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第八夜┊二「ふたつの甘味」後編

 宮司ぐうじ殿の帰りは、常よりさらに遅かった。

 丑三つ時も回った頃になってようやく、口元を押さえ、ひどい顔色でふらふらと石段を登っていた宮司ぐうじ殿に肩を貸す。

 こういう手助けを好まない人だと理解してはいたが、遠慮するだけの余力も無いようだった。

 医者にせた方がいいのではと思ったが、見透かしたように「問題ありません……、やしろで少し休めば良くなります」と言葉(ずく)なに固辞される。

 半ば強引に担ぎ上げる形で、宮司ぐうじ殿の住居を兼ねた社務所に連れ帰ると、慣れ親しんだやしろの空気に触れたからか、少しだけ宮司ぐうじ殿の顔色が和らいだ。


「貧血の気があるようだ。何も口にしていないのではないか?」

「食べる気が起きなくて。気にしないでください、よくあることですから」

「……甘味があるのだが、少しでも口に入れる気力はあるか」


 食事も喉を通らないと主張する者に、果たして今それを出すのが正しい行為なのか私には分かりかねたが、彼女に言われた通り、よく冷えた甘味——あんみつを、紙袋のまま匙とともに盆に乗せて、枕元まで持ち寄った。


 宮司ぐうじ殿は訝しそうにその様子を眺めていたが、私が出してきたものが何であるか理解すると、くつくつと堪えきれなかった笑いで喉を鳴らす。


「ああ全く、あれほど外へ出てはいけないと言ったのに……」


 そう言いながらも綻ぶ目元は、少しも怒ってなどいなかった。

 ——私は、人々のこういった慈愛や気遣いの気配がとても好きだ。

 己のもたらした吉事をよろこばれることには劣るものの、こういうささやかな優しさに触れると、私の小腹も満たされる。私にとっての甘味のようなものだった。


「ありがたくいただきます。……ああ、匙をもう一つ用意してもらえますか」

「わかった。彼女を起こして来よう」

「いえ、千鶴ちづるさんではなく……。袋の中身を確認しなかったのですか?」


 中身があんみつであることは、彼女から聞いて知っている。これは宮司ぐうじ殿にてられた預け物だからと中を覗き見るようなことはしなかったのだが、宮司ぐうじ殿に言われて私もその袋に視線を落とした。


 中にはフルーツと白玉が飾り付けられた、あんみつのカップが二つ、行儀よく並んでいる。

 そのうちの一つには、藤色の折り紙でメモがつけられていた。


『九尾様へ。お近付きの印です。ここの白玉くりいむあんみつは絶品ですよ。同じ神社に住まうものとして、ぜひこの味は知っておいてくださいな』


『追伸。本日の楽しいお出掛けにつきましては、かさねさんには内緒ですからね。重ねてお願い申し上げます。千鶴ちづるより』


「……」

「……」

「……さて、匙をもう一ついただけますか? 折角ですから、あなたも一緒に召し上がってください」


 何も聞かずに笑顔を向ける宮司ぐうじ殿と彼女の双方に申し訳なく思いながら、そっとその場を離れて匙を探しに行く。

 ……あのメモは、宮司ぐうじ殿に渡す前に処分しなくてはならないものだった。

 彼女もまさか、袋ごと冷蔵庫に入れられるとは思っていなかったのだろう。宮司ぐうじ殿()てだからと気を回したのが裏目に出てしまった。

 項垂うなだれながらも匙を持って戻った私に、「これでは千鶴ちづるさんを叱れませんね」と宮司ぐうじ殿が笑って、私の隣に腰掛ける。


「私がここにいられる時間は短い。私が居ない時、この神社と彼女を、あなたに任せても良いでしょうか」


 紅い瞳が、揺らぐことなく私を見つめる。

 この神社と彼女は、宮司ぐうじ殿にとって命にも代えられぬ大切なものであろう。

 それを私に託してくれるということが、言葉よりも確かな信頼の証であることも、神殺しと呼ばれる宮司ぐうじ殿が、神獣である私に物を頼むということがどれほどのことであるのかも、私は理解していた。


 宮司ぐうじ殿の言葉は吉兆の力への期待ではなく、「私」個人への頼みであった。

 私自身が安らげるようにと願ってくれる者はいたが、吉兆の神獣ではなく「私」に頼み事をする者は、後にも先にもこれが初めてのことであった。


 ここに住まうものの幸せは、あの少年にも願われている。

 それになにより、私を過度にあがたてまつるわけでも、吉事をもたらす偶物として使い捨てるわけでもなく、隣人として対等な関係を築こうとしてくれる彼らに、私もなにかむくいてやりたかった。


