第九夜┊九「血染めの白衣」
桜子は、それからも何度か「テストして」と俺を訪ねてきたけど、一度も合格せえへんかった。
ずるい話やけど、桜子がどうしたって俺らの命を見捨てる判断ができひんことはわかっとった。
桜子は賢い。何が正解なのかは理解しとるはずやけど、いざ問われると、俺らを見捨てるとは答えられへんのやろう。
「格上の怪異と相対して、主戦力の酒吞ちゃんが両足を切り落とされたら、どないする?」
「調査のために先行した俺が、指定時間内に戻らなかったら? 洞窟の奥から、俺がアンタに助けを求める声が聞こえてきたら?」
「俺と酒吞ちゃんがまだ中に残っとるのに、総司が撤退指示を出して出入り口を封鎖したら?」
答えはどれも「俺らを見捨てて逃げる」やったけど、桜子は青くなった唇を震わせるだけやった。
俺がその手の問題を出して、言葉に詰まった桜子が不合格になること数回目。
桜子も自分の弱みを痛感したようで、毎回「ごめんなさい……」と自分の不勉強と覚悟のなさを詫びた。
「ええよ、別に怒っとるわけやない。ついこの間まで華の女子高生しとったアンタが、怪異を相手に立ち回る方法なんてそうそう身に付けられへんやろ。アンタは十分頑張っとるけど、治癒士の危うさは俺らの比やない。この辺をきちんと確認しないまま、今まで討伐戦にアンタを連れ回しとった俺らのほうが問題やわ」
「そんな言い方しないで、鴉取。強引に付いていったのは私の方よ」
桜子が申し訳なさそうに頭を垂れるたび、俺の方がいたたまれなくなった。
総司も酒呑ちゃんも、本当は気付いとる。
チームから外すべきは、桜子やのうて、俺やってことに。
やから二人は、俺に判断を任せたんやって。
「……アンタが俺らを見捨てられへんっちゅーのは確かに困るんやけど、別にそれだけが問題なわけやない。アンタを連れて行かれへんのは、俺が未熟なせいや」
「あなたが? どうして?」
「近接戦闘メインの酒吞ちゃんはともかく、中距離を担当する俺は、本当ならケガしたらあかんねん。中長距離の担当は自分で避けて、アンタは前衛の酒吞ちゃんか、万一の事故時は全体の指揮を執っとる総司を集中して治療するべきなんや。……治癒対象が増えれば、それだけ治癒士に負担を掛ける。やのに俺が未熟なせいで、アンタに選択を迫らせてもうてる」
治療する順番なんて、それこそ戦線が崩壊した時以外では考える必要もないことや。
前衛の酒吞ちゃんだけが、敵の攻撃を一身に受ける。俺らは軍隊として、そうなるように立ち回る。
前衛は、殺される前に殺すのが役目。回避も防御もせず、とにかく怪異を倒すことが第一。
中長距離のメンバーはそれを支援しながら後衛の治癒士を守り、後衛が前衛を回復させる。
式神使いも中長距離に配置される。
総司でさえ、毎秒変わる戦況に対応しながら自分の身は自分で守っとる。
一番機能していないのは、中距離の前衛支援担当。
つまり、俺やった。
足の速い俺は、先遣隊としてみんなより先に調査に入り、目標を発見したら即座に引き返して情報を伝える。
酒吞ちゃんが一人で対処できない数やったら俺も前衛に出るけど、あくまで補助的な立ち位置。みんなの盾になっとる酒吞ちゃんと違うて、俺は本来ケガしたらアカン。
やのに、俺は酒吞ちゃんよりも負傷が多い。
傷の数は、そのまま俺の失態の数やった。
俺がケガするから、酒呑ちゃんは回避行動を取らざるを得ない。
俺と酒呑ちゃんの両方が怪我しとったら、桜子の体力はすぐに底をつくから。
軍隊が抱えられるお荷物は、せいぜい一人まで。
治癒士の桜子まで好き勝手に動くなら、チームから外されるのは……俺やった。
「なら、私と一緒に学んでいけばいいわ」
「……話聞いとった? 好き勝手するアンタと俺を両方採用はできひんのやって」
「知ってるかしら。反面教師って、実は勉強の手法としてはとても有用なのよ。私があなたを見て学ぶように、あなたは私を見て学んでくれたらいいわ」
「百歩譲って俺らがそれでベンキョーできたとして、迷惑かかっとるのは他のみんななんよ」
「そうね。あなたも私も、きっと少し、みんなを信じる心が足りてないんだわ」
大丈夫よ、と桜子が勝手に俺の手を握る。
子供に言い聞かせるように。
