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第八夜┊八「祓い屋たちの饗宴」前編

挿絵(By みてみん)

 豪華絢爛に飾り立てられた会場では、長いテーブルの上で数々の料理が湯気を立てている。

 綾取あやとりいろはが主催代理を務める会合ならば、その味も折り紙付きだろう。

 背後に付き従う千鶴ちづるさんに、何か栄養のあるものを取り分けてやろうと踏み込んだところで、熱病にかかったような声に四方八方から取り囲まれた。


「お久し振りです。お聞きしましたよ、例の狐を仕留めたそうで」

「さすが若宮様。あの九尾を配下に加えられるとは」

綾取あやとり家の神獣もこれで二体目。亡きご両親もさぞ鼻が高いでしょう」

「やはり若宮様こそ、綾取あやとりの次期当主として相応ふさわしい」


 ……うんざりする気持ちを笑顔に変換する処世術は、七つになる頃には既に身に付けていた。



 今回の会食は、名目上では祝いの宴だ。

 単独指定されていた九尾の狐を無力化し、危険を排除した功労者をねぎらう会。


 しかし会場の人間は、若宮かさねを迎合する者と、嫌悪する者で大きく二分されている。

 ——綾取あやとり当主に、若宮かさねと綾取あやとりいろはのどちらを推進するのかで。


 つまらない家庭事情をこんなところにまで持ち込んでほしくはないのだが、私をどうしても権力争いの場に引っ張り出したいらしい有象無象が、表面だけを取り繕った祝辞を口々に述べては取り囲む。これはこれで鬱陶しいが、少し離れた場所では妹の派閥の者たちが、値踏みするように無遠慮な視線をこちらに向けていた。

 粘つく視線と悪辣な言葉は、私よりも背後の彼女を指し示すものだった。


「見よ、あのおぞましい数の封具を」

「あれが噂の新しい式神か」

「若宮様も随分ないわく付きを迎え入れたものだ」

「いくら強かろうとあの様子では……」

「しかし若宮様は、あれを引き入れるために婚姻の契約までり行ったとか」

「怪異と婚約するなど前代未聞だ」

「ふん、所詮は形ばかりの契約よ。潰れるまで酷使して、すぐに次を探されるであろう」

 

 ひそめられているはずの声が、虫の羽音のように耳に障る。

 千鶴ちづるさんは可愛らしい人だが、今はその美貌をつると書かれた黒い紙面が覆っていた。顔を隠し、無数の鎖で幾重にも力を封印された彼女の姿は、大衆の目におぞましいものとして映っているのだろう。


 檻紙おりがみ千鶴ちづるがその顔を晒せばそんなれ事も引っ込むだろうが、こんな場所で知らしめてやるほど彼女の名は安くはない。私がなにかを口にするより早く、隣の彼女が紙面の隙間から一瞥をくれてやると、雑音の主は慌てて居住まいを直した。

 

「黙らせましょうか」

 

 私の不機嫌に気付いてか、千鶴ちづるさんがそっと私に微笑みかける。甘くおもねるような声色とは裏腹に、耳元で囁かれた言葉は物騒だった。

 彼女がその気になれば、会場全体を黙らせることは容易だろう。

 その光景を想像して少し愉快な気持ちになりながらも、「やめておきなさい」と彼女をたしなめる。

 

「低俗な者ばかりだ。耳を傾ける必要はありませんよ」


 彼女の甘い香りを掻き消すように、煙管キセルの煙が後を追う。調剤された葉はいくら燃やしても無臭だが、誘引の香りと混ざると怪異の五感を強く鈍らせる。

 会場内には鼻のく式神もいくらか居たが、この煙の中では誰も彼女の正体を見抜くことはできないだろう。


 唯一の懸念はあの怪異アレルギーを持つ少年だったが、警戒されるどころか、やけに親しげな様子だった。

 藤の花(しか)り、やたらと綺麗なものを好む子だから、千鶴ちづるさんの姿は彼のお眼鏡めがねに適ったのだろうか。

 しかし、彼女の方もやけにあの少年を気にかけていたように見える。


「あの少年とはお知り合いですか?」

「どうでしょう、私にもわかりません。……本当に知らないのか、それとも私の記憶が欠落しているだけなのか」


 俯く千鶴ちづるさんに、「それもそうですね。つまらないことを聞きました」と返して、彼女の皿にサラダとローストビーフを取り分けた。聞いたところでわかるはずもない。千鶴ちづるさんにはほとんどの記憶がないのだから。

 友人であったはずのはじめさんやいろはさんとの思い出さえ、彼女の中には残っていない。


「不思議なものですね、彼の正体はいつも誰も知らないという」


 かつて亡くなった二人の子供。

 雛遊ひなあそびカルタと、小手鞠こでまり言葉ことは

 そんな二人を掛け合わせたような「小手鞠こでまりカルタ」と名乗る少年に、名の通りの正体なのではとおよその見当はつけていたのだが、その予想は九尾の狐を追ったあの夜に覆された。


