第八夜┊十二「天秤は彼方に傾いた」前編
「さて、今後の話に戻しましょう。現在の情勢について、怪異と相対する機会の多い私から話を進めさせていただきたいのですが、いかがですか?」
若宮さんは妹さんに対して、何も悪しき感情は持っていないらしく、隣のいろはさんに朗らかに話しかける。
対するいろはさんは若宮さんを一瞥したのち、「許可します」と硬い声音で返した。
「先日、若宮神社は九尾の狐を確保しました。これにより力関係は大きく傾いた。みなさまと違って若輩の若宮ですが、九尾を手にしたことで、神獣を擁する三家のみなさまと同等の発言権を得たと認識しています」
「御託はいい。お前が三家外の人間だと思っている者はこの場にいない。お前の発言は『綾取』の意見として取り扱う」
「……はあ、ここで言い返しても話が進まないので聞き流しますね。とにかく、私は一定の功績を持ってここに立っています。——さて、檻紙元当主が身罷られて早十年。土地神は少食ではありますが、檻紙が不在の今、巷のみなさんは次の贄を誰にするのかと戦々恐々でいらっしゃる。私は面倒ごとが嫌いでね、この空気をさっさと終わらせてしまいたい」
若宮さんは一度言葉を切ると、にっこり笑って両手を合わせた。
「そろそろ、土地神も祓ってしまいませんか。私は土地神の討伐をご提案します」
今日の議題はあらかじめ参加者に通達されていたのだろう。その場の誰も、若宮さんの発言に動転する様子はなかったが、全員が「本当に言いやがった」という顔をしていた。
「……正気を疑うな。土地神に贄をくれてやらねば、どれだけの犠牲が出ると思っている。ましてや討伐などど……。お前が普段相手にしている、零落した神々とは全く別物だとわかっているのか。土地神は条件付きではあるが、確かにこの地を治める守護神なのだぞ」
「ここで信仰の違いを断ずるつもりはありませんが、私達は人ならざる者たちから人を守るために此処に集っているはず。前提を履き違えないでいただきたい。贄とて人ですよ。人が目の前で怪異に食われ行くのを黙って見ていられるようなら、祓い屋なんて必要ないでしょう」
提案は以上だと判断したのだろう。いろはさんが片手を上げて、二人の対話を断ち切る。
「では、土地神を守護神と見做して此度も贄を送るか、怪異として退治するかの決を採ります。射手座は討伐賛成に一票、牡牛座は反対に一票を投じたものとみなします」
いろはさんが採決を開始して、同時に宣言した。
「琴座は射手座に賛成します」
え、と僕は驚いて、司会を務めるいろはさんを見る。
双子の妹である綾取いろはさんは、若宮さんとは敵対関係にあるはずだ。
こんな真っ先に、若宮さんに賛同するとは思わなかった。対立問題とこの場の提案への賛否は別だということだろうか。
これはきっと、繊細な問題だ。良し悪しだけで判断できるものではないだろう。どちらの意見にしたって、人の命という重い責任がつきまとう。最初の一票は勇気がいったはずだけれど、いろはさんは堂々と続けた。
「現代においても、このような悪しき風習が残っている事自体、非常に遺憾だと言わざるを得ません。人々を守るのは神ではなく我々の役目。ましてやそのために守るべき民を犠牲にするなど、絶対にあってはならないこと。多数のために少数を犠牲にするのではなく、一つの犠牲もなく多数を守る。そのための祓い屋であり、そのための人議でしょう」
「じゃあ、魚座からも賛成の一票を」
いろはさんに続いて、星蓮も手を挙げる。
彼は一刻も早く土地神様を喰ってやりたいと思っているのだから、今回の提案は渡りに船だろう。
僕らは星蓮のスタンスを知っていたから驚きはなかったけれど、怪異が神の討伐に賛成するのを、総司さんは興味深そうに眺めていた。
「人を喰うようなやつを野放しにしてはおけないだろ。討伐は妥当だ」
提案の若宮さんを含め、あっという間に討伐賛成に三票が入る。参加者は七人だから、あと一票でも入れば討伐は可決成立だ。
いろはさんの擁護演説もあって、会議室内の空気は討伐に大きく傾いている。
そんな矢先に立ち上がったのは、千鶴さんだった。
「乙女座は反対を表明します」
若宮さん以外の全員が、目を剥いて千鶴さんを振り返った。「式神が主人と反対の意見を表明するなんて聞いたことがありませんよ」と雛遊先生が頬をつく。
けれど当の若宮さんは千鶴さんの意思を知っていたようで、彼だけは驚いた様子を見せなかった。
「土地神様と争うべきではありません。この議論は古くより何度も行われ、民は慣習にならって贄を捧げたことも、土地神様に立ち向かったこともございます。結果はみなさまがご存知の通り。土地神様を祓えた者は誰一人としておらず、立ち向かった者はみな死に絶えました。過去に学ぶということも大切でしょう」
静まり返った会議室に、僕もおずおずと手を挙げる。
「僕も、反対に票を入れたいです」
小さな声に、今度は若宮さんを含めた場の全員がこちらを見た。
「なんで……」
誰よりも蒼白な顔で驚いていたのは、星蓮だった。
僕を救うため、僕が十八になるまでに土地神様を食べることを人生最大の目標とする星蓮にとって、僕の討伐反対は裏切りにも感じられただろう。
なにも弁明ができなくて、僕は手を挙げたまま俯くしかなかった。