第八夜┊二十「千の鶴、一羽の鴉」
「えっげつな……、式神やのうて綾取の坊ちゃん狙うん? 怪我させてもうたら俺らの負けやよ」
「檻紙は必ず襲を守る。そして襲はこの期に及んで弓を構える気配がない。出し惜しむ局面でもないだろう。ならば奴は射たないのではなく、射てないのだと見るべきだ」
開始直後に密やかに交わされていた会話を思い出して、総司は顎に手をやる。
『かさねさん、絶対に手を出してはいけませんよ』
『わかりました』
「呪言……、あるいは誓約を結ぶことで、檻紙はあの驚異的な力を発揮するのだろう。だとすれば襲に関しては弓だけでなく、刀も警戒する必要はない。奴はこの場に立っているだけの木偶も同然」
「さすが、鋭いですね」
隠す気もないらしく、どころか解き明かされることを喜ぶように襲が笑う。
「ですが、千鶴さんの結界と、何が出てくるかわからない空想力は、理解していても対応が難しいでしょう」
「空想力だけで式を組み立てる檻紙の展開の速さと対応力は確かに脅威だ。——だが、所詮は目で追える程度」
ふっと手元の札に息を吹きかけると、片隅に橙色の炎が灯った。
火の付いた札は、五芒星を描くように会場内を飛び回りながら灰と散っていく。
雪と共に会場に呼び込まれた寒気が、かすかに和らいだ気がした。
「イメージにも時間はかかる。対抗術式をイメージして構築するまでが数秒だったとしても、その数秒が命取りになるだろう。見せてやれ、鴉取。奴らが相手にしているのは、『最速』の怪異なのだと」
はらりと、舞い落ちる雪の結晶が揺らぐ。
一拍遅れて、目の前にクナイが突き立てられた。薄皮一枚分の結界に攻撃を阻まれると、カッと火花を散らして消える。
軽薄な鴉天狗の姿はどこにも見当たらない。
ひたすらに、金属が硬いものに弾かれる音だけが会場に響いていた。
「……っ」
張り直されては壊されていく結界は、少しでも再生が遅れれば襲の死に直結するだろう。
初めて苦戦の様子を見せる檻紙千鶴に、「五行相剋陣ですね」と呟いてバルコニーから視線を落とす。
「正確な演算で結界を組み立てる檻紙さんの性質を逆手に取ったのでしょう。五行は火や水、土、木などを司るもの。それが微々たるものであっても、風が揺らぎ、湿度が変わるたびに檻紙さんは再計算せざるを得ない」
「なるほどね。雪を降らせているのも何かの効果があるのなら、環境の変化は千鶴にとって二重苦になる。やっぱり総司さんの相手は、あの子達には荷が重いわ」
青藍色に塗られた爪を眺めながら、綾取いろはは残念そうに長い睫毛を伏せた。
「人間同士の戦いなら、武具の扱いに長けた襲が有利でしょうけれど、よりにもよって式神を戦わせるお披露目で、式神使いの総司さんに適うはずもないわ」
「それはどうでしょう。私も式神使いですが、過去のお披露目で襲さんに敗北していますよ」
「何年前の話をしているのよ。それにあの時は襲が自ら剣を振るっていたけれど、今回は千鶴に戦わせないといけないもの」
いろはは自分の兄の敗北を信じて疑わないようだが、その推測はただの私怨や願望ではなく、綾取襲をもっとも近くで見てきた者としての、冷静な分析結果だった。
「零落した神を相手取る性質上、普段から一人で怪異の討伐に向かう襲には、チームプレイという概念がない。一対一と二対二の戦略は全然違うわ。その点、総司さんはチームプレイの専門。どうしたって経験の差が出るでしょう」
いろはの吐く息が、白く虚空に溶けていく。
二人の視線の先で、鴉取が何枚目かの結界を叩き割った。