第七夜┊一「灰と戦争の跡地」
「「キッチンが、直ってる——っ!!」」
一日ぶりに帰ってきた寮室は、全てが見違えるようだった。
ピカピカになったシンクを前に、僕は星蓮と手を取り合って喜びを分かち合う。
前のものよりさらにグレードアップして、オール電化になったキッチンでは、IHタイプのコンロに、内蔵された最新型のオーブン、さらにはビルドイン式の食器洗い機までついていた。
星蓮ならばすぐに使いこなして、今よりさらに手の凝った朝食を用意してくれるだろう。
ちなみに僕は、星蓮からの必死の頼みでキッチンは出禁になってしまった。無理もないけれど。
「おまえが俺の作ったものを喜んで食ってくれるのは嬉しいし、料理はこれからも俺が頑張るから……、その、悪いけど、ここから先は立ち入り禁止な……?」
星蓮がダイニングとキッチンの境目を指で指しながら、なるべく僕を気遣いつつ嘆願する。
僕としても、直ったばかりのキッチンで第二次戦争を起こすつもりはない。
というわけで、朝食当番は完全に星蓮の仕事となった。
それにしても、今日ここに至るまでさまざまな出来事があったが、思い返せばあっという間……。
そう、九尾の狐の一件から、実はまだ丸一日しか経っていないのだった。
✤
神社からの帰り道、雛遊先生に寮まで送ってもらいながら「そういえば、君たちは今回どうして綾取さんにご協力を?」と尋ねられたので、僕らが今から帰る場所は灰と戦争の跡地であることを簡潔に明かした。
にこやかに僕の説明を受けていた雛遊先生だが、話が進むにつれてその顔は段々と色を失っていき、「え?」と聞き返す頃には土気色になっていた。
「冗談ですよね? キッチンって壊せるものなんですか?」
壊せるのかと聞かれても、事実壊れてしまったのだから仕方ない。
こくんと首を縦に振ると、雛遊先生はぱっとスマートフォンを取り出して舎監に電話をかけ、ものすごい勢いで謝り始めた。
そこからの行動は早かった。
雛遊先生は30分も経たないうちに修理業者を決定し、段取りを整え、隣接する寮室の生徒には「しばらく工事の騒音が聞こえるかもしれませんが、ご了承をいただけますでしょうか」と丁寧に詫びて承諾を得ると、再び舎監に報告を入れる。
各方面に手際よく連絡しながら、折り返しの電話を待つ合間で僕らに「そんな規模の破壊活動、いくら修理のお金を積んだって人知れず直せるはずがないでしょう! 大体、壊れたシステムキッチンを運び出した時点でバレバレでしょうが!」と一喝した。
「待ってください、誤解です。僕は朝食を作ろうとしただけで、破壊活動なんてそんな大それたことをしたわけじゃ」
「……破壊活動で合ってると思うぞ」
僕は、破壊活動と書いて料理と読むケースを初めて知った。
珍しく星蓮が雛遊先生側について、味方を失った僕はあえなく撃沈し、二人に「ごめんなさい」と謝る。
大人に叱責されるというのは、もしかすると僕の人生史上初めてのことだったかもしれない。
雛遊先生も怒ることあるんだな、と思う一方で、以前愛色さんが言っていたように、自分のためを思って叱ってくれる人がいるというのは良いものだなと実感する。
念のため寮室内を検めると主張する雛遊先生に、僕らは少しばかり躊躇したものの、とても断れる状況ではない。
なんのおもてなしも(物理的に)できない自室に仕方なく招待すると、雛遊先生は声にならない悲鳴を上げた後に「ど、どうしてこんなことに……? 卵と手榴弾を間違えたんですか?」と目を白黒させていた。
灰と戦争の跡地という言葉が決して誇大表現ではなかったことを思い知ったようで、僕らはもう一回しっかりと叱られた。
「はぁ……。この惨状を隠し通せるつもりだった君たちにびっくりですよ。何にしても、怪我がなくて本当によかった」
「まあ正直、この部屋に帰ってきたところでどうしたらいいか俺にも分からなかったから、助かった」
「君は大抵のことに一人で対応できてしまうからこそなのでしょうが、こういう大人や他人の手が必要なケースでは、遠慮せず声をかけてください。君はきちんと代償を支払って人間としての身分を手に入れていますから、高校生としての権限をもう少し振りかざしてもいいんですよ」
他人に頼るとか、守られるという言葉はきっと星蓮には縁遠いものだろう。
