第三夜┊五「彷徨う白骨」
「餓者髑髏は、生者を握り潰して喰らいます。喰らわれた者もまた、未練を残せば餓者髑髏を構成する一部となる。噂はあながち嘘ではありませんね」
雛遊先生は説明しながら、再び振り上げられた餓者髑髏の腕に飛び乗ると、持っていた紙をぺたりと貼り付けた。
先程手元で書いていたらしき矩形の紙には、達筆な文字で「勅令 直立不動」と書かれている。
七十二番の御籤の字と似ているな、なんて思う間もなく、コントロールを失い、力の抜けた両腕の骨が頭上からバラバラと降ってきた。
「っぎゃ——————!」
「全く、危ないなぁ。もうこれは喰っていいよな?」
月明かりの下で、星蓮の足元にあった影がぐにゃぐにゃと伸びる。
辺り一帯を暗闇にするほどの大きな影は、どこまでも広い口を開くと、降り注ぐ両腕の骨の影をぱっくりと呑み込んだ。
頭上に自由落下していた骨は霧の中に溶けるように消え去って、両腕を失った餓者髑髏はぎろりと真っ暗な眼窩を星蓮に向けた。
「先生、あれって成仏させたりできるんですか?」
「難しいことを言いますね……。あれの核だけを射抜けるような人ならそれも可能でしょうが、私には厳しいでしょう」
「なんだ、雛遊のくせに役立たずだな」
星蓮の謗言に「耳が痛いですね」と雛遊先生が苦笑する。
かくいう星蓮も広範囲を丸呑みしてしまう性質上、怪異と死霊を選り分けるのは難しいだろう。小骨の多い魚を食べるようなものだ。
「君は……、怪異を祓ったりはしないんですか?」
思い掛けず話を振られて、「え、僕ですか?」と間抜けにも自分を指してしまった。
やたら怪異に詳しい大人と、元大型怪異に挟まれてはいるが、僕はただのアレルギー持ちの一般人だ。一緒にしないで欲しい。
ぶんぶんと首を振って無理を示すと、雛遊先生は僕が戦力外であることを理解したようだ。ふむ、と顎に手を当てて、辺りを見渡していた。
「これらはごく最近集まったにしては大きすぎます。何か元凶となったものがあるでしょう。彼らをまとめて祀っていたもの……、祠とか地蔵の類ですね。それを直せば、恐らくは」
「じゃ、餓者髑髏はおまえに任せるぞ。俺はカルタと祠探ししてくるから」
「えっ、そんな勝手に……」
星蓮が僕の手を掴んで、有無を言わさず引きずっていく。大丈夫だろうかと雛遊を振り返ると、行っておいでの合図だろうか。笑顔で片手を挙げていた。
「骸骨の両腕もなくなったし、放っておいても平気だろう。腐っても『雛遊』だ。あいつも多分、俺たちがいない方がいくらか自由に動けるだろうさ」
星蓮の言葉に、向日葵さんによって語られた、美術室の彼女の思い出が蘇る。
——筆を扱う、雛遊。
怪異を封じ、従え、意のままに操る人形使い。
「あんなの、俺どころかあいつにだって大した事ない相手だから、そんなに心配する必要はない。あれを祓いも封じもせず、死霊だけ成仏させたいだなんて無茶振りするから、ちょっと時間がかかってるだけで」
「僕、もしかしてワガママなお願いしてる?」
「まあ、それなりに……」
星蓮の視線が泳ぐ。
僕をかなり贔屓目に見てくれる彼でこの反応なのだから、恐らく僕は相当な無茶を言っているのだろう。
「しかし祠か地蔵って言ってもなあ。屋外なんて探してたらキリがないぞ」
「西に……。西校舎の裏に行こう。きっとそこに何かあるはずだ」
七十二番:凶。西に困難来り——。
ポケットの御籤を握り締めて、星蓮に頼む。彼は一度だけ僕の顔を見ると、疑問をひとつも口にすることなく、言われた通り西へと進んでくれた。
「ああ、本当だ。なんだか禍々しいのがあるな」
星蓮に言われて暗闇に目を凝らすと、西の端で確かに、砕けた石の破片が散らばっていた。元は大きな石碑だったのだろう。破片には慰霊の文字が刻まれている。
そういえば、旧校舎を改築しようと最近工事が始まったらしい。どうやら工事の際に、封印の石碑が壊されてしまったようだ。
「これって、直せるものなのか?」
「あー、役割分担を間違えたな。こういうのは俺よりあいつの方が得意だろう……」
言い掛ける星蓮の肩から、なにかモフモフした白いものが飛び降りる。
きょろきょろと辺りを見渡しているそれらは、青い目をした三匹の兎だった。人魂を背負っているので、彼らも怪異なのだろう。
雛遊先生の命令で動いているのだろうか。
兎たちは散らばっていた石をせっせか積み上げ始め、不恰好ながら石碑が元の姿を取り戻していく。
「うわ、かわいい……」
「おまえ、こういうのも好きなのか……?」
星蓮は信じられないものを見る目で僕を見つめて、「クジラだって可愛いだろ?」とこぼす。
人類はモフモフの魅力には抗えないんだよ、と前置きしてから「でも僕はクジラ派かな」と付け足すと、星蓮は機嫌を直したようで、兎たちが運べなかったらしい一番大きな石碑を片手で掴んで一番上に置いた。
「さて、俺たちの役目は終わったな」
あっちはどうかなーと星蓮が振り返る。いつの間にか頭蓋骨は地面に伏して沈黙しており、雛遊先生がその上に腰掛けて夜空を眺めているのが見えた。「うわぁ」と星蓮が睥睨する傍らで、組み上がった石碑の中央に、兎の一匹が札を貼った。
石碑は微かに鳴動すると、ひび割れた部分が埋め立てられるように整っていく。
「ほら、見なさい。君たちの死はきちんと悼まれて、丁重に弔われていますよ。もう暴れ回る必要はないでしょう」
僕達が石碑をもとに戻したことを確認すると、雛遊先生が餓者髑髏から降りて語り掛ける。
骨を構成していた無数の霊は、指し示された先に自分たちの慰霊碑を確認すると、組み紐が解けるようにまばらに輝きながら散っていった。
解放された霊たちが煌めきながら空へと還っていく中に、見知った顔がないか、求める顔がないかと僕は懸命に目を凝らす。
しかし結局、何も見つけられないまま、餓者髑髏の怪異は消え去っていた。
「君は……、絵を描かないんですね」
花火のような煌めきに照らされながら、どこか寂しそうに雛遊先生が呟く。その物憂げな横顔は夜空に儚く溶け込んでいきそうで、僕は雛遊先生が溶けてしまわないように、そっとスーツの端を握った。