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第八夜┊一「ふたつの甘味」前編

 私を迎え入れた人間たちは、いつも私の能力に興味を持ち、次なる慶事けいじを求めた。

 人間は一度ひとたび吉兆きっちょうの権能を目の当たりにすると、やがて同程度の吉事では満足できなくなり、更なる慶事けいじを求めるようになる。

 穏やかに暮らしていたあの老夫婦ですら、私が村から大量の食料や反物たんものを持って帰ってくることに、次第に驚かなくなっていった。


 良く言えば順応。悪く言えば、それが人間の欲深さだ。

 帝ほどではないにしろ、大なり小なり人間にそういう特性があることは理解しているし、それを罪だとは思わない。

 なぜなら私は、人によろこばれることが好きだから。


 何も求められぬよりは、私に吉事を期待してくれる方が遥かに有り難かったのだな、と目の前の光景を眺めながら過去の人々に想いを馳せる。


 私が若宮の神社に宿されて、はや一週間。

 本当に人間なのだろうかと疑うほど、彼らは私の吉兆の能力に何の興味も示さなかった。




 来客のない神社では、今までずっと閉ざされていた本殿ほんでんの扉が全開になっている。

 開放的な入り口の奥では、役目を終えて剥がれ落ちた無数の護符の上に、あらゆる着物と鮮やかな花飾りが散らばっていた。

 

「♪」


 ご機嫌な様子で身体を預ける女の長い銀髪を、宮司ぐうじ殿が結っていく。

 本日は人議ひとはかり。彼女にとっては久し振りの外出になるからと、めかしこむ彼女の着物を宮司ぐうじ殿が四時間かけてようやく選び終えたところだった。

 当の本人は自分の召し物に大して興味がないようで、されるがまま着せ替え人形となっていた。


 ちなみに、彼女の外出は決して久し振りではなく、宮司ぐうじ殿の目を盗んではたびたび本殿から抜け出している事を私は知っている。

 あの日のことを思い出すと、なんとなくやましい気持ちに囚われてしまって、私は仲睦まじい二人の様子から目を逸らした。


 


 ✤




 宮司ぐうじ殿はいつも朝早くに出掛け、夜更けまで帰ってくることはない。

 神使しんしとはいえ閑静な神社を掃き清める以外にすることもなく、どうしたものかと顔を上げる。その目の前で、厳重に封じられていたはずの本堂が内側から開かれた時は、さすがの私も言葉を失った。


「あら」


 少女と女性のあわいのようなその女は、私を見て特段驚いた様子も、悪事がバレて慌てふためく様子も見せなかった。

 なんの脈絡もなく、手近に供えられていた蜜柑ミカンを掴むと、「どうぞ」と差し出してくる。


 ……人に施すのが好きな人物なのだろうか。あの老母もそうであった。

 こういうときは、貰ったものをその場で食してやった方が人はよろこぶ。特段腹が減っていたわけでも、蜜柑ミカンが好物なわけでもないが、私は礼を言って蜜柑ミカンを剥き、口に入れた。

 

「食べましたね」


 女の声は柔らかく、その笑顔には何のてらいもなかったが、なぜだろうか。あの宮司ぐうじ殿に近しいものを感じた。


「これであなたも共犯でございますね、九尾様」


 可憐な花のような笑顔とともに手向けられた女の言葉に閉口する。賄賂ワイロだったのか。

 神使しんしの口を封じるには、随分と安い袖の下だった。


 くれぐれもかさねさんにはご内密に。叱られてしまいますから。

 女はそう言って、機嫌よくやしろを出て行った。

 その後を追うように、首に繋がれた鎖がザリザリと地面を擦って音を立てる。


 彼女に繋げられた鎖のほとんどは、彼女の能力や身体を本堂に繋ぎ留めるための封具であったが、その首につけられた首輪と鎖だけはただの拘束具であったことを、私はずっと疑問に思っていたのだが。


「……まさか脱走防止の引き紐(リード)だったとは」


 彼女の処遇に対して、宮司ぐうじ殿を疑う気持ちがあったことを心の中で詫びる。同時に、宮司ぐうじ殿の苦労が垣間見えて、私がしっかり支えてやらねば……と心に誓った。


 さて、彼女はなかなか帰ってこなかった。

 鎖もあるし気配も辿れる。たまの気分転換ならば、出先にまで付き従うのは野暮であろうと見送ったが、段々と傾いていく夕日に焦りが募った。

 神社にまつられているのは彼女であったから、神使しんしたる私の真の主人は彼女ということになる。そうでなくとも、留守中の彼女に何かあったと知れば、宮司ぐうじ殿が許しはしないだろう。

 私は門限を十六時に定め、帰らぬ彼女を探しに街へと降りた。


 とはいえ鎖を辿るだけだ。彼女はすぐに見つかった。

 夕焼け色に染まった袋小路で、小さな背中がぼんやりと立ち尽くしている。彼女の立ち振る舞いには名家の令嬢らしい気品があったが、その後ろ姿はどこか所在なかった。

 

「あら、九尾様」


 私に気付いた彼女が、先程と何ら変わりのない笑顔を向ける。その手には、「三ツ橋」という甘味処らしき名が刻まれた、小さな紙袋を抱えていた。

 迷ってしまいました、と頬に手を添えて首を傾ける彼女に、そうであろうなと息を吐いて、帰路を先導する。


 恐らく彼女は、長いこと眠っていたのだろう。目を覚ましたのはここ最近のことなのではないだろうか。

 記憶と違う街並みに、彼女がたびたび足を止めてしまうのだということを、この先彼女が脱走を繰り返すごとに私も学習していくことになる。

 あの首輪と長すぎる引き紐(リード)は、脱走防止ではなく、迷子防止なのだということも。


「甘味が食べたいのならば、今度から私が買ってこよう。小間使こまづかいとでも思って、気兼ねなく言い付けるといい」

「私も好きですが、これはかさねさんへのお土産なんです」


 彼女は愛おしそうに紙袋を撫でて、頰を染めながら私を見上げた。

 己を幽閉し、封じ込め、鎖に繋ぐものへの、絶対的な愛をその瞳に宿しながら。

 

「よく冷やして、帰ってきたら渡してあげてください。今夜はきっと、いつもよりお疲れだろうから」


 彼女はそう言い残すと、神社に着くなり本堂の封印を元通りに直して、その中で眠りに就いた。

 ほんの数刻語らい、歩いただけだが、随分と消耗してしまったようだ。


「……無理もないか。あの封具の数では歩くのも辛かろうに」


 嬉々として自らを封印し直していた様子を見るに、この生活に嫌気が差して脱走しているわけではないようだ。ただただ、あの甘味を求めて隣町まで向かったのだろう。

 少し歩くだけで疲れてしまう身体だというのに、どうしてそこまでして。

 言付け通りに甘味を冷やしながら、私は釈然としない思いを抱えていた。




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