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【C106出展】幻想奇譚あやかし日記  作者: 惰眠ネロ
怪異アレルギーと美術室の怪談
3/106

第一夜┊三「顔のない女」

 学生寮の門限は二十時だった。

 箱入り御用達だけあって非常に健全な時間設定だが、この手のものはいくらでも抜け道があるものだ。

 とはいえ、入ったばかりの学校でそんなリスクを冒したいわけでもなく、僕らはきっちり外泊届を出していた。

 届け出さえしてあれば、入り口の警備員や寮監に「やはり外泊をやめた」とでも言って、いつでも寮に戻ることができる。

 

「……随分手慣れてるのな。まだ寮生になって一月も経ってないっていうのに」

「なんだよ、僕が不純異性交遊に勤しんでるようにでも見えるか?」

「見えないけど」


 いっそ見えていて欲しかったが、残念ながら僕がどれほどおひとり様を極めているのかは、ルームメイトである彼が一番良く知っている。

 門限外の入出について詳しいのは、既に何度かやらかしている僕が、また怪異に出くわして門限に間に合わなくなった時のために調べていただけだ。

 それを実行に移すのは、今日が初めてなわけだけど。


「なんだかこう、悪いことをしてるって感じがひしひしと……」

「お、吊り橋効果出てる?」

「いやなドキドキだなあ」


 軽口を叩きながら、辿り着いた旧校舎の扉を開ける。

 新築同然の新校舎の裏手。学生寮を挟んで反対側の旧校舎は、数年前まで使われていたはずなのに、ひどく傷んで見えた。

 裏口らしきノブを回すと、ギィ、と重たく軋む音を立てながらも、中廊下へと続く暗闇ががっぽりと口を開けて僕らを迎え入れる。

 施錠もされずに不用心だな、と思いつつも、新校舎に通う面々は「入ってはいけませんよ」と言われれば大人しく頷いて絶対に近寄らない、お上品な学生ばかりなのだろう。

 そう考えると、嘘の届けを出してこんなところに来てしまっている自分たちは、結構な不良なのではないだろうか。

 

「顔無し女、いないなあ……」


 見渡すようにぐるりと懐中電灯を向けて、先導している彼があからさまに落胆する。

 僕としては、そんな扉を開けたらいきなり待ち構えているような、ドッキリホラーこそ御免こうむりたいので助かったのだけれど。

 怪異アレルギーも今のところ、いつも通りの痒みしか出ていない。きっと三尾のネズミのような小物がそこらを走り回っているのだろう。


 もっと大きなモノに出会うと、息苦しさや体中の痛みが出ることもある。失神したことだって一度や二度ではない。けれどそういう大きなモノは、そう簡単には姿を現さないのだ。

 彼らは普段、自由に往来を闊歩したりはしない。じっと息を潜めて、あるいは闇の奥で静かな眠りに就いている。

 怪異の性質にもよるが、目を覚ましていない大物には、アレルギーもほとんど反応しない。あったとしても、今みたいな左手の痒み程度で……——。


「なあ、なんか寒くないか?」


 白く(けぶ)る呼気を吐き出しながら、彼が振り返る。

 気付けば僕の奥歯も震えて、カチカチと音を鳴らしていた。

 

『異様な寒気と不気味な姿に』

『もし逃げ遅れてしまったら……——』

 

噂話の一節が脳裏を掠める。

——《いる》。直感的にそう悟った。


唐突に彼が持っている懐中電灯が点滅し始めて、視界が白と黒で交互に塗りつぶされる。

肌を撫でる空気が一段と下がって、もう春の気配はどこにも感じない。

 

「下がってろ」


 いざ遭遇したらパニックになるかもしれないと思っていたが、彼はさっと僕を庇うように片腕を広げると、暗闇が続くだけの廊下の奥を鋭く睨みつける。

 気付けば彼の手には、西洋風の小さな短剣が握られていた。

 好奇心からの物見遊山(ものみゆさん)だとばかり思っていたから、まさかそんな本気で怪異とやり合うつもりで来ていたとは予想だにせず、僕はびっくりして彼の肩を叩いた。

 

