第八夜┊三十一「三つの質問」
「白沢さんって、時間を操れるんですか?」
みんなで連れ立って、会食の場である『典雅の間』に移動しながら、若宮さんを見上げる。
星蓮と若宮さんは言わずもがな、千鶴さんも総司さんの術で袖に泥が跳ねてしまっていて、みんなの姿はボロボロだった。
僕はこの中で一番なんともないんだろうけれど、制服の首周りを出血で汚してしまったせいで、誰よりも重傷に見えるのがちょっと恥ずかしい。
「さあ、私はあまり彼について詳しくないんですよ。白沢は私が家を出た後に、いろはさんに心酔して手懐けられた神獣でしてね。私もあまり顔を合わせる機会がない上に、とばっちりで肇さんとも仲が悪い」
「雛遊先生とも?」
若宮さんはともかく、雛遊先生を嫌う人は珍しい。
そういえば、いろはさんは雛遊先生に好意を寄せているとか、いないとか。
そのせいで嫌われているのなら、本当にとばっちりだ。
「神獣『白沢』は中国に伝わる怪異だ。九尾の狐と同じで、人間に吉事をもたらす瑞獣。吉兆の証である九尾に対して、どっちかっていうと白沢は厄除けの側面が強い。優れた君主の前に現れるって言われてるな」
「いろはさんを当主に推進する者たちの常套句ですね。神獣にも認められた主だからと。ならば早くその席に着いてくれればいいのですが」
すっかり口を閉ざしていた星蓮が、僕を向いて説明してくれたことにほっとする。その視線はまだ宙を彷徨っていたけれど。
そっと隣に寄って「大丈夫?」と声を掛けると、「大丈夫じゃないのはおまえだろ……」と返された。
「悪かった。おまえ、あんなに勝ちたがってたのにな……。ごめん」
「ううん、全然。僕を心配してくれたんだよね。ありがとう」
僕だって、星蓮が顔面を血まみれにしていたら棄権を叫んだはずだ。それに星蓮が気付いてくれていなかったら、もしかすると重篤な後遺症が残ってしまっていたかもしれないし。
「あれ……。そういえば、若宮さんは僕の顔を見てたはずなのに、止めてくれなかったんですか」
「ああすみません、特に支障はなさそうだと放置していました」
むしろ、君をどうやって気絶させようかと考えていたものですから。
ちっとも悪びれる様子のない若宮さんに、けろりと返されてぞっとする。やっぱり星蓮が止めてくれてよかった。
「そう萎縮せずとも、牡羊座も星蓮さんも充分善戦されました。仲間を気遣っての失格、実質引き分けと言えるでしょう。むしろ、気付いていながら処置を怠ったかさねさんの行動は減点対象。——当初のお約束通り、ご質問にはお答えしますよ」
「えっ、いいんですか?」
千鶴さんの言葉に、僕より星蓮の方がホッとした顔をしていた。ようやく表情を緩めた星蓮に、彼が思い詰めなくて良かったと僕も安堵する。
「質問すること、決まったのか?」
「ちょっと待って……。三つにまでは絞ったんだけど……」
「三つでも構いませんよ。私に答えられることであれば」
突然の大盤振る舞いだった。
「いいんですか?」と短時間で2度も同じ返答を繰り返してしまった僕に、「私が覚えていることはごく限られていますから、答えられるかわかりませんが……、それでもよろしければ」と千鶴さんが僕を見据える。
「えっと、じゃあお言葉に甘えて……。千鶴さんが、『人生で一番大切にしていること』は何ですか?」
「約束を守ることです。今の私は、約束の怪異ですから」
千鶴さんは迷うことなく即答したあと、「とは言っても、その時々で変わってしまうかもしれません。約束を破ることで誰かが救われるなら、きっとその限りではないでしょう。ご存知の通り、目覚めたばかりで記憶のない私は、自己存在意義が極端に薄いのです。その点、課された約束を守るという規則は判りやすい。今の私は、約束を守るために生きていると言っても過言ではありません」と締め括る。
「ありがとうございます。次に……、『もし失われた家族の一員が見つかったら、どうしますか?』」
続けられた質問に、若宮さんが興味深そうに僕を見る。
千鶴さんは、少し言葉を考えていたようだった。
「嬉しい……と思います。できれば触れて、抱き締めたい。私がその人のことを覚えていないという事実によって、その人のことを傷付けてしまわないかだけが心配ですが……。それを許してくれるのならば、私は『おかえりなさい』と伝えたいです」
最初に『嬉しい』と言ってくれて、目頭が熱くなる。
正直、一番聞くのが怖い質問だったから。
覚えていないとはいえ、あの漆塗りの家は千鶴さんにとって、決していい場所ではなかった。
生家もその関係者も、記憶さえも全て焼け落ちて、ようやく自由を謳歌している千鶴さん。そんな彼女が再び檻紙に名を連ねる者に出会ったら、拒否を示すのではないかと怖かった。
「最後に……。もしあなたに『弟』がいたなら、今この場で会えたなら、何を伝えたいですか?」
震える声で搾り出す。
二問目の回答次第では、この質問は聞かないつもりだった。
声どころか膝まで震えてきた僕に、千鶴さんがそばにあった椅子に掛けるよう促す。
早く回答を聞きたい反面、心の準備ができていない僕の顔からそっと紙面を取り去ると、藤色の瞳で僕の目を見た。
「ずっと、……ずっと待っていましたと、そう伝えたいです。私は、待っていると約束した気がします。覚えていませんが、きっと顔を合わせたこともありませんでしたが、ずっと心の中でその存在を感じていました。何もできない不束な姉でしたけれど、この先どんな形でも、一緒に歩んでいける未来があると信じています」
三問、終わりましたね。と続けて、千鶴さんはそっと僕の体に腕を回した。
……優しく温かい、生者の温度だった。
「おかえりなさい、牡羊座。私はずっとあなたを待っていました」
堪えきれなかったひとしずくが、頬を伝って落ちていく。
我慢したかったのに。千鶴さんの前で格好悪いところは見せたくなかったのに。
あとからあとから溢れて、目の前がぐしゃぐしゃになった。
「信じて、くれるんですか……?」
「あなたという確かな存在がここにいるのに、何を疑うことがありましょう」
ぎゅっと僕を抱きしめてくれる腕に、僕も縋り付く。
「僕」というあり得ない存在を前に、柔い声音は少しも揺らいだ様子を見せなかった。
——檻紙家は、雛遊家とは真逆の、絶対的な女系家系。
当主は代々女性で、その子供も必ず女児だった。
檻紙の娘は土地神様に捧げられる。娘しか産めなくなった檻紙家は、贄を欲する土地神様の呪いに掛かっていると言われていた。
だから僕の存在は、本当だったら「有り得ない」。
そんな僕を、千鶴さんはひとつも疑うことなく受け入れてくれる。
ずっと居場所のなかった僕に、「友達」の他にもう一つ。
今日初めて、「弟」という居場所ができた。