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【画集2弾発売中】幻想奇譚あやかし日記  作者: 惰眠ネロ
怪異アレルギーと保健室の怪談
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第九夜┊二十五「幕が下りた舞台の中で」

 五枚の絵は、正当な手続きを経て雛遊ひなあそび家に引き取られることになった。


 そもそもカルタさんの描いた絵なのだから、本来はご遺族が持ち帰ることに何の問題もないのだけれど、向日葵ひまわりさんによって霊障の被害者も出ているいわく付きの絵だ。

 そのまま「はいどうぞ」というわけにはいかないらしい。


じゃの道はへびに、餅は餅屋に。こういうのは適材適所ですよ』


 ということで、早朝にもかかわらず連絡を受けた若宮さんが学校側と話をつけてくれた結果、「一時預かり」として引き受けた絵を横流しする形で、総司そうじさんはその絵を持ち帰る権利を得た。


「あの御座ござなし神社に何の価値があるのかと思っていたが、宮司ぐうじの肩書きにこんな力があるとはな。お前は神を祓う側の人間だというのに」

えない人間からすると、ハリボテの神社でもありがたみは変わらないんですよ。なんとなくご利益ありそう、と思わせるのが大事なんです』

綾取あやとり小倅こせがれが、随分と世渡りが上手くなったものだ」

『一時は下手すぎて多大なご迷惑をお掛けしましたからね、それなりに勉強したんですよ』


 電話越しの声に、「若宮さんってスマートフォン持ってたんですね。いつも僕のを使うから、てっきり持ってないんだと思ってました」と横から口を挟むと、『これは九尾さんのものをお借りしているんです』と返される。


