入り道具どころか自分の荷物も着替えも何一つ持っとらんかった。
聞けば、今までは酒吞ちゃんの着物を貸しとったらしい。桜子はこの家に来たときから寸足らずの着物を着とったから、俺は全く気付かへんかった。
桜子は綺麗な装いに心から喜んで、酒吞ちゃんに何度もお礼を言った。
総司に手を引かれて車に乗る桜子を、俺らは門の手前で見送る。
俺の横で二人を見つめる酒吞ちゃんは、普段と変わらんように見えとった。
檻紙からはその後、大量の着物と花飾りが贈られてきました。
家が焼けてしまった檻紙千鶴は自分のものを何一つ持っていませんでしたが、「元は檻紙のものだったから」と、かつての桜子の着物や髪飾りを総司から譲り受けています。
ずっと捨てられずに大切に保管されていましたが、人議前に若宮から「着物を借りられないか」と打診を受けていました。
(第八夜の1&2「ふたつの甘味」に出てくる「あらゆる着物と鮮やかな花飾り」)
それ以前の千鶴は着物を持っておらず、11歳当時の服装のままでした。
(幕間「折り鶴の恩返し」より「薄紫色の質素なワンピース」の描写)
(「高級そうな黒い羽織」は当時布団代わりに唯一与えられていたもの)
先代の檻紙は総司の弟と結婚したため、千鶴は総司から見て姪にあたります。
長考の末、妻も娘も亡くし、もう着る者がいない着物を桐箱で眠らせておくよりは、身寄りのない姪に与えるべきだと判断され、巡り巡って千鶴へと引き継がれました。