 小手鞠こでまりカルタは、千鶴ちづるさんが張っていた檻紙おりがみの結界を、いとも容易たやすく解除してみせた。

 それは、檻紙おりがみの血筋でなければできないこと。


 けれど女系家系の檻紙おりがみ家に、男児はいない。

 檻紙おりがみ家唯一の生き残りであり、一人娘だった千鶴ちづるさんはここにいるのだ。


 あの少年は一体、誰なのだろうか。




 ✤



 

「え?、あ、……ええ?」

 

 星蓮せいれんは、今しがた若宮さんたちが通っていった会場への扉と僕を交互に見ると、もう一度「ええ……」と呻いて頭を抱えた。

 千鶴ちづるさんが僕の姉だという情報は、彼の中で処理しきれないほどの衝撃だったらしい。

 

「いいのか? おまえの、その……姉さん? 式神にされちゃってたけど」

 

 普段ならこういったことには口を挟まないでいてくれる星蓮せいれんだが、さすがに僕の姉が祓い屋の式神にされている、というのは彼をもってしても緊急事態らしかった。

 きっと、僕が「よくない」と言えば、星蓮せいれんはどうにかして若宮さんから姉を取り戻そうとしてくれるのだろう。

 しかし僕は、怪異のこともさながら、式神だとかそういうものについても全く詳しくないので、彼の狼狽ろうばいぶりについていけていなかった。

 

「式神って、そんなにまずいの?」

「そうだな、俺も知ってる限りのことしか判らないけど……。式神っていうのは、大前提として怪異なんだよ。人の身から怪異に落ちたのなら、それだけでも哀れなことだ」


 彼の言葉に、思い起こせば元人間の怪異には出会ったことがなかったなと気付く。餓者髑髏ガシャドクロには死霊もいくらか混ざってはいたが、それ単体で怪異になれたわけではない。

 それに僕らは、大火事の話を聞いたばかりだ。その被害者が怪異にまで落ちたのだとしたら、その苦痛と未練は想像を絶するものだったのだろう。


「その上で、怪異から式神にされるっていうのは、実質終身刑みたいなものだ。人の代わりに最前線で戦わされ続ける歩兵。怪異になった未練も果たせず、死ぬまで命令に従うのみ。……もちろん、自分の意志で式神になる奴もいるだろうし、怪異のままでいるよりも式神になった方が良かったケースもゼロじゃあないだろうけど、あの人がそうとは限らないからな。しかも相手が、あの綾取あやとりだし」

「前にも言ってたけど、若宮さんってそんなに酷い人なの?」

「陸を泳げば嫌でも耳に入る。あれは一番触っちゃいけない祓い屋だ。綾取あやとりの辞書に情状酌量じょうじょうしゃくりょうの文字はない。分かるだろ、おまえとは正反対の性質だ。怪異は出会い頭に殺す。怪異じゃなくても疑わしきは殺す。人間の命が最優先。よく言えば人間を守ってくれる最大の防波堤だけど、その分怪異から買った恨みの数ははかり知れない。……おまえの姉がどんな環境にいるのか、これで伝わったか?」


 星蓮せいれんが心配そうに僕を見る。

 脅かし過ぎるつもりもないけれど、ある程度伝えなければ僕にその危険性が判らないだろうと思ってのことだろう。なるべく過激な言葉を避けて教えてくれる。

 心の中で三百を数え終えた僕は、会場への扉を開きながら星蓮せいれんの言葉を反芻していた。


「確かにちょっと心配だけど……。千鶴ちづるさん、そんなに困ってるようには見えなかったし、もう少し様子を見たいかな」

「うーん、あんまり言いたくないんだけどな……。あの人は多分、困ったり悲しんだりはできないと思うぞ」


 あの燭台が見えるか? と指し示された先では、千鶴ちづるさんが若宮さんの隣で優雅に着物の裾を翻していた。

 引き摺られた鎖がじゃらじゃらと重たい金属音を奏で、その先に繋がる四つの燭台には揺らめく炎が灯されている。


「俺はああいう小細工に詳しくないけど、あの燭台は感情を封じるものだ。少なくとも手前の一つは『怒り』。隣は恐らく『悲しみ』。あれがある限り、おまえのお姉さんが自分の境遇を嘆いたり、怒りのあまり主人に逆らうようなことはないだろうな。……人の倫理に反したえげつない封具ほうぐだ、寒気がする」


 星蓮せいれんが吐き捨てるけれど、やっぱり僕にはよくわからなかった。


 ——怒りと、悲しみ。

 その二つの感情が封じられているということは、あの人は何をされても、怒ることも悲しむこともないということ。


 それは……、それは果たして、不幸なのだろうか。


 何を知っても、何をされても、怒りも悲しみも芽生えないというのは、ある意味幸せなことではないのだろうか。それとも、それを封じなければならないほど、あの人の日常は怒りと悲しみに溢れているのだろうか。


 燭台は四つ灯されている。

 一つが怒り、一つが悲しみなら、あとの二つは……。


「『憎悪』と『罪悪感』ですよ」


 おどろおどろしい内容とは裏腹に、ひどく柔らかい声音だった。

 いつの間にか、目の前に「つる」の面が迫っている。じゃらじゃらとした音を引き連れながら僕に顔を寄せるその人は、なぜか日本酒の瓶を抱きかかえていた。



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