「式神でさえ自分の端末を持っているのに、お前は持っていないのか」

千鶴ちづるさんも持ち合わせていないので、私たちに連絡が必要な際は九尾宛てにお願いします』

「買え。このご時世に不便だろう」

『いくらすると思っているんですか。雛遊ひなあそびの財力と万年赤字の神社うちを並列に語らないでください。私たちの収入はお宅より桁一つ少ないんですよ』


 一般人よりは裕福な自覚があるらしい総司そうじさんは、少しばかり口をつぐんでいたけれど「月50万もあるなら十分(まかな)えるだろう」と続けた。


『……。失礼しました。私たちにはゼロがもうひとつ足りていないようです』

「月5万だと……? 何の冗談だ。それでは一人分の生活もままならない。神社の維持費だけでマイナスだろう」

『はあ、まったく。さっさと絵と白衣を回収して帰ってもらえますか。貧乏人にはおしゃべりする暇も無いんですよ』

宮司ぐうじ殿、会話中にすまない。千鶴ちづる殿が「今日こそかさねさんに朝食をつくってみせます」と土間に向かった』

『すみません、急用ができたのでこれで。このままでは神社が吹き飛んでしまう』


 一方的な宣言の後、ぶつ、と慌ただしく通話が終了される。

 間髪入れずに若宮神社の方角から、花火のような小さな爆発音が聞こえてきた。

 ……今日も若宮神社は楽しそうだ。


「話はつきましたか」

「持ち帰りの許諾は得た。あとで人を遣わせる」

「そしたらあとは白衣やね。あんま時間ないけど大丈夫なん? 下校後に繰り越す?」

「問題ない。()()に準備を手伝わせる」



 総司そうじさんの言葉通り、美術室にび出された白衣は総司そうじさんに寄り添うと、嬉々として自分を祓うための準備を手伝った。

 慣れ親しんだ作業を愛おしむように、白衣から伸びるえない手が、丁寧に護符を置いていく。


 総司そうじさんは言葉を持たない白衣とも意思疎通ができるようで、身振り手振りで何かを伝える白衣に「ああ」「そうだな」と時折柔らかい声で頷いていた。


「……君に渡してほしいと言っている」


 準備を終えた総司そうじさんが振り返って、白衣から預かったものを僕に手渡す。

 それは保健室に現れた時に、白衣が手にしていた注射器だった。


「これは……」

「この白衣は、君ならわかるはずだと言っている。預けてもいいだろうか」


 渡された注射器はしっかりと針にカバーがついていたので、僕も安心して受け取る。

 注射器の中では、淡い桜色の液体が揺れていた。

 ——血塗ちまみれ白衣は、もしかすると僕にこれを渡すために、保健室に現れたのだろうか。


「……はい、わかると思います。預かりますね」

「えー、そんな大事なもん、こんな得体のしれへん子ぉに預けてええの? 俺らが持ち帰って中身解析した方がええんやない?」


 口を尖らせる鴉取アトリに、総司そうじさんは「本人の意志だ」と一刀両断して白衣の肩に触れる。

 白衣は少しだけおかしそうに肩を揺らしたあと、チョークで刻まれた陣の中央へ、自ら進んで入っていった。


「……私物とはいえ、君のものをいくつも見送る趣味はない。ひとりでに動き回るのはこれで最後にしてくれると助かる」


 白衣が頷くと、総司そうじさんが手元の護符を吹く。

 陣の中で燃え上がった橙色の炎が、パチパチと音を立てながら白衣に燃え移った。


 滑らかな火は、陽光のように仄かな暖かさで白衣を包み込んでいく。白衣は暴れ回ることもなく、少しずつ塵になりながらも背を正して総司そうじさんを見つめていた。


「これ、本人は苦しくないん?」

「熱くはないはずだ」


 総司そうじさんは白衣に目を向けたまま、短く返す。

 その横顔に一度だけ視線をやると、鴉取アトリは「……俺、アンタが白衣も持ち帰るなんて言い出したらどないしようか、ずっと考えとったわ」と心情を吐露した。


「えっ、あなた、『総司そうじは自分を律することができる人や』とかなんとか言ってたじゃないですか」

「俺やってそう信じとるけど、人間はそない理性的な生き物とちゃうやろ。総司そうじの理性が並外れて強いだけで、普通の人間やったらとっくに頭がどうにかなっとるよ。持ち帰ってそばに置きたいって言い出してもおかしないやろ」


