第九夜┊四「血染めの白衣」
血塗れ白衣の消えた保健室で、僕は再びベッドに横たわっている。
下校時間は過ぎているが、寮生の僕らは帰ったところで大した処置をしないと踏んだのだろう。泣き腫らした目に、今度は雛遊先生が氷嚢を乗せてくれた。
暗くなった外から遮断するように、雛遊先生が窓際のカーテンを閉めていく。
まだ外気温にはしつこく残暑が残っていたが、9月も半ばになって、日が沈むのも早くなってきていた。
「結局、あの白衣は放っておくのか」
「いいえ、祓いますよ。家門から怪異が出たなんて知れたら、雛遊の名が廃りますしね」
母だと言った口でサラリと祓うと答える雛遊先生を、星蓮が厳しい視線で見つめる。
彼は古代の怪異でありながら、僕らを差し置いて道徳1位を取る倫理観の塊だ。亡くなった母に対する雛遊先生の姿勢は、彼にとって非難すべき対象なのだろう。
あの白衣が注射器を持っていてよかったとつくづく思う。そうでなければ、血塗れ白衣はとっくに星蓮の胃の中だったはずだ。
「そんな目で見ないでください。私にも思うところが無いわけではありませんが、母だって自分の持ち物がこんな風にひとり歩きして、生徒を脅かすことを快くは思わないでしょう」
「あれは死霊とは違うのか?」
「少なくとも本人では無いでしょうね。本人の意志を多少なりとも宿してはいるようですが。付喪神のようなものでしょう」
「それにしたって、随分と淡白な反応だな。おまえの『姉』はこんなに泣きじゃくってるっていうのに」
星蓮が目線で僕を指す。
「僕」のことじゃないのはわかっているけれど、泣きじゃくったと言われると微妙な気持ちになる。一応「僕」自身は一端の男子高校生なのだ。
雛遊先生は、「姉は母と仲が良かったらしいので」とこれまた他人事のように答えた。
「おまえは仲が悪かったのか」
「そういうわけではありませんが、私は母に会ったことが無いんですよ。それこそ、あの白衣が血に染まったときに、取り出されたのが私ですから」
今度こそ星蓮が押し黙った。
つまり、雛遊先生のお母さんが亡くなった時に、雛遊先生が生まれたということだろうか。
だとすると、先ほど言っていた「命日」は、イコール雛遊先生の誕生日ということになる。
なんとも、祝いにくい誕生日だ。
「……おまえが祓うのか。やりにくければ、俺が呑み込んでやってもいいぞ。元からそのつもりで保健室に来てたしな」
「悩んでいるところです。先も言った通り、私は比較的、母との情は薄い方ですので」
「悩んでるってのは、祓うかどうかをか?」
「いえ、祓うことは確定事項ですよ。問題は、誰が祓うかです。縁の薄い私が片付けてしまうべきか、……より縁のある人間に連絡をいれるべきか」
「縁のあるって……、雛遊先生のお父さんですか?」
僕の問い掛けに、雛遊先生が「そうですね」と短く首肯した。
雛遊先生の父、雛遊総司さんとは、人議で一度顔を合わせている。
厳めしい顔付きをした総司さんは、三家総帥として君臨する、祓い屋の中でも一番偉い人だ。
亡くなった妻の白衣が怪異になったと知ったところで、淡々と祓ってしまいそうな雰囲気の人だったけれど。
人議で飴を貰ったことを思い出していると、「あのカラス、これを知った上であの総帥を『未亡人』って茶化してたのか」と星蓮が青ざめる。
そういえば、エントランホールで鴉取がそんな事を言っていたな。未亡人だとか、花街に連れてくとか。
「デリカシーの欠片もねーな、あのカラス」
背景事情を知ってドン引きする星蓮に、それまで思案していたらしい雛遊先生が、「確かに、君に呑み込んでもらうのが一番早いかもしれませんね」と肩を落とした。
「生まれが生まれなだけに、誰も私に母の話をしたがらないもので……。父に連絡を入れておいたほうが良いのか、不要なのかも判断がつかないんですよね」
雛遊先生は大きく嘆息したあと、僕を向いて「君は、姉の気持ちとかわかったりします?」と尋ねた。
「すみません、さっぱりです……」
「そうですよね」
雛遊先生は「変なことを尋ねてすみません」と苦笑して、カーテンを握ったまま、その隙間からぼんやりと外を眺めていた。
——人の心というのは、どこにあるのだろうか。
端から端まで切り刻まれて探されたけれど、結局教授は「心」の在り処を見つけることはできなかった。
祓い屋としての素質と、優れた俊敏性を持つ雛遊カルタの体に、優秀なIQを持つ小手鞠言葉の脳。
三人分の遺体をミキサーにかけたこの体には、しかし雛遊カルタの心も、小手鞠言葉の心もない。
僕の意識だけが、この体には宿っている。
身体の持ち主も、脳の持ち主も別にいるのに。
この体の一体どこに、「僕」はいるのだろうか。
地に足のつかない浮遊感と、自分の体が自分のものではないこの乖離性こそ、僕が自己存在意義を見いだせない理由だった。
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