あい分かった。留守中のやしろ千鶴ちづる殿の安全は、この私が保証しよう」

「ありがとうございます」


 宮司ぐうじ殿はほっとしたように、彼女に似た微笑みを浮かべると、あんみつをすくって口元へと運ぶ。

 土産の品は宮司ぐうじ殿の好物らしく、食べ進められるあんみつに安堵して、私も匙を手に取った。

 瑞々しいあんずとクリームを、餡とともに匙へ乗せる。


 

 人間の食べ物で私の腹は満たされないはずだが、「お近付きの印」であるそのあんみつの味は、確かに私の心を満たした。




 ✤




「やはり赤の方が映えるでしょうか。しかしこちらの白梅のかんざしも捨てがたい。……どう思いますか?」


 花飾りを両手に持った宮司ぐうじ殿に尋ねられて、はっと我に返る。

 随分と長いこと物思いにふけっていたが、目の前の光景は少しも変わっていなかった。

 

「……宮司ぐうじ殿、そのペースでは日が落ちてしまう」

「しかし髪飾りは重要でしょう。大事なお披露目ひろめなんですから、少しでも千鶴ちづるさんに似合うものを選んでさしあげたい」


 言いながら、次の箱へと手を伸ばす宮司ぐうじ殿は「こちらの方がいいでしょうか」と私に別の花飾りを見せてくる。

 仮にも吉兆の神獣。人に化けて村に紛れ込んでいた間ならいざ知らず、この私を九尾の狐と知った上で、こんな風に気安く話し掛けられることは今までになかったが、彼らの距離感はとても気楽で過ごしやすかった。


「その奥にある、黒の椿はどうだろうか。檻紙おりがみを示す濡羽ぬればの黒に、綾取あやとりの椿。千鶴殿の髪にもよく映えるし、宮司ぐうじ殿の髪の色に近い」

「それにしましょう」


 喜んでそう答えたのは、それまでされるがままだった千鶴ちづる殿だった。宮司ぐうじ殿の髪色に似ていると言われたのが決め手だったようだ。

 本人の希望となれば宮司ぐうじ殿も異を示すことはなく、最後だった髪飾りも決まったことで、二人の支度は整った。


 ただ花飾りを選んだだけなのに、彼らは揃って「ありがとうございます」と笑顔を向ける。

 彼らの感謝で腹が満ちるのを感じるとともに、私はまだ、彼らに何の慶事けいじもたらせていないのに、一体なぜ……、という疑念が拭えない。

 礼を言われるようなことは、何も出来ていないというのに。


 彼らが私に対して多くを求めることはない。ただ神使しんしとして、穏やかにここにればいいのだと思ってくれていることはわかっている。

 けれど、私は彼らに、もっと私の能力を求めて欲しかった。

 私を必要として欲しかった。


 ……現状の幸福に満足できず、さらなる幸福を求めてしまう欲深さは、決して人間だけに限った話ではないようだ。



「かさねさん、九尾様は一緒に連れて行かないのですか? お留守番は寂しいでしょう」

「あなたの言い分は判りますが、あんな魑魅魍魎ちみもうりょう共の跋扈ばっこする場所に九尾の狐など連れて行けません。あっという間に鍋にされてしまいますよ」

「……人議ひとはかりは人間の会合であったはずだが」


 私の言葉に、「怪異よりも恐ろしい人たちの集まりですからね」と宮司ぐうじ殿が肩をすくめる。

 それが私を連れて行かないための建前ではなく、心からの言葉であることを知っているがゆえ、食い下がるようなことはしなかった。

 それに私には、留守中の宮を守るという使命がある。


「私はここで待つ。道中気を付けて行ってこられよ」


 願わくば、針のむしろへと旅立つ彼らに、吉事があらんことを。

 片手を振る千鶴ちづる殿たちを鳥居の手前で見送りながら、私はありったけの力で祈った。




 ✤




 ——私が零落れいらくしてしまったら、きっと宮司ぐうじ殿が弓を引くのだろう。

 怒りも悲しみも呑み込んで、彼は人のためにそうせねばならない。

 かつて愛猫に矢を向けた彼が、同じような結末を想像し得ないはずがないのだ。


 だが、そんな立場の宮司ぐうじ殿が、神獣である私へ斯様かように心を砕いてくれるのならば、私も彼らに応えたい。

 隣人として、彼らと共に歩んでいけるように。



 境内けいだいに落ちた葉でも払おうかと、社務所しゃむしょに戻って箒を手に取る。

 二人のいない神社はいつにも増してひどく静かだったが、私はこの宮にひとり残されても、もう孤独を感じることはなかった。




村を出て零落しかけていた九尾の狐が、若宮神社で心身ともに元気を取り戻していくお話。


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イラストの帯と髪飾りが対になっているのか。このエピソードでやっと気が付きました。あってるかな?
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