第八夜┊九「祓い屋たちの饗宴」後編
「折角のお酒とお食事なのに、箸が進んでいないようですね。一献いかがです?」
「悪いが、こいつは未成年なんだ。違うものにしてくれるか」
「あら、そうでしたか。では此方の葡萄じゅうすを」
酒瓶からジュースに持ち替えた千鶴さんに勧められるまま、僕のグラスが紫紺の液体で満たされていく。
僕の姉だと伝えたからか、星蓮も強く断るようなことはせず、大人しくグラスに葡萄ジュースを注がれていた。
「その燭台のこと、自覚はあるんだな」
「ええ勿論。かさねさんはきちんと説明してくださりましたから。私をどのように連れ去り、どのような環境下に置き、どのような封具で縛るのか。それはそれは、一つ一つ丁寧に」
手酌で日本酒を注ぎながら、彼女もちびちびと酒を舐める。先の星蓮の話から、式神とは過酷な扱いを受けるのだと思っていたが、彼女はかなり自由奔放に見えた。感情を制限されているからかもしれないけれど、少なくとも悲愴感は全く感じられない。
他の招待客もいくらか式神らしきものを連れているが、食事に手を出す者はひとつもいなかった。じっと主人の背後で控えているだけだ。酒瓶を持って歩き回るのはこの人くらいのものだろう。
……ところで、式神も酒に酔うのだろうか。
「おまえ、もしかして……」
『これより人議を開場します。出席者は移動を。残られる皆様は、どうぞ引き続きご歓談ください』
凛としたアナウンスが響いて、星蓮の言葉が遮られた。
会場の中央で、若宮さんの妹さんが右奥に続く廊下を示している。全員が一斉に妹さんを見たが、会場のほとんどの人間がそのまま視線を戻していた。
事前に言われていた通り、会議の出席者はそんなに多くはないようだ。
「千鶴さん、招集が掛かりました。……おや、お食事中でしたか」
迎えに来たらしき若宮さんが、隣に寄ってそっと千鶴さんに声を掛ける。他の招待客には彼女の名前を知られたくないのだろうか。小声で名を呼びながら、ふと見下ろした彼女が盃を手にしているのを紅い瞳が見咎めたが、乾杯の一杯だろうと見逃されたようだった。
「気に入った料理はありましたか?」
「ええ、この『すぱーくりんぐ日本酒』は甘口で好みです」
彼女が掲げた青いボトルに、若宮さんの頬が引きつる。視線が即座に度数を確認していた。
五パーセントの数字に胸を撫でおろしながらも、続けられた「……お酒は初めてですよね?」という言葉に、僕らは揃って戦慄する。当たり前のように酒瓶を持っていたから、てっきり飲み慣れているのかと思っていた。
「ご気分は?」
「未だほんの一口ですから。ふふ、心配性ですね」
「あなたはこのあと『お披露目』があるんです。酩酊していては万が一のことも……。いえ、余計な心配でしたね」
揺らいだ紙面の奥から、ゆったりと愉悦の色を覗かせる灰簾石の瞳を確認して、若宮さんが息を吐く。
僕らはそのお酒が「二本目の」一口目だということについては、あえて触れないでおいた。
世の中、知らない方がいいこともあるだろう。
「おひろめって何ですか? さっき、鴉取って人にも言ってましたよね」
「式神の力自慢のようなものですよ。人議のあとの恒例行事でして。新しく引き入れた式神や、祓い屋の子供をデビューさせるための場なんです。お披露目をする者は、主人と式神の二人一組で挑戦者を迎え入れ、敗北するまで二対二の勝負を続けます」
「じゃあ、今日は千鶴さんのお披露目なんですね」
——九尾の狐ではなく。
考えてみれば不思議な話だ。九尾の狐を捕らえた祝いの席なのに、そこでお披露目するのは別の式神だなんて。
「よろしければ君たちも参加してみませんか? 他の人達では千鶴さんの相手にはならないでしょうから」
「なんだ、とうとう自分から俺の晩餐になりに来たか。オードブルじゃ物足りないと思ってたところだ」
「残念ですが、人間側に危害を加えた時点でそのペアは失格ですよ。戦うのはあくまで式神同士。……もっとも、本人が了承すればその限りではありませんが」
まるで、人間が戦う『お披露目』を見たことがあるような口振りで、若宮さんが笑う。
「勝ったら何か貰えるんですか?」
「君は意外と現金ですね……。お披露目は家名と誇りを賭けた勝負ですから、大々的には褒賞はありませんが……。そうですね、君たちが勝ったら何でも一つ、質問に答えましょう」
「本当ですか」
喉を鳴らした僕を、若宮さんは意外そうな顔で見下ろした。
「そんなに聞きたいことがあるんですか?」
「はい。ちなみに、質問する相手は千鶴さんでもいいんですか」
僕の問いに逡巡しつつも、若宮さんは答えを彼女に委ねたようだった。視線で返答を託された千鶴さんが「私は構いませんよ。お披露目への参戦、お待ちしていますね」と答えて、盃に残っていた酒を煽った。
「さて、皆さんを待たせています。退屈な会議ですが、そろそろ行きましょうか」
盃をその場に残すと、千鶴さんは鎖を揺らして若宮さんの後ろに続く。
感情を抑制されている件はさておいて、やはり彼女は若宮さんを悪く思ってはいないようだ。
「魚座、君も出席者ですよね?」
「さっき危ない目に遭わせたばかりだ。こいつを置いては行かない」
「……困りましたね。主催代理は融通の利く方ではありませんが、君がいなければ議席が足りない。良いでしょう、私と共に入れば入り口で止められることはありません。小手鞠君もぜひご一緒に」
差し出された手に、ふと違和感を覚える。
……あれ。僕、若宮さんに名前を教えたことあったっけ。
若宮神社で名を聞かれた時はかたくなに固辞したはずだが、そういえば九尾の狐を追うときに、雛遊先生が僕の名前を呼んでいただろうか。
それは確かに「僕」を指す名称ではあるけれど、あまり千鶴さんには聞かれたくないなと思いながら、僕も三人の後に続いた。