第九夜┊一「血染めの白衣」
「ねえねえ聞いた? 保健室の《血塗れ白衣》」
「どんなに具合が悪くても」
「四番目のベッドは使わないで」
「そこは血に狂った保健医が」
「獲物を狙う特等席」
「帰りのチャイムが鳴り終わるまでに」
「そのベッドから出られなければ」
「血塗れ白衣が迎えに来るよ」
「「ああ、恐ろしや恐ろしや」」
「……おまえって、白衣も好きだったりするのか?」
「しない」
投げ掛けられた疑問に即答する。しかし満天の星空を映したような彼の瞳は平べったく、僕に疑いの眼差しを向けたままだった。
新たに保健室の怪異の噂が流れ始めたのは、つい今朝の話。耳に届き始めたばかりの噂話だったこともあり、僕らはまだ会話にすら取り上げていなかったのだが……。
六限の体育で見事に顔面バレーボールを決めた僕は、例によって四番目のベッドに寝かされている。
どうしてこうなったのかなんて、僕が知りたい。
「そういえば今回の噂は、いつもの旧校舎じゃないんだな」
星蓮お手製の氷嚢をおでこに乗せられながら話し掛ける。
取り壊し寸前の旧校舎ならいざ知らず、ここは普段から多くの生徒が行き交う現校舎。それも下校チャイム時に現れる血塗れ白衣だなんて、目撃者が大勢いそうなものだが。
その胡散臭さも、僕らが今回この噂話を取り扱わなかった理由の一つだった。
「蓋を開けてみれば、ご覧の通りだったわけだけどな」
星蓮が嘆息しながら両手を広げてみせる。保健室は僕らを除いて、全くの無人だった。
今日この時間に限らず、すぐそばに付属病院があるこの学校では、どうやら多少の怪我や病状でも保健室をスキップして病院に直行するらしい。
さすがは著名な私立校。お預かりしているご子息&ご令嬢になにかあってからでは遅いのだろう。
僕が顔面でボールを受けたときも、あわや救急車で運ばれるところだった。さすがの僕も顔面ボールで医者にかかれるような胆力はない。固くお断りして星蓮に付き添いを頼み、現在に至っていた。
「白衣じゃないなら、保健医フェチ?」
「なんでだよ、違うってば」
僕の必死の弁明も右から左へ。
どうやら星蓮は、僕がわざとボールに当たったんだと思っているようだ。
瞬発力や敏捷性だけなら星蓮をも凌駕する僕が、顔面ボールなんて受けるはずがないと信じているんだろう。
だけど僕だって、四六時中すばやさを発揮できるわけじゃない。
「色々あったから、考え事してたんだよ……」
人議での長い一日を終えて早数日。たくさんの人や怪異と会話し、それぞれの主義主張を見聞きした僕は、自分の立ち位置を改めて考えるようになっていた。
これまでは極力、怪異や超常現象とは関わらないようにしてきたけれど、星蓮と出会ってからは怪異も悪くないかもと思い始めている。
そんなことを言ったら、星蓮は怒るだろうけれど。
「義姉さんのこともあったしな」
「千鶴さんのことはそんなに心配してな……、ちょっと待った。君、本当にその呼び方でいくのか?」
「毎回『おまえの姉さん』って言うより楽だし」
それはそうだろうけれども。
クラスメイトに聞かれたら色々と誤解を招きそうな発言だったが、ヒリヒリする顔面に負けて僕はツッコミを諦めた。
「なんか、こういうのも久し振りだな」
「どういうの?」
「おまえとこうやって怪異の噂話を追いかけるの」
「ああ。確かに、ちょっと久し振りかも」
僕らが自主的に噂話を追いかけたのは、藤の花の怪異が最後だろうか。
コンちゃんの件や九尾の件は、向こうからやってきたトラブルに巻き込まれただけだし。
「ところで君、最近僕を置いて一人で怪異を食べにいってるだろ」
「朝活だよ朝活。朝食の前の腹ごしらえ」
「普通はご飯の前に腹をこしらえないんだよな……」
エントランスホールでの件が尾を引いてか、ここ最近の星蓮は大小問わず、目についた怪異を片端から飲み込んでいるらしい。おかげで人議以降の僕はアレルギー知らずだ。
星蓮が『朝活』に励む時間、僕はまだ布団の中にいるので、彼がどこで何を飲み込んでいるのかまでは知らないけれど。
「もうちょっと食べ応えのある、大きいやつに当たりたいんだけどな。ここ最近じゃ、あの小魚が一番マシだった」
「小魚?」
「おまえに噛みついたあのナマズ」
「あれが小魚かぁ……」
僕にとってはものすごく大きな怪異だったけど、星蓮にとってはあれがギリギリ及第点のようだ。
その基準では、『血塗れ白衣』のサイズ感には全く期待できないだろう。
「小さくてもすごく栄養になるとか、そういうこともある?」
「稀だけど、あるにはあるな。大きさに関係なく、力が強いやつを呑み込むほうが効率的だ。それこそ、あのノンデリ宮司なんかはナマズよりよっぽど栄養になるだろうな」
「若宮さんは人間だから見逃してあげて」
「あいつが義姉さんと結婚するって言っても?」
「そしたらちょっと考える」
けたけたと星蓮が笑っている間に、下校時刻を報せるチャイムが鳴り響く。
噂通りならば、これが鳴り終わるまでにベッドから出ないと、血塗れ白衣が来てしまうだろう。
「どうする? ついでだから白衣も拝んで行くか?」
「別に白衣に興味はないけど……。まだ顔が痛いからもうちょっと横になってたい」
「了解。じゃあ白衣は俺のおやつってことで」
こんな軽口で処遇を決められてしまう怪異の方がちょっと可哀想だ。
僕が寝かされているベッドに腰掛けて足をぷらぷらさせながら、星蓮が白衣を待ち構える。
入口で「カチリ」とひとりでに鍵が閉まる音がした。