第八夜┊序幕「シュレーディンガーの鶴」
ここは昔から、霊障の多い土地でした。
怪異が集まるこの地では、事故や神隠しが多く、日照りによる不作が続き、多くの者が度重なる不幸に見舞われてきました。
超常的な悪意を前に、人々は神に祈るしか手立てがありません。
しかし、怪異が視えるものたちは、それが怪異の仕業であることを悟ります。やがて彼らはさまざまな護符や封具を手に、怪異に立ち向かうようになりました。
その中でも特別に優れた家門の者を、人々は「御三家」と称して崇め奉りました。
神々さえも打ち祓い、全てを殲滅する綾取家。
結界を張って人々を守り、治癒を施す檻紙家。
数多の術に秀で、封印と使役を得意とする雛遊家。
名家三家を筆頭に、この地は怪異と人間の争いを繰り返してまいりました。
その中でも檻紙は、この地に御座す土地神様を強く強く信仰し、代々当主の命を捧げてきました。
今でこそ三家が怪異から人々を守ってくれるようになりましたが、人々が怪異に立ち向かうより遥か昔、怪異の脅威から民を守ってくれたのは、土地神様だけでしたから。
霊障や不作が続くと、土地神様にどうか我らをお守りいただけますようにと祈りを捧げ、多くの民が人身御供となりました。
しかし、神子であった檻紙の者は、土地神様がとても少食でいらっしゃることを存じています。
伝承に刻まれた無数の犠牲は、民が見返りを求めて勝手に行ったこと。
土地神様は邪智暴虐の怪異などではありません。
私は民にそれを説いてまいりましたが、かつて人々を守った神は、今や檻紙当主を喰らう、ただの怪異の成れの果て。誰ひとりとして耳を貸すものはありませんでした。
時代錯誤も甚だしい狂信者だと使用人たちにも気味悪がられ、私の齢が六つになる頃には、外にも出して貰えなくなりました。
そうして地下牢に幽閉されることとなった私を、きっと不憫に思ってくださったのでしょう。
土地神様は、私にとても親しくしてくださいました。
しかし十年前、あの災禍が全てを奪ってしまったのです。
檻紙家の大火災は、使用人七十二名と檻紙家当主、及びその一人娘の檻紙千鶴を巻き込んだ、計七十四名の死者を出しました。
遺体の損壊は激しく、顔どころか男女の判別すらつかない有り様だったといいます。
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ところで、「しゅれーでぃんがーの猫」という言葉はご存知でしょうか。
ろくでもない思考実験なので詳細は省きますが、箱の中の猫が半分の確率で死んでいても、箱を開けるまでは生死が確定しないので、猫は半分死んで半分生きている状態であるという風説です。
檻紙千鶴は高確率で死んでいますが、100%ではありません。
遺体の人数は合致していましたが、子供の遺体も確かにありましたが、それが確実に檻紙千鶴での遺体であったことを証明できる者は誰もいないのですから。
それに。
もしも、檻紙千鶴があの夜に焼けて死んだのならば……。
ふふ。ここにいる私は、一体誰なんでしょうか。
これは「しゅれーでぃんがーの檻紙千鶴」が、ようやく整えられた舞台に上がって、その生死を確定させるためのお話です。
箱の中の私は、果たして。
生きているのでしょうか、それとも……——。