第八夜┊三「往路から既に雲行き怪しく」
夜型の僕は、基本的に朝が苦手だ。
今日が日曜だということもあって、僕の起床は随分と遅かった。もぞもぞと手を伸ばし、触感だけで枕元のスマートフォンを探る。土日は音が鳴らないよう設定してあるが、画面いっぱいに表示されたデジタル時計は、すでに今日の午前が終わりかけていることを示していた。
休日の僕がいわゆる「モーニング」の時間帯に起きられないことは星蓮も把握しているので、土日の僕に朝食という概念はない。
先週は星蓮のために朝食を作る約束があったから、頑張って起きただけだ。
その結果も散々だったので、僕は諦めて土日の朝は布団の中で過ごすことにしている。
「こら、二度寝するな。時計見ただろ」
布団を被り直した僕をとうとう見咎めたらしく、星蓮の手で至福のぬくもりは引き剥がされた。
今日は人議の日だ。十五時には雛遊先生が迎えに来てくれる予定になっている。
「そろそろ起きろ、あと三時間ちょっとしかないぞ」
「あと二時間半寝られる……」
「おまえがここから頭を覚醒させるのに三時間かかるだろ。早く顔洗ってこい」
僕の扱いを心得ている星蓮が冷たい水を一杯くれて、僕はようやくベッドから降りた。
洗面台に放り込まれて、軽く顔を洗う。夏の水道水は真水でもぬるかったが、こうしてモーニングルーティーンを始めると脳も動き出してくるから不思議なものだ。
ぼんやりとした頭でも、午後からの人議のことを考えると少しだけ胸がざわめいたが、雛遊先生と一緒なら大丈夫だろうと思い直して、寝癖の残る髪に櫛を通した。
「カルタ、今いいか? 電話が鳴ってる」
ノックとともに星蓮が洗面台の扉を開く。彼の手には、ベッドの上に放置したままだった僕のスマートフォンが掲げられていた。
前述の通り音もバイブレーションも鳴らない完全ミュート状態なのに、よく着電に気付いたなと思いながらそれを受け取る。雛遊先生からだ。
「もしもし」
『おはようござい……す、小手鞠君。急にすみま……、ちょっとトラブルが……』
電話の向こうの雛遊先生は、やけに焦った声をしていて、僕も段々目が覚めてくる。
出先から掛けているのだろうか。酷く電波が悪く、しばしば音声にノイズが走っていた。
『……から、先に行ってて貰えますか。このあと住所を送ります。迎えに行くと言っていたのにすみ……せ……』
「えっと、どこにいるんですか? 大丈夫ですか?」
『はい、私は大丈……です。エントランスホールについたら、綾取さんが来るまで絶対に中には入らな……さい。迎えに行くようお願いし……ですが、綾取さんの位置が探知……きない……、…………。申し訳……、……星蓮君と二人で……』
「若宮さん? 探知できないって……、行方不明ってことですか?」
『彼なら問題ないで……う、恐らく一緒にいる式神のせい……、……。会場には直接……、……さい。それから、どうか……、……。…………アトリ……気を付け……』
ぶつ、と音がして、強制的に電話が切断された。
奇妙な電話に僕は首を傾げて、隣にいた星蓮を振り返る。
「聞いてた?」
「聞こえた。とりあえず俺らは先に行ってろってことでいいんだよな。しかしあいつ、どこで何してるんだ……? 背後でいろんな声がしてたけど」
「え、そんな声してた?」
僕には雛遊先生の声しか聞こえなかったが。
深く考えると怖くなりそうだったので、それ以上は尋ねないことにした。
しばらくして、ショートメッセージに会場の位置情報が送られてくる。星蓮にも送ると電車を調べてくれたので、道中のナビゲーションは彼に任せることにした。
それにしても、最後の警告はなんだったのだろうか。「アトリに気を付けて」と言っていたように聞こえたが、僕はアトリという名称に覚えがない。念のため星蓮にも聞いてみたけれど、「俺も知らないな」という返答だった。
「歩くと少し掛かりそうだな、もうそろそろ出るか」
「若宮さんと一緒にいる式神のせいで、居場所が探知できない……みたいなこと言ってたけど、九尾さんと一緒にいるのかな」
「他に式神いないって言ってたし、そうなんじゃないか? 確かに狐は探知しづらいからな。あいつの兎も見つけられなかったんだろう」
そういうものなのだろうか。そういえば、九尾の狐を探すときも、若宮さんは自分で見つけられないから僕のアレルギーを頼ってきたのだった。
なんとなく、若宮さんが九尾の狐を連れて歩くなんて意外だな、と思ったけれど、彼らが一緒にいると言うのならそうなのだろう。
礼服なんてものは持っていないので、僕らは慣れ親しんだ制服に袖を通す。特に必要な持ち物もないし、星蓮の案内に従って僕らは駅を目指した。
✤
「……うわー」
到着駅から歩くこと二十分。決して駅チカとは言えない距離だったが、目の前にそびえる巨大な門を前にして、そりゃあこの敷地面積は駅チカでは確保できないよな、と納得した。
——綾取離宮、迎賓館。
鮮やかな赤の柱が並ぶ建物は、まるで中国のような建築様式をしている。迎賓館の周辺には、四方を囲うように池の水が張られていて、対岸に植えられた枝垂れ柳とともに、煌びやかな離宮の姿を水面に映し出していた。
門から迎賓館の入口まで、緩いアーチを描いて渡された真っ赤な橋では、既にいくらかの人が往来している。僕は欄干に手を掛けて、池の中を悠々と泳ぐ鯉を見下ろした。
門に掲げられている建物名には、どこかで聞いたことのある名字が付属している。
ここはきっと、若宮さんの生家の一部なのだろう。
思い返してみれば、若宮さんは「人議の日時を知らされない」とは言っていたが、「場所を知らされない」とは一度も言っていなかった。
主催者が綾取家の当主代理ならば、会場を提供していてもおかしくはない。
「……なんとなく、若宮さんが日時を知らされない理由がわかった気がする」
きっとその当主代理さんは、役目を放棄して出ていった者に、家の敷居を跨がせたくなかったのだろう。
さすがにいい大人なので、会場で大喧嘩なんてことはないだろうが、僕らが食事を終えるまでは何事もないといいな、と望みの薄い希望を胸に秘めながら、僕と星蓮は開放された正面入口の扉をくぐり抜けていった。
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