表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【C106出展】幻想奇譚あやかし日記  作者: 惰眠ネロ
怪異アレルギーと美術室の怪談
4/106

第一夜┊四「顔のない女」

 ✤



 どうしたものかな、と独りごちながら一歩下がる。

 目の前では、また顔無し女が柱に激突していた。


 こんなのんびりしたやつ、朝まで追いかけられたって捕まることはないだろう。しかし、この寒気はいただけない。このままでは、彼が風邪をひいてしまう。

 夜の大冒険はこんなに長丁場になるはずではなかったのだが、閉じ込められるとは誤算だった。

 ちらりと彼を視線で追う。ちょうど四つめの扉を開いたところで、「KEEP OUT」と書かれたテープで厳重に覆われた扉など、彼にはまるで見えていないかのように通り抜けていく。天井から下がる吊り看板には「美術室」と書かれていた。


 ……もうそろそろいいだろうか。思っていた展開とはズレてきてしまったし、彼も随分と怖い思いをしているようだ。

 かわいそうなことをした。こんなはずではなかったのに。


 短剣を握って、女に向き直る。

 刺されることを恐れない様子からして、どうやらこいつは切りつけても無駄なようだ。

 ならば……。


「おい! こっちを見ろ!」


 背後から掛けられた声は、きっと顔無し女に向けられたものだったのだろうが、あまりの剣幕につられて俺も振り返る。


 美術室から顔を出した彼は、両手でキャンバスを掲げていた。

 キャンバスには、こちらを向いて座る女生徒が描かれている。だが、かつては丁寧な色使いで描き上げられたであろうその一枚は、やけに色褪(いろあ)せてしまっていた。そんなキャンバスの中央で、夕焼けを背に眩しい笑顔を向けている少女の笑顔は、向日葵(ヒマワリ)のようにそこだけ色付いて見える。

 乾ききっていない絵の具がなお瑞々しさを増して、嬉しそうに語りかけてくる少女の表情は今にも動き出しそうだ。

 彼が描いたのだろうか。肖像画と目が合って、俺は一瞬反応に困る。

 だが彼は、動きを止めた顔無し女に自分から近寄ると、そのキャンバスを彼女に差し出した。


「見つけたよ、君の探していたもの」


 先程の剣幕とは打って変わって、彼が掛ける声は驚くほど優しかった。

 ……どんなにいい女でも、怪異はダメだと言っていたのに。


 顔無し女は、描かれた顔をじっと見つめると、徐々にその姿を霧のように消していく。

 消えゆく瞬間、かすかに見えた真っ白な顔には、淡く薄紅を引いた口元が映っていた。




「嗚呼、良かった。やっと描き終えられたのですね……」




 ✤




 彼女は、絵を描くのが好きでした。

 ()える彼女は教室に居場所がなく、いつも美術室にこもっては、(ひと)りで絵を描いていました。


 緋色が舞い散る桜の木。

 錦鯉の踊る夏の池。

 中秋の名月と、月明かりに照らし出された(ススキ)

 初雪の降り積もった、枯れ木と石造りの庭……。


 この校舎の怪異であった私は外に出ることは叶わず、窓の外の景色すら、(うかが)い知ることはできません。

 私は、彼女が映し描く絵で季節を知りました。

 彼女の繊細な筆使いが、白いキャンバスの中に無数の花を咲かせていくのが好きでした。


「あなた、人は描かないのですか?」


 ある日、うっかり彼女に声を掛けてしまったのは、彼女があまりにも寂しい絵を描いていたから。

 誰もいないのに揺れる、夕暮れの中の無人のブランコ。

 彼女は無口でしたが、彼女の描く絵はひどく雄弁でした。

 彼女の寂しさが、人を恋しく思う気持ちが、その絵からは痛ましいほど伝わってきました。


「私は好きなものしか描かない。ゆえに人は描かないのだ」


 彼女は、怪異である私に気付いていながら、気にも留めずに返事を寄越(よこ)しました。

 

「しかし、あなたは人がお好きでしょう」

「好きなものか。あのような分からず屋ども。誰があいつらを守ってやっていると……」


 べしゃ、と筆先が乱暴に水入れにつけ込まれて、透明だった水を赤く濁らせていく。

 その様子すらも、私にはいとおしく見えました。

 彼女の手ずから色付けられるものは、キャンバスも、筆入れの水も、私には変わらず美しかったのです。


「襲われていたから助けてやったのに、この私を魔女だとさ。ふん、ならばあのまま食われてしまえばよかったのだ」

「成る程、祓い屋のご息女なのですね」

「なんだ。気付いていなかったのか」


 筆先がパレットから新たな色をすくいとって、帆布(はんぷ)のキャンバスに乗せていく。

 流れるように描き出されていく風景が、命が、たまらなく輝いて見えました。


「どうして、私のことは放っておかれるのです?」

「おまえはなんにもしていないだろう。年がら年中、私の絵を眺めているだけではないか」

「私はこの西校舎から動けないのです。校舎を建てるときに、下敷きにされてしまって」

「ふうん。おまえ、元は兎か鳥だったのか」

「わかりません。もう自分が何であったかも忘れてしまいました」

「なら、私が描いてやろうか」


 自分の姿形も思い出せず、己の輪郭さえ縁取れない影のような私に、彼女はそう言ってくれたのです。


 とても嬉しかった。

 舞い上がるほどの喜びでした。


 私は、彼女の絵に魅せられていました。

 彼女の指先から生み出され、色付けていただけるのなら、それがどんな姿でも構いませんでした。

 それになにより、彼女は言っていたではありませんか。


 彼女は、()()()()()()()()()()()()()()と——。



「希望はあるか」と問う彼女に、私は彼女と同じ学生服の姿を所望しました。

 彼女は少し困ったように首を傾げていましたが、すぐに「いいだろう」と頷いてくれました。


 私には、わかっていました。

 彼女に人間の友人がいないこと。

 彼女が、心の奥底ではそれを求めてやまないこと。


 だから私は、彼女に人間の姿の私を求めたのです。


 私が人の姿をいただければ、形だけでも彼女に人間の友人を作ってやれる。

 放課後に友人と美術室で語らう、わずかばかりの思い出を、彼女に残してやれる。

 きっともうすぐ、私を置いてここを卒業していく彼女に……。



 彼女が祓い屋であったことは、彼女の口から聞くまで知り得ませんでしたが、「御三家」と呼ばれる祓い屋が怪異からひどく恐れられていることは、私の耳にも届いていました。


 筆を扱う、雛遊(ひなあそび)

 怪異を封じ、従え、意のままに操る人形使い。


 彼女の苗字がきっとその家系のものであることは、絵筆を握る指にたこができていることから、なんとなく察しがつきました。

 しかし雛遊(ひなあそび)家は絶対的な男系家系。女児はどれほど優れていようと、家門の一員と見なされない。

 同じ墓に入れることすら忌避され、雛遊(ひなあそび)家の女の死体は海に撒かれるのだと、彼女はキャンバスに向かいながら毒付いておりました。

 

 家の中にも居場所はなく、(まな)()にさえ居所(いどころ)はなく。

 そんな彼女の、わずかばかりの支えになれるのならば、それより幸福なことはありません。


 彼女に描いてもらえるなら、彼女の絵の中に封じてもらえるなら、私はそれでも良かったのです。

 例えその絵が持ち帰られずとも、この美術室に永劫(えいごう)置き去りにされるとしても。

 ほんの少しの間、この西校舎で彼女と肩を並べて語らえる存在になれるのであれば……。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