 あっさりと返されて、雛遊ひなあそび先生がわなわなと震える。

 連絡するか迷っていた時にこんなことを言われていたら、雛遊ひなあそび先生は自分で白衣を燃やしていたはずだ。

 「結果オーライやろ」と悪びれる様子のない鴉取アトリに、雛遊ひなあそび先生は「もうあなたの言葉は信じません」と顔を背けた。


「……桜子さくらこのこと、生き返らせたいとか思ったことあらへんの?」


 恐る恐る投げ掛けられた鴉取アトリの問いに、「一度もないな」と総司そうじさんが返す。


「嘘ぉ……。俺、書庫に行くたびによぎっとったよ。こん中あされば人間を生き返らせる方法なんていくらでも出てくるやろうし、片端から試せば一つくらいは、って」

「そうか。試していないようで何よりだ」


 鷹揚に頷く総司そうじさんに、「ほんまに一度もないん? ほんまのほんまに?」と鴉取アトリがしつこく食い下がった。


「ああ。入れ違っては困るからな」

「入れ違うって、なにが」

「俺とて、そう先の長い身ではない。桜子さくらこを呼び戻したそばから俺が彼岸に渡っては、入れ違いになってしまうだろう」


 総司そうじさんの視線の先で、袖だけになった白衣が手を振る。

 最後のひとかけらが塵となり、炎に呑まれて消えていった。


「なに、そう待たせはしない。——またぐに会える」


 どこか吹っ切れた表情の総司そうじさんは、人議ひとはかりで会ったときよりもずっと、和らいだ表情をしていた。




 ✤




 昇りきった朝日が、夕日へと姿を変えて西の地平線に沈んでいく。


 役者たちはみな舞台から降りて、残されたのは僕と彼女の二人だけ。

 再び訪れた夜の静寂が、旧校舎の中をどっぷりと満たしていた。


「あーあ。夜の学校なんてロマンチックなのに、よりにもよってアンタと一緒だなんて」


 静まり返った廊下に、体重の軽い彼女の足音が響く。

 僕は「『お化けの出る旧校舎』って、そんなにロマンチックかな」と彼女の言葉に首を傾げた。


「どっちかっていうとホラーじゃないか?」

「ジャンルをスプラッタに変更されたくなかったら、今すぐ黙ってくれる?」

「バイオレンスが過ぎるよ……。もう少し歩み寄る気はない? 旧交を温めるって言うだろ」

「アンタとあたしの間に、新交も旧交もあったことないでしょ」

「こういうのを『腐れ縁』っていうのかな」


 嫌そうに振り返る彼女に合わせて、高い位置で結われたツインテールが揺れる。

 普段は名の通り小動物のような彼女だけど、僕の前ではまるで猛禽類みたいな印象を受けた。


「今まで放置してたくせに、いまさら旧友ぶらないで」

「僕だって、こんなところで偶然会わなかったら声なんて掛けてないよ。こんな時間に旧校舎で何をしてたの? 卯ノ花(うのはな)さん」


 名を呼ばれた卯ノ花兎楽々(うらら)は、「へえ、やっと他人の名前を覚えるようになったんだ」と蔑むような視線を僕に向けた。


「ちょっと前まで、何もかも自分には関係ありませんって顔してたのにね。これも星蓮せいれん君のおかげ?」

「そこまで世捨て人みたいな考えは……、いや、持ってたかも……」


 卯ノ花(うのはな)さんの言葉を受けて、自分の身を振り返る。

 確かに、ちょっとばかりそんな風に思っていた時期もあったような、なかったような……。

 事実、僕は星蓮せいれんの名前すら覚えていなかったし、クラスメイトの名前を覚え始めたのもつい最近のことだ。


「いまさら、アンタが何に関心を持とうと知ったことじゃないけど、こんな深夜にあたしを案内人にした料金は高くつくわよ。第一被検体ファーストプラン

「……その名前は好きじゃない。君こそクラスメイトの名前を覚えてないんじゃないのか、提供者プロバイダー


 むっとする僕と卯ノ花さんの視線が交錯して、ぱちりと小さな火花を散らす。

 しばらくそのまま睨み合ってたけど、「はあ、やめましょ。時間の無駄だわ」と卯ノ花さんが再び前を向いて歩き出した。


「それで? またお得意の『日記』で過去を改竄するつもり?」

「人聞きが悪いよ。まるで僕が自分の好きなように歴史を書き換えたことがあるみたいな言い方だ」

「『日記』じゃなければ『天秤』かしら? にもかくにも一体全体、アンタになんの権限があって他人を裁くわけ?」

「君の言う通り、僕には何の権限もないよ。ただ、土地神様は怪異を裁く神様だから」

「まるで他人事みたいな言い方するのね」


 言い返そうとする僕を遮って、「はい、到着」と卯ノ花さんが振り返る。


 ——怪異にとっては迷路のような旧校舎。

 その最奥、誰もいない教室の中で、天井まで積み上げられた机と椅子にもたれかかるように、ボロボロの小さな鬼が横たわっていた。


 ほどけかかった全身の包帯は黒く汚れ、吸い切れなかった一部が床に血溜まりを広げている。

 かつては丁寧にくしけずられていた髪は乱雑に切り落とされて、きめ細やかな肌は毒に染まって黒ずんでいた。



教授ドクターは、酒呑童子セカンドプランはもう必要ないって言ってたわよ」

「そう。じゃあ内緒にしてくれる?」

「どうかしら、うっかり口を滑らせちゃうかも」

「君が黙っていてくれるなら、僕も君が夜中に旧校舎の鏡を見つめて、ぶつぶつ何かを呟いてたって愛色いとしきさんに言わなくて済む」

「……今すぐ目撃者を消してしまってもいいんだけど」


 わった目で僕を振り返る卯ノ花さんに「交渉成立だね」と返してポケットを探る。

 取り出された注射器は、暗闇の中で桜色の光を放っていた。


「なんだ、そんなもののために来たわけ? 打っても無駄よ。それは精神安定剤の域を出ない。彼女の心を一時的に取り戻せても、身体がこれじゃあ目を覚まさないわ」

「どうしたらいい?」

「治療が必要ね。教授ドクターならなんとかしてくれたかもしれないけど、酒呑童子セカンドプランはもう放棄するって言ってたし……。檻紙おりがみ千鶴ちづるなら治せるけれど、彼女はここまで来られない」

