第三夜┊四「彷徨う白骨」
「ねえねえ聞いた? 旧校舎の《這い寄る骸骨》」
「恨み辛みで死にきれず」
「夜中にガシャガシャ音がして」
「骸骨が這い寄ってくるんだって」
「もし捕まってしまったら」
「骸骨に魂を奪われて」
「あなたも這い寄る仲間入り」
「「ああ、恐ろしや恐ろしや」」
迎えた放課後。
聞こえてくる新しい噂話に、僕が口を開くより早く「ダメだからな」と星蓮が釘を刺す。
「まだ何も言ってない」
「旧校舎に行くって言い出すだろ。ダメ。骸骨なんて見たって面白くないし」
「だけど君は行くんだろう?」
う、と星蓮が詰まる。
彼が僕のために、とにかく多くの怪異を食べたがっていることを、僕は昨日の一件で知ってしまった。
「腹の足しになればいいけどな。骨なんて飲み込んでも喉に支えそうだ」
「骸骨を食べても大きくなれるのか?」
「人間みたいに血肉を栄養にしてるわけじゃないからな。もちろん、そういう意味で栄養価の高い怪異もいるけど」
馬とか、牛とか、もっと肉っぽいやつが。
そう答える彼に、「栄養価の高さなら、クジラである彼もなかなか負けていなさそうだな」と思いながら目線をやると、「お? 食べたいのか?」と何故か嬉しそうに立ち上がった。
……いくら栄養価が高くても、僕は友達を食糧としては見られそうにない。
「……とにかく、旧校舎には僕もついていくから、」
「いけませんね。旧校舎は老朽化していて危ないですから、敷地内は立入禁止ですよ」
背後から声を掛けられて、僕はそのままの姿勢で固まる。
授業を終えて出て行ったはずの雛遊先生が、柔らかな微笑みを携えて佇んでいた。
相変わらずそっくりな顔と視線が合った僕は「あ」と思い出して、ポケットに入れたまま渡しそびれていた、七番の籤を差し出す。
「これは?」
「えっと、深い意味はないので受け取ってもらえませんか」
怪しがられるかと思いきや、雛遊先生はとても嬉しそうに顔をほころばせると、その籤をまるで宝物でも手にするかのように両手で受け取った。
「ありがとうございます。君からいただけるものは、何でも嬉しいです!」
心の底から嬉しそうに、雛遊先生がはにかんでみせる。
なんだか星蓮の喜びように似てるな、と思ったが、受け取ってもらえてなによりだ。
雛遊先生は満面の笑みで七番の籤を開いて、それから、……あからさまに固まった。
ぴしり、と笑顔にヒビが入る音がこちらまで聞こえてくるようだ。
「……小手鞠君、これは」
「若宮神社のお御籤です。宮司さんが、最初に会った人に渡すと良いって。僕にはよく意味がわからなかったんですが」
「なるほど……。読んだんですね、これを……」
雛遊先生はしばらく額を揉んでいたが、ぱっと笑顔を貼り付け直すと、「それで、旧校舎でしたっけ」と何事もなかったように話を戻した。
「用があるのなら同行しますよ。生徒だけでは危ないので許可できませんが」
「えっ……と、そんな、先生についてきてもらうほどの用じゃないんです。おばけの噂を確かめたくて」
「構いませんよ。好奇心は知識向上に役立つ重要な資産です。門限までなら特別に許可しましょう」
気が変わったのだろうか。突然舞い降りた許可に「まあいいか」と僕は頷く。
星蓮の言う通り、僕は骸骨にはあんまり興味がない。
どうせ先生にも見えないし、星蓮の『お食事中』だけ僕が先生の気を引いていればいいだろう。
そう考えれば、人目を気にしてこそこそ旧校舎に行くよりも、先生の引率付きで堂々としていられる方が精神衛生上もいい。
僕らはこうして、陽の落ちた旧校舎に連れ立つことになった。
✤
夜の旧校舎は、薄明かりの月光に包まれ、どこか異様な雰囲気を漂わせていた。
一切の遊具が撤去された校庭は物寂しく、旧校舎を挟んで反対側に位置する昨日の庭園とは雲泥の差だ。
かすかに霧の立ち込める校庭を、懐中電灯を持った僕と星蓮が慎重に見て回る。そのうしろを雛遊先生が何も言わずについて歩いた。
「そういえば、今回の『噂』だと、旧校舎のどこにいけばいいのかわからないな」