「総司さんも蜜鬼ちゃんも強いもの。私たちの失敗くらいどうにでもしてくれるわ。だから大丈夫。……あなたが、蜜鬼ちゃんの代わりに傷を負わなくても」
「……」
最後尾から戦況を見渡す桜子には、俺の行動が丸見えやったんやろう。
俺がなんで、必要以上に前に出るのか。
どうして中距離の俺がケガを負うのか。
俺がケガするから、酒呑ちゃんは回避行動を取らざるを得ない。
裏を返せば、俺が負傷しとれば、酒呑ちゃんは捨て身の攻撃をやめて避けてくれる。
桜子が治癒士として配属される前から、酒呑ちゃんは相手の攻撃を避けない子ぉやった。
致命的な攻撃くらいは受け流すこともあったけど、それも「腕が無うなったら殴れへんし」くらいの理由や。元々は血を見るだけで震えるような臆病な子ぉやったのに、前衛に立つために自分の感情を殺してしもうた。
怪異の前に立っとる時の酒呑ちゃんは別人や。
痛いとか怖いとか、そういう気持ちをどっか遠くに置き去りにしてしまっとる。
以前は討伐が終わるたびに正気に返って、一晩中震えとったけど、最近は自室以外で正気に返ることは減ってしもうた。
けど、式神やって痛いもんは痛いんや。
あんな小さい体で、何倍も大きい怪異にボコボコにされて、痛くないわけがあらへんやろ。
「だから、あなたが代わりに怪我をするのよね。このままじゃ蜜鬼ちゃんが大怪我するっていうときに」
「……わかっとって、俺の前に出たんか」
「あなたが蜜鬼ちゃんにしてることと変わらないわよ。どう? 反面教師って、勉強になるでしょう?」
そう言って、桜子は微笑んだ。
✤
酒呑ちゃんの代わりにわざとケガを負った日から、俺は何か言われるのが怖くて酒呑ちゃんと二人になるのを避けとった。
けど桜子に「あなたたちは一度話し合うべきだわ」とかなんとか言われて、俺は久しぶりに酒呑ちゃんの部屋を訪ねた。
「……うち、鴉取が怪我しとる方が痛いんよ。うちの方が丈夫なんやから、あんま勝手なことせんといて」
酒呑ちゃんは2cmくらいしか開けてくれへんかったけど、障子の先でそう答えた。
「あんたが怪我しとるんは、うちへの冒涜やよ。うちやってチームのために前衛に立っとるんやから、もうちょい信用して欲しい……」
「せやね。桜子にやられて思い知ったわ。かばわれるのってあんま気分いいもんやないな」
ごめんな酒呑ちゃん、と心から詫びると、もう1cmだけ障子が開いた。
「桜子に何か言われたん?」
「『反面教師』やってさ。確かに俺も、勝手に俺の前に出るわ、いつまで経っても俺らのこと見捨てられへんわで、桜子にイライラしたもんな。わざわざ辞書引いて『同類嫌悪』って教えてくれはったわ」
「あんたらがお互いを見て、他人をかばうのって良うないなって思ってくれるならええんとちゃう。総司もそう思って欲しくて、あんたに桜子のこと任せたんやろ」
「うわ恥ずかし……。みぃんな俺のこと、自己犠牲精神あふれる奴とか思っとったんか」
「勝手にうろちょろして怪我する、ただのアホやと思っとったよ」
酒呑ちゃんが呆れたように嘆息する。
でもよかった、桜子は約束守ってくれたんやね、と小さく呟く声が聞こえた。
「約束?」
「うちの代わりに怪我すんのやめて欲しいってぼやいとったら、桜子が鴉取と話してくれるって言うたからお願いしたんよ。そしたら代わりに、うちの名前を教えて欲しいって……」
「え、あれって交換条件やったん?」
まさか酒呑ちゃんが、自分の名前を賭けてまで、俺を止めるよう桜子を頼ったとは思いもせえへんかった。
ほんまにごめんな、と繰り返すと、「わかってくれたならええよ」と返される。
——雛遊の盤石なチーム戦は、お互いの命を預けることで初めて成立する。
酒呑ちゃんの命を預かる覚悟のない俺は、これまでずっとチームのお荷物やった。
けど桜子に言われて、ようやく俺は酒呑ちゃんを信用する覚悟ができた。
✤
「総司さん、合格をもらったわ! 次からは私も一緒に連れて行ってちょうだい」
「合格やない、保留や保留! 一旦保留にしたるから、好き勝手動かず総司の指揮に従ってや!」
それから淑女がそんな風に廊下を走るもんやない! と声を張る。
桜子が雛遊に嫁いでから、いつの間にか二年の月日が経っとった。