第三夜┊三「彷徨う白骨」
もう一枚には何が書いてあるのだろう、と好奇心に負けて七番の御籤も開く。だが、なぜかそちらには運勢ではなく、七十二番より幾らか人間味のある筆文字で、「人議に来られたし。日時は尋ねられよ」とだけ書かれていた。
まるで、手紙のような文面だ。
「うーん……?」
書かれている内容が読み解けず、首を傾げる。
僕がこのあと最初に会うのは、鳥居の外で待つ星蓮だろう。彼にこれを渡せばいいのだろうか。
とりあえず元の通りに御籤を折りたたんでポケットにしまうと、僕は参道へと戻った。
若宮神社の入口は三十段ほどある石造りの階段になっていて、参拝客の少なさはこれも一つの要因なのではないかと思う。少なくとも、お年寄りには厳しい道のりだろう。
階段を下りきって、通学路に合流したところで、僕は走ってきた人に思い切りぶつかった。
「いたた……」
「ああ、大丈夫ですか。すみません、私の不注意です」
星蓮じゃない声がして、慌てて顔を開ける。
こちらを覗き込んでいた顔とバッチリ目があって、僕らはお互いに息を呑んだ。
——僕みたいだ。
思わず声に出そうになるほど、そっくりの顔がこちらを見下ろしていた。
僕と同じ蜂蜜色の髪に、よく似た顔つき。背は高く、僕よりはかなり大人びた輪郭で、伸ばされた髪は後ろで一つに括られている。
僕がもし女の人で、大人になったらきっとこんな感じなんだろうな、としか形容できない容姿をしていた。
しかし、先程の声は……。
「怪我はないでしょうか。生徒さんにぶつかるなんて……。申し訳ありません。どこか痛むところはないですか」
「えっと、大丈夫です」
再度掛けられた声に確信する。やはり男の人の声だ。
先程の若宮さんは、口調や物腰こそ柔らかいものの、男性であることを疑う余地はなかったが、この人はそれ以上にどこか女性らしい所作が垣間見えた。
声さえ聞かなければ、女性だと思い込んでいただろう。
それに、僕を『生徒さん』と呼んだ。
訝しげな僕の視線に気づいてか、男は僕の手を取って立ち上がらせると、流れるように名を名乗った。
「選択授業は今日からだから、一足早い『はじめまして』ですね。——私は、雛遊肇です。現国と古典の担当ですよ、小手鞠くん」
✤
古典の授業は、七限目だった。
放課後まであと一限となったクラスは、もうじき始まる初めての選択授業に浮き足立っている。
そんなテンションの教室だが、名簿に名前を書き加えたからだろうか。クラスでも半ば空気だった僕が、とたんに世界に認められたように名前を呼ばれるようになっていた。
「小手鞠くんって、ちょっと雛遊先生に似てるよね」
「あ、だよねだよね! 私も思ってた」
女子のそんなささやかな一言を皮切りに、僕の席のまわりできゃあきゃあと人だかりが出来る。
……これがモテ期か。
正直、「ひとりぼっちでかわいそう」と声をかけられることは多々あっても、こんな風に「僕」という存在を認知されて話し掛けられるのは初めてで、ちょっとドギマギした。
星蓮は「大変そうだなー」と頬杖をついてこちらを見ている。助けてくれる様子はない。
「その辺りにしとけよ。急に話し掛けられて小手鞠が困ってるだろ」
そう言って人だかりを散開させてくれたのは、出席番号七番、影踏とかげだった。
彼は特別親しいわけではないが、六人一列で机を並べられる僕らの教室では、出席番号七番の影踏とかげと十三番の僕は必然、最前列の隣同士になる。
机が隣という以上の交流はないけれど、辞書や教科書の貸し借りをしてくれる程度には仲良しである。
……それを仲良しと言えてしまうくらい、僕は星蓮の他に交流がないわけだけれども。
『今日のあなたは、七という数字に縁があるようだ』
あの宮司に言われた言葉が、ふと脳裏に蘇る。
数学では七問目を当てられ、体育では僕が七点目の得点を入れた。
やはりあの男は詐欺師ではなく、凄腕の宮司だったのだろう。そこまで考えて、そういえばあの七番の御籤は、最初に会った人に渡すよう言われていたことを思い出す。
即ち、雛遊先生に。
雛遊 肇は就任して二年目になる、若い男性教師だ。
担当科目は現国と古典。
年若い上に、甘いマスクと柔和な態度で、特に女子からの人気は非常に高い。メイン担当である古典は、選択クラスでありながら、人気のあまり人数制限が設けられるほどだ。
ちなみに僕は「採点が甘いらしい」という噂の方に惹かれて古典を選択している。
「はじめまして、雛遊です。必修科目の受け持ちはありませんが、選択クラスで追加の現代国語、及び古典文学を選んでいただいた皆さんと一緒に、言葉の持つ意味の深さや楽しさを学んでいければと思います」
若さと顔が取り柄の教師だと思っていたが、意外にも雛遊先生の授業は面白かった。
著者や登場人物たちの心情を深く掘り下げて、一読するだけでは判らなかった情報を丁寧に教えてくれる。
彼が語った平家物語は、教科書に載せられた文字の羅列ではなく、あまりの物悲しさに胸を掻き毟られるような、斜陽の物語だった。