白沢ハクタクさんは? あの人も医療の知識があるみたいだった」

「神獣・白沢ハクタクの権能は私も詳しく知らないけれど、あの人が酒呑童子セカンドプランを治す理由がないでしょ。頼んで聞いてくれる相手じゃないわよ」


 僕らの間に、しばらく重たい沈黙が落ちる。


「つまり、他に手はないってことだよね?」

「あたしは事実を羅列しただけよ。提供者プロバイダーは求められた情報を正しく開示する」

「君が言うなら仕方ないよね。他に手はないんだから」

「……ああ本当、神って傲慢で自分勝手で大嫌い」


 イライラと前髪を掻き上げる卯ノ花さんに、「求められたものを正しく提供する代わりに、後で三倍取り立てる君ほどじゃないと思うけど」と胸中で呟く。本質を知るものから見れば、彼女は提供者プロバイダーというより債権回収者デットエージェントだ。


 提供者プロバイダー、福兎。

 幸運をもたらす兎の怪異。

 人の願いをなんでも叶える代わりに、その三倍の代償を要求する。厳格な等価交換の掟を課す彼女は、願いと代償を正しくはか神議かみはかりとよく似た存在だ。


神議かみはかり


 僕に呼ばれて、人の身丈よりも大きな天秤が酒呑しゅてんさんの前に現れる。

 あたしは知らないからね、と卯ノ花さんが念を押して背を向けた。


 鴉取アトリの話を聞く限り、神議かみはかりを動かしたことは大国主おおくにぬし様に筒抜けているらしい。あまり何度もは使えないだろう。


 神議かみはかりは、運命すらもじ曲げる。

 僕もいたずらに他人の運命を動かすつもりはなかったけれど、今回ばかりは仕方がない。

 だって、他に手はないんだから。

 

 

「君の持つ、最も美しいものを天秤へ。それが君の罪より重いのなら、君はまだ死ぬべきではない」



 僕の言葉に、酒呑しゅてんさんがわずかに身じろいだけれど、天秤は動かなかった。


「……抵抗してる。彼女は記憶以外に、もう乗せられるものがないんだわ。大切な人たちを忘れることを嫌がってる」

「困ったな、僕も天秤に乗せられるようなものはあんまり持ってないんだけど……」


 息を吐いて、持ってきていた鞄を開く。

 中には、一冊の薄い日記帳がしまわれていた。


 これは本当に最後の手段だ。

 できるなら、やりたくなかったけれど。


 ——土地神様は、怪異を裁く怪異。

 人に危害を及ぼすもの、己に歯向かうものは容赦無く喰らい尽くすけれど、人の世のために貢献した怪異をそう簡単に切り捨てはしない。


代行(replace)。僕の持つ、最も美しいものを天秤へ。それが酒呑童子しゅてんどうじの罪より重いのなら、彼女にもう一度立ち上がる力を」


 ぱらぱらと手元の日記がひとりでにページをられて、一番最初の一枚を示す。

 やっぱりそうだよなあ、と少しだけ名残惜しんで、そのページをちぎった。


 天秤に乗せられたページには、クレヨンの太くていびつな文字とともに、星空を泳ぐ大きな魚が描かれていた。



「その記憶を手放して、アンタは自分を保てるの?」

「そのために君がいるんだろ、提供者プロバイダー


 ——もし僕が僕でなくなったら、そのときは全てを債権として回収してくれ。


 何もかもを丸投げして目を閉じる僕に、「腐れ縁だもの、仕方ないから聞いてあげるわ」と卯ノ花兎楽々(うらら)は肩を落とす。

 天秤はガタガタと音を立てて揺れていたが、しばらくすると、たった1ページを乗せられただけの右の皿がその重みを体現するように、ガタン! とけたたましい音を立てて勢いよく下がった。


「……アンタって本当に、星蓮せいれん君のことは大切に想ってたのね」



 卯ノ花さんが何かを言っていたけれど、もうよく聞こえない。

 薄れゆく意識の中で、「代行(replace)」と呟く声が聞こえた気がした。






第九夜「血染めの白衣」でした。

旧校舎以外にほとんど怪異がいない理由の説明や、一世代前の歴史など世界観を深ぼる回でしたが、想定より重くなってしまったため、次は少し明るめの話を取り入れる予定です。


——目が覚めたら、女の子になってしまっていた「僕」。

混乱する僕をよそに、見知らぬ寮室へ入ってきたのは……。


幕間とキャラクター紹介を挟んで、次回 第十夜「理想の姿見」。


2024年7月末から開始して約4ヶ月。

30万字突破と10枚超の描き下ろしになりました。

覗きに来てくださる皆様、いつも本当にありがとうございます。

本年も残り僅かとなりましたが、良いお年をお過ごしください。

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