前回は「中庭の池」とわかりやすい指定だったが、今回はヒントがないので虱潰しだ。星蓮がぼんやりとこぼしながら、顔無し女の時と同じように裏口の扉に手を掛ける。
と、「どこに行くんです?」と雛遊先生が不思議そうに呼び止めた。
「建物の中にはいませんよ。餓者髑髏は大きいですからね」
「がしゃどくろ?」
尋ね返す僕に、雛遊先生は微かにたじろいで、「……小手鞠君、怪異についての知識やご経験は?」と謎の確認を挟んできた。
そんな、アルバイトの面接みたいなことを急に聞かれても、追い回されたご経験しかない。知識に至っては皆無と言ってもいいほどだ。
嘘をついても仕方ないので、「さっぱりです」と一言に集約する。
「でも君、視えますよね?」
「えっと……」
突然怪異の話に言及されて、肯定すべきか否定すべきかわからず口ごもる。そんな僕を庇うように、星蓮が一歩前にでた。
「おい、カルタが困ってる」
「ああすみません。困らせるつもりは……。はあ、参ったな。じゃあ本当に、ただの見学のつもりだったのですか?」
一瞬口調が崩れた気がしたが、すぐに立て直すと、雛遊先生は僕に向かって尋ねる。
困らせるつもりどころか困っているのは雛遊先生の方らしく、整った眉尻が八の字に歪んでいた。
「あの七番籤は特殊な墨が使われていて、普通の人には白紙に見えたはずなんです。文字が読める君には、怪異も視えるはずなんですが」
縋るようにこちらを見られて、僕は悩んだ末に小さく頷く。
どうやら先生も視えるようだし、僕より知識もありそうだ。なにより、そこまで判っている人にならば、隠す必要もないだろう。
「視えると知ってて同行したんですよね?」
「私はてっきり……、君が、絵を描きたいのかと思って……」
雛遊先生が俯く。段々と尻すぼみになって、最後の方はよく聞き取れなかった。
何か声をかけようとしたところで、遠くの方から何かが這いずるような物音が聞こえてくる。
身構える僕とは対照的に、雛遊先生は項垂れたまま、ごそごそと力無く紙に文字を書いていた。
「餓者髑髏は弔われなかった霊たちの集まりです。死霊自体は怪異ではありませんが、それらを寄せ集め、一体の巨大な白骨として作り上げられる現象そのものを、私たちは怪異と見なし『餓者髑髏』と呼びます」
雛遊先生の説明を皮切りに、しん、と辺りが静まり返る。
先程まで遠くで聞こえていた新校舎からの談笑は、いつの間にか隔絶されてしまっていた。
白い霧が足元を覆い、木々や旧校舎の輪郭もぼんやりとしか映さない。風は冷たく、肌を刺すような寒気が漂っている。
撤去されたはずのブランコが、ひとりでに揺らめき、錆びた鎖が不気味な金切り声を上げた。
不吉な気配が、少しずつ近付いてくるのを感じる。共鳴するように、左腕がじくじくと熱を持ち始めていた。
薄暗い霧の中で、青白い人魂を複数連れ歩きながら、巨大な影が徐々に形を成していく。
霧の向こうから「ガシャン、ガシャン」と骨を打ち鳴らして這いずり寄ってきたものが、月明かりにうっそりと照らし出された。
昨日のナマズと同じような大きさをした頭蓋骨。そこから伸びる脊椎と、特徴的な肋骨。
骨の結合部には腐敗した肉がこびり付き、ぽっかりと空いた眼窩には、黒く深い闇が覗いている。
地獄から這い出してきたかのように、上半身だけを地面に横たわらせたその白骨は、胸元に僕らの姿を認めると、薙ぎ払うようにこちらに腕を伸ばしてきた。
「うわ……っ」
すかさず、星蓮が僕の襟首を引っ掴んで後退する。その場に放置された雛遊先生は、視線で僕の安全を確認すると、餓者髑髏を向いた。
「あれくらい俺なら一口だけど、食べたらおまえ、怒るよな?」
顔色をうかがうように星蓮がこちらを見る。
餓者髑髏そのものは怪異だが、要は死霊の寄せ集めだ。
中には僕の知っている人がいるかもしれないし、誰かの大切な人が混じっているかもしれない。
——そう。例えば、美術室で絵を描いていた彼女とかが。