第八夜┊三十三「幸せ家族計画」
若宮さんと僕らに葡萄ジュースを配りながら、「お話は終わりましたか?」と千鶴さんが尋ねる。
「私を除け者にして、どんな楽しいお話をしていたんです?」
「千鶴さんと結婚すれば、私は小手鞠君の『お義兄さん』になるわけですね、というお話を」
「え」
お茶を濁しているだけなのは百も承知だが、とんでもない発言を受けて、手に力が籠もる。
持っていたグラスに、ぴしりとヒビが入った。
「あら、そういえばそうですね。私達は婚約済みですから、牡羊座から見るとかさねさんは義兄になるのですか。不思議な感じがしますね」
「ええ、私もこの歳で義弟ができるなんて」
千鶴さんの戻りに合わせて、さっと場の雰囲気を変える若宮さんはさすがだけれど、ちょっと聞き流せそうにない。
「み、認めないです」と返した僕に、千鶴さんは「あらあら」と楽しそうに笑っている。
「人間の法律上、怪異と結婚ってできるのか」
「千鶴さんは生きた人間ですよ。何も問題ありません」
「今の状態を把握しきれていないんだが、結局おまえは生者であり、怪異であり、このノンデリ宮司の式神なんだよな? 生者のまま怪異になったってことについては理解した。けど、生者のまま式神にはなれないはずだよな」
「なれないはずですね。人間が人間を強制的に従わせるのは法にも倫理にも反します。これが罷り通れば、いろいろと悪いことができてしまいますから」
つまり? と首をかしげる僕に、「やったらできてしまったので」と二人が声を重ねる。
伝統と手順を重んじる雛遊先生が聞いたら卒倒しそうだ。
「野良の怪異ではうっかり祓われてしまうかもしれませんしね。千鶴さんに交渉したところ、式神になる代わりに婚約を迫られたので了承したら、契約が結べてしまったんですよ」
あっけらかんと話しているが、多分これは若宮さんと千鶴さんの二人ともが規格外だから、押し通せてしまった稀有な例なのだろう。
「ちなみに婚約であって婚姻ではないですからね。会場でも勘違いしている人がいましたけれど、一応我々はまだ未婚の身ですよ」
「ゆくゆくはその気があるのか?」
「あると言ってもないと言っても容赦しないという目で小手鞠君がこちらを見ていますが……。私は若宮姓を言い張っていますから、しようと思えばいくらでも」
「あ、そっか。千鶴さんはもう檻紙当主だから、若宮さんが当主を継ぐと結婚できないんですね」
当主は名字を継ぐものだ。夫婦別姓が認められないこの国では、どちらも名字を変えられない当主同士では結婚が実質的に不可能ということになる。
「若宮さんって格好いいですよね! 当主に向いてると思います!」
「君は本当にわかりやすいですねえ……」
これまで継承者争いには一切関心のなかった僕が、急に若宮さん推進派になったことに本人が苦笑する。その隣で「義弟、うらやましいです」と千鶴さんが明後日の羨望を向けながら、星蓮を見た。
「星蓮さんは、牡羊座と仲がいいのですよね?」
「当然」
「では、私のことをお義姉さんと呼んでもいいですよ」
葡萄ジュースを口にしていた星蓮が盛大に咽せる。
拒否するかと思いきや、ナプキンで口元を拭うと「よろしく、義姉さん」と星蓮が片手を差し出した。
固い握手を交わして謎の同盟が出来上がったところで、「そういえば、米を炊こうとして屋敷を半壊させた奴と、目玉焼きを作ろうとしてキッチンを灰にした奴がここに揃ってるのか」と星蓮がぼやいた。
呆れを通り越して畏怖さえ混ざっている星蓮の言葉に、千鶴さんは「まあ、牡羊座とおそろいなんですね」と嬉しそうに微笑んでいる。
僕ですらキッチンを壊したことにはそれなりに罪悪感を持っているので、屋敷を半分吹き飛ばしておいてこの笑顔はなかなかの強者だ。
「檻紙の性ですから、こればかりはどうしようもないようです」
「一番の対策は、とにかく彼らをキッチンに入れないことですよ、星蓮君」
「既に実践してるが、心得ておく」
若宮さんの助言に、星蓮が固い顔で頷く。
こちらでは、「檻紙料理・被害者の会」が発足していた。
「……そろそろ夜も更けてきました。お互い疲れていますし、そろそろ帰りましょうか」
若宮さんの言葉に、「牡羊座、具合は落ち着きましたか?」と千鶴さんが声をかけてくれる。もうとっくに血も止まっているし、名残惜しいけど頷いた。
「牡羊座も、簡易的な封具を一つくらい身に付けておいたほうが良いかもしれませんね。私の封具も、脳を保護するためにかさねさんが付けてくださったものなんです」
「あなたが無茶ばかりするからでしょう……。千鶴さんの場合は、ご自身で燭台を壊してしまわないために制約させていただいてる部分も大きいんですけどね。その燭台はとても脆いので、千鶴さんの力に耐えられないんですよ」
「おーおー、さっさと壊して自由になっちまえ。人間が式神なんてやるもんじゃねーよ」
俺が代わりに壊してやろうか? と尋ねる星蓮に、千鶴さんが「だ、駄目です!」と声を上げて燭台を抱えた。
「でもそれ、無くした方が強くなれるんだろ?」
「現状、千鶴さんは今以上の力を発揮することを望んでいませんからね。神社が壊れてしまう」
これ以上ここにいれば燭台を壊されてしまいそうだと思ったのだろう。
若宮さんが「さあ、もう帰りますよ」と背を向けた。
「それでは。ご近所ですから、またいつでも遊びに来てくださいね、お二人とも」
若宮さんと連れ立って、千鶴さんがゆるやかに手を振る。
長い長い一日を終えて、僕らはようやく帰路に着いた。
✤
駅までの長い道のりを歩きながら、「そういえば」と思い返す。
千鶴さんは幸いにして、火事を逃れて生きていた。
檻紙家の大火災は、使用人七十二名と檻紙家当主、及びその一人娘の檻紙千鶴を巻き込んだ、計七十四名の死者を出したと言われている。
遺体の損壊は激しく、顔どころか男女の判別すらつかない有り様だったらしい。
遺体の人数と、当時屋敷にいたはずの人数の整合が取れ、全員死亡の判定がなされたのだと雛遊先生は言っていた。
けれど、千鶴さんが生きていたなら。
屋敷の死者が七十四名ではなく、七十三名だったのなら。
その子供の遺体は、一体誰のものだったのだろうか……——。