けれど雛遊先生の言葉はちゃんと伝わったようで、「その点について不慣れな自覚はあるが、善処しようと思う。……ありがとう」と素直にお礼を言っていた。
実際、その後のすべては雛遊先生が取り仕切り、片付けてくれた。
そしてもう一人、九尾の狐もこの件において大いに力を発揮してくれたと言えるだろう。
僕らが寮に辿り着く頃には既に21時になりかけていた。本来ならば、どの連絡先も時間外だったはずだが、それらがたまたまスムーズに機能したらしい。
連絡した先の内装業者では、偶然にも納入直前でキャンセルになったシステムキッチン一式を持て余しており、工事を請け負う業者もまた、奇跡的にスケジュールに空きがあったというのだ。
話はトントン拍子に進み、30分も掛からない間に、明日一日でキッチンの交換を完了できるところまで漕ぎ着けていた。
これが九尾の言っていた「吉事」だろうか。だとしたら、神獣って本当にすごい。
素晴らしきかな、吉兆の力。そしてありがとう、雛遊先生。
「とはいえ、今夜と明日いっぱいは工事の邪魔になりますから、手狭で申し訳ありませんが、君たちは一日うちで預かることにします」
幸いにして、僕らには両親やその他連絡すべき親族というものが存在していないので、雛遊先生も許可を取る必要がない。
貴重品だけ持って着いてきてくださいと言われて、僕らはそれぞれ廃墟と化した寮室から、使えるものを探した。
「……で、おまえは何を持っていくつもりなんだ。貴重品の意味わかってるか?」
テーブルクロスに包まれた大きな絵画を背負う僕に、星蓮がじっとりとした視線を向ける。
もちろん中身は言わずもがな。僕らの寮室に飾ってあった絵画なんて一枚しかない。
「貴重品だよ」
「あ——。ほら、さすがに雛遊にも迷惑だろ。子供二人を預かる上に絵画の世話まで見切れねーよ」
「世話?」
藪蛇をつついた星蓮に、耳聡く雛遊先生が尋ねる。補足するまでもないことだが、通常、絵画に世話は必要ない。そして多分、これは僕らが思っている以上にデリケートな問題だ。
きっとこの絵画は、雛遊先生にとって大事な姉の最後の遺作であり、姉の友人だった怪異を封じたものになるのだろう。
連れ出す際に、寮室には工事が必要になるから、今日は別のところに宿泊するとだけ向日葵さんには伝えてある。
しかしそれが、雛遊カルタさんの弟の家であることは、向日葵さんには伝えきれていない。
このタイミングで対面させるには、双方に心の準備が足りていない可能性があった。
「えっと、大事な絵画なので、工事が終わるまで僕らと一緒に預かって欲しいんです」
「それは構いませんが、君が描いたのですか?」
興味津々な瞳で雛遊先生が僕を見る。
どうも僕に姉の姿を重ねてしまっているきらいがある雛遊先生は、僕が絵を描くという行為にひどく肯定的だ。
頷いたら「見せてもらえませんか」と言われるに違いない。
「ええっ、と、知人が描いたものを成り行きで預かってるみたいな状態で……」
「そうなんですね、わかりました。……安心してください。君が手を触れて欲しくないのなら、その絵画には触れませんよ」
でも、と続けて、雛遊先生はテーブルクロス越しに僕が背負っている絵画に、……その向こうにいる向日葵さんに、顔を向けた。
「叶うなら、いつか会話ができたら嬉しいです」
僕の背後で、向日葵さんが切なそうに息を詰めたのを感じた。
さすが、名家御三家の御曹司。テーブルクロスで包まれていても、これが怪異を封じてある絵画だと悟ったのだろう。
雛遊家は筆を扱う一族だが、そのほとんどは文字から成る。呪符や護符などの札を書いて使用したり、体に直接文字を書いて効果を発揮させるものだ。
絵筆を使って絵の中に怪異を封じるのは、雛遊家でも非常に特殊な能力で。
——きっとそれは、長女である雛遊カルタだけが出来たこと。
「ええ、近いうちにきっと。話は弾むと思いますから」
カルタさんのことを話すのが大好きな向日葵さんと、カルタさんのことを知りたいと思っている雛遊先生なら、きっと尽きることなく会話が続くだろう。
二人が仲良くなってくれるなら、お互いの心の傷を少しでも埋められるかもしれない。
僕は、二人がとても楽しそうにティータイムを過ごす姿を夢見ながら、雛遊先生の家で床に就いた。