第八夜┊十一「人議は争いやまず」後編
「……君は?」
尋ねてきたのは、直前まで若宮さんを怒鳴りつけていた男の人だった。
よりにもよって一番怖そうな人に声を掛けられてしまって、ぎゅっと星蓮の背もたれを握る。
若宮さんにもらった紙面があるから、向こうからは顔が見えないはずだけど、遠目でも星蓮を怪異だと見抜くような人にこんな紙面が通用するのかは甚だ疑問だった。
「魚座の連れですよ。彼がいないと魚座が参加しないと言うので連れてきました。彼を追い出すなら自動的に魚座も不参加になり、人議の開催要件を満たさなくなります。つまり即時解散ですね」
これ以上有意義な話し合いができないようならば、それも良いのではないでしょうか。
乾いた笑顔を見せる若宮さんを無視して、牡牛座——総司さんは、意外にも僕に和らいだ視線を向けた。
「立っていても仕方ないだろう。ここに座りなさい」
そう言って、総司さんが自分の隣の椅子を引く。「Ⅳ」の立て札が倒されている座席は、星蓮と総司さんの間の席だ。
ありがたい申し出に、萎縮したまま一歩席へと寄った途端、「承認しかねます」といろはさんの固い声が飛ぶ。
「議席は鍵を持つ出席者のみに与えられたもの。魚座の参加継続のため、その少年をそこに立たせることは許容しますが、着席は不要です」
「問題ない。鍵も此処にある」
総司さんが僕の手を取って、司会のいろはさんに見せつけるようにかざす。
いつの間にか僕の手に握らされていた金属片には、「Ⅳ」の文字と羊の意匠が掘られていた。
「第四席、牡羊座……! 待ってください、それは一体誰の鍵ですか」
「この子が持っているのだから、この子のものだろう」
「そんな馬鹿な……。いくら総司さんでも、そのような手品擬きで議席を譲り渡すことは認められません」
「なんでだ? 鍵は譲渡も奪取も認められてるんだろ。仮にその鍵が元はそのおっさんの持ち物だったとしても、本人たちが認めてるならもうその鍵はそいつのものだ」
星蓮が味方に入るが、「鍵の譲渡は認められていますが、正式な手続きが必要なんですよ」と雛遊先生が困ったように補足をくれる。
若宮さんは傍観を決め込んだようで、面白そうに話の行く末を見守っていた。
「……それにその鍵、壊れていますよね」
少しためらってから、雛遊先生が続ける。
天秤座は絶対中立なのだと、以前雛遊先生自身が言っていた。たとえ相手が厳格な父親であっても、不正を見逃すわけにはいかなかったのだろう。
確かに、僕の手に握らされた鍵は、持ち手の装飾部分しかなく、そこから下は折れてしまっていた。
しかし、持ち手部分だけを見せるように握らされているこの鍵が、どうして壊れているとわかったのだろうか。さしこみ部分は僕の手で見えなかったはずなのだけれど。
「あれ、そういえばこの前、鍵の下半分を貰ってなかったか?」
星蓮に言われて、思い出した僕もポケットを漁る。
キーケースに入れていた半分の鍵は、星蓮が作ったクッキーから、めぐりめぐってコンちゃんに譲ってもらったものだ。
取り出したブロンズシルバーの金属片は、今見ても確かに鍵の差し込み部分だった。
二つの金属片を合わせると、気持ちいいくらいぴったり一つの鍵になる。
「うわ……っ」
瞬間、持っていた鍵が眩しいくらいに発光して、僕は思わず目を瞑った。
爆発したのかと思ったけれど、恐る恐る目を開けると、鍵は何事もなく僕の手におさまったままだ。
ただ、その鍵の継ぎ目はなくなって、完全に一つの鍵になっていた。
「……鍵の修復、初めてお目に掛かりました。それって壊れても直せるものだったんですか。私たちも、うっかり壊してしまっても捨てないように気を付けましょうね」
「うっかりで人議の鍵を壊す奴があるか」
「おや、いけませんよ肇さん、すぐそこに壊してしまった人が座っているんですから」
若宮さんがわざとらしく総司さんに視線を向けながら声をひそめる。驚きのあまりか、苦言を呈する雛遊先生の口調は砕けていた。
若宮さんに向けた苦言を、勝手に総司さん宛ての悪口へと変換する若宮さんに、「お、おい、違う! 俺を巻き込むな!」と雛遊先生が声を荒らげる。さっきまで暗い顔をしていたから心配していたけれど、いつも通りの二人の様子にほっとした。
「それで、この少年をいつまで立たせておくつもりだ。子供を立たせて自分は悠々と席に座るような趣味は持ち合わせていない」
騒ぐ二人を無視して総司さんがもう一度椅子を引く。いろはさんはイレギュラーな出来事の連続に眉間を押さえていたが、やがて「……承認します。牡羊座代理、着席を」と促した。
「よかったな」
「はあ、寿命が二年くらい縮んだ……」
こそっと耳打ちして笑う星蓮に、疲れ果ててそう返す。
十八までの命なのに二年も縮んだら、僕の寿命が尽きてしまう。
ちらりと反対隣の総司さんを向くと、彼もこちらを見ていたようで目が合ってしまった。
もっとも、何度も言うように僕は紙面をつけているので、あちらから顔は見えないはずだが。
「……飴は好きか」
「え」
「苺と薄荷、どちらがいい」
いや、両方やろう、と自己完結して、総司さんが僕の手のひらに飴を二つ渡してくれる。
子供が好きなのだろうか。やたらと僕に良くしてくれる男の人は、さっきまで若宮さんにすごい剣幕で迫っていた人と同一人物だとは思えない。
ありがとうございます、とお礼を言う僕に「会議室内での飲食は禁止です、牡羊座代理」といろはさんが力なく注意していた。
「まあまあ、飴なら会議室を汚すこともないでしょう。あ、私は薄荷で」
「お前にやる飴はない」
「つれませんねえ。あなたから見れば十六も二十二も大して変わらないでしょうに」
「お前、高校生と張り合うつもりか」
「残念でしたね肇さん、二十四は年齢オーバーみたいですよ」
「二十一は飴をいただけるのでしょうか? 私は甜瓜がいいです」
会話に乗って口を開いた千鶴さんに、総司さんが無言で飴を渡す。
「二十一はいいんだ」と内心で呟きながらも、姉を蔑ろにしなかった総司さんに、僕の中の好感度が急上昇した。
黄色の包みは甜瓜ではなかったようだが、千鶴さんは容赦無く包みを開いて、中身を口に入れた。
「檸檬の味がします」
隣から「俺、薄荷がいい」と言われて、僕も星蓮に薄荷を渡す。
残った苺の飴を口に入れて、僕を含めて七人しかいなかった参加者の半数弱が、飴により口を閉ざすこととなった。
「さて、ようやく静かになったことですし、そろそろ議題に移りましょう」
「騒がしい奴だけが残ってしまったな」
「ならば私にも飴をくれれば良かったんですよ」
からりと笑う若宮さんは楽しげで、さきほどまで会議室を満たしていた重い空気はもうどこにもない。
飴を舌で転がしながら、「さすが人たらし」と星蓮が僕に向かって呟いていた。