「怪異と戦って勝てるだなんて自惚(うぬぼ)れてないよな? 噂を聞いただろ、逃げ遅れたら顔を取られるんだ」

「でも、ここでやっつけておかないと、誰かが犠牲になってからじゃ遅いだろ」


 振り返りもせず僕にそう告げた彼は、本当にいいやつだと思う。

 だけど、世の中には出来ることと出来ないことがあるのだ。

 ()えもしない者が怪異に触れることはできないし、武器だって、霊幻あらたかな神具やら術具やらじゃない限り効果はない。

 純銀に(きら)めくお洒落(しゃれ)な短剣はずいぶんと高そうな骨董品だが、そんなオシャレ装備では相手にならないだろう。


 噂になるということは、「顔のない女」はきっと何人かに目撃されている。

 一般人にも見られているということは、三本尾のネズミのような下級な怪異ではない。

 きっと人を殺し、喰ってしまえるような化け物だ。


「これ以上はダメだ! 早く外に……」


 彼の手を引いて強引に外に出ようと思った瞬間、開け放たれていたはずの裏口の扉が、バタン!と勢いよく閉まる。

 あまりの物音に飛び上がって二人で振り返ると、裏口の扉を背に、やたらと細長い人影が立っていた。


 はっ、はっ、と小刻みになる息が、小さく白い湯気となっては立ち消えていく。外はすっかり春爛漫だというのに、旧校舎は先程よりも一層冷え込んで、まるで冷凍庫の中にいるようだった。


 先程まで役立たずだった懐中電灯が、突如使命を思い出したかのように息を吹き返し、ぱっ、と僕らの視線の先を明るく照らす。


 ——立っていたのは、女だった。

 古めかしい学生服と、箒のようにパサパサになった長い髪。

 枯れ枝のような手足とやけに長い首は、とてもじゃないが彼のいう「いい女」ではなさそうだ。

 そして、(すだれ)のような黒髪の隙間から覗く、目も鼻も口もない、まっしろな顔……。


「う、うわああああああ!」


 僕が悲鳴を上げるのと、彼がその女に飛び掛かるのは同時だった。

 彼は女のまっしろな顔に向かって短剣を振りかざすが、女は避ける素振りも見せず、むしろ自分から彼に顔を寄せていく。

 色も裂け目もないはずなのに、女の口元がニタリと笑った気がした。


「おっと」


 直感的にまずいと察知したのか、彼は着地するなり体を()らせて、寄せられていた女の顔を避ける。

 ガシャン!とけたたましい音がして、顔無し女は先ほどまで彼が立っていた背後にあった窓に、自らの頭を突っ込んでいた。


「なるほどね、顔を取るってそういう……」


 判子みたいに直接写し取る気なのだろう。顔無し女は再び彼を振り向いて、よたよたと近寄ってくる。

 幸いにして、女の足はあまり早くない。走って逃げれば()けるだろうが、それは先ほど音を立てて閉められた、裏口の扉が開けばの話だ。

 もしも扉が開かなければ、僕らは袋のネズミになってしまう。


「まいったな。『格好よく危機から救っていいところを見せれば、彼女と急接近間違いなし☆』って本に書いてあったのに」

「だからそれ、普通は恋愛対象にやるやつだからな!」


 こんな状況でもどこか呑気な彼につっこみをいれながら、何か使えるものがないかと走り回る。

 彼が顔無し女の相手をしてくれている間に、僕がなんとかしなければ。


 片端から廊下の扉を開いては、何かないかと物色する。

 旧校舎は思いのほか片付けられていて、かつては教室だったであろう部屋には、まっさらな黒板と、まばらに並んだ机と椅子しか見当たらない。

 このままじゃまずい。こういう「自分から出向かない怪異」は、蜘蛛の巣のように、自分の領域に入ってきたものを決して逃さないのだ。

 ——目的を果たすまでは。


 彼がのらりくらりと(かわ)した先で、また女が勢いよく壁に顔を突っ込む。コンクリートで塗り固められていたはずの壁は大きくへこみ、女が顔を突っ込んだ場所に向けて、いくつもの亀裂が走った。


 当たっていないからいいものを、あんなの一度でも彼がくらってしまえば、大怪我は免れない。

 僕は必死に考えを巡らせる。

 顔無し女の噂話。何か使えるもの。あの女の気を引けるもの……。


『なんでも夜の旧校舎では』

『顔無し女が何かを探して』

『夜な夜な徘徊してるんだって……——』


「顔……。そう、あの女は顔を探してるんだ……」


 ——四つめに開いた扉の先は、美術室だった。

 放置されたイーゼルの中には、こちらを向いて座る女生徒の姿が描かれている。

 だが、その絵の女生徒には、顔がなかった。


 何度も何度も塗りつぶされて、さまざまな色が混ざってしまった顔は、ぽっかりと穴が空いたように真っ黒に染まっている。


 僕は迷わず、絵のそばに置かれていた筆を取った。




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