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漆身呑炭

「あ゛あ゛…あ゛ぁ……ッ」

暗闇に塗り潰された世界で俺は呻き続ける。

左腕に痛みは無いが確かに穿たれた痕跡は残されている。

微かに映る光景は、まるで浴びるように酒を飲んだ時と酷似していた。

ただ、唯一違う点があるとすれば紛れもない不快感を伴った奇妙な酩酊感だろう。

それが俺の意識を奪い去ろうとしている事が、この身を以てして実感できた。

既に得物から解放された体は、壁面に亀裂を刻みながら糸の切れた人形のように崩れ落ちる。


「ぐぞっだれが……」

血泡が満ちる口内で、俺は必死に抵抗の言葉を絞り出した。

奴は再び銛を掲げる。

一匹の巣窟に侵入した鼠を楽にする為、ゆっくりと狙いを定める。


『雷槍』


奴の胸部から光を伴った柱が出現する。

網膜を焼くような閃光は、巨大な体躯を貫き通して尚留まる事を知らなかった。


「遅かったじゃないか」

「配慮した」


そこに居たのは肩口から血を滲ませるケープの冒険者だった。



さあ起きろ。

遅刻癖の酷い冒険者が折角作ってくれた機会だ、無下にするわけにもいかないだろう。


剣を握りしめるのだ。

人を虚仮にした不届き者を成敗する為に。


不快な酩酊感が晴れていく。

次第に鮮明となる意識の中で、俺は立ち上がる事を試みる。

臓物をぶら下げ、胸部を穿たれているのにも関わらず、奴は再び銛を構えた。

不死身の魔物。

そう形容する他ない生命力に、俺は戦慄を覚える他なかった。

しかし、その恐怖も一瞬の事だ。

口に溜まった血反吐と共に吐き捨てる。

何故俺が恐れる必要などあるのだろうか。


「死に損ないの化物風情が、図に乗るなよ」

此れは分不相応な獲物に手を出そうとした代償だ。

一歩を踏み出す。

奴は動かない。

二歩目、三歩目。

未だ、奴は動かない。


そして俺の射程範囲に達した時、奴の図体が大きく揺れた。

がさつにも、そして凶悪な銛が振るわれる。

巨大な銛のリーチはケープの冒険者には届かぬとも、狭所である下水道に於いて比類なき殲滅力を誇る。


横方向へ退ける事も叶わない、だからと言って身を屈めようなら抵抗の大きい汚泥に足を取られてしまうだろう。


「死に晒せッ!」

それでも前傾姿勢を取る事を選んだ。

風切り音と柄を握り締める感触が重なる。

逆手に持った剣を自重もろとも大地へと突き立てた。


否、突き立てたのは伸びきった奴の臓腑だ。


悲痛な叫声が下水道に木霊する。

これで逃れられまい。

もし回避行動を取るのであれば、自身の行動によって内臓をその身から引き摺り出す苦痛を選択しなければならない。

本能で動く貴様にはさぞ辛かろう?

そして俺は自由となった右手を砕けた盾に押し込む。

鋭い痛みが脳を揺さぶる。

真新しい傷を負ってまで手にしたのは、砕けた破片だった。

至る箇所が欠け、鋭く尖ったそれを奴の顎に振り抜いた。


ビクンと痙攣し、汚泥に塗れたその巨体が動かなくなる。


「危ないっ…」

背後から声が掛かると同時に奴の胴体が崩れ落ちる。

寸での所で下敷となることを回避した俺は、突き立てられた剣に付着した穢らわしい魔物の血液を払った。


「忌々しい魔王の眷属に相応しい墓場だ。」

そう、吐き捨てた俺は剣を収める。

後は依頼完了の報告だけだ。



「店を畳め、とでも言いたいのか?」

「俺が言わなくとも自ずとそうなる」

ラダーマンズ・ウィドウズ事務所にて、オーヘンデックは苦虫を噛み潰したような表情を見せた。


「治癒水を作っている段階で発生した廃液を流した所で、サハギン共が下水道に巣を作っていた事実は変わらないだろう?」

むしろこの事により、早期の発見に至ったとも言える。

少なくとも依頼は達成したのだから何も問題は無い筈だ。

尤も、それを良しとしないのがこの偏屈な冒険者だったわけだが。


「論点をずらそうとするな。問題はお前の垂れ流した廃液で、環境が汚染される可能性があるという話だ。」

本来であれば国が管轄する然るべき機関が、然るべき手順を踏んでから処理すべき問題だ。

仮に管理が適切な物であったとしても、実際にこうした問題が起きている以上何かしらの対策は必要になる。


「下水道のサハギン達は下水に流された廃液を嫌い、大規模な群れの移動を行っていた。」

珍しく説明口調になったケープの冒険者は、俺の反応を窺うように言葉を区切った。

そして続ける。

「魔物でも好まない環境を河川に住む水性生物が適応出来る筈もない、と思う。」

「それを口に入れる近隣住民もいい思いはしなかろう。」

ぐっと拳を握りしめるオーヘンデックに到達した一つの可能性を問う。


「大方、廃水基準値の改竄や、水性生物用の水質基準の提示を怠ったな?」

図星なのだろう、オーヘンデックは大袈裟に肩を竦めて見せた。

直接の証拠は無くとも、調べればある程度の実態は把握出来る。

さて、いよいよもって此度の依頼は終結を迎える。

「この事はギルドに──」

「幾らだ?」

発言を遮り、オーヘンデックはテーブルに身を乗り出した。

「君達の望む物を与えよう。金か?それとも定期的な治癒水の供給か?」

賄賂、というやつか。

どうやら余程俺を懐柔したいらしい。

しかし、それは悪手だろう。

俺は鼻を鳴らし、その場を立ち上がる。

そして一言、こう告げるのだ。


「運に見放されたな、三下が」

まだサハギンが下水道に巣を作っていなければ、この件を認知する事も無かったろうに。

土地を購入し、店を建てた分だけの元金が帰ってきたかも知れないのに。

全ては奴の運の無さが招いた事だ。

哀れみ、そして蔑んだ目で一瞥すると俺は事務所を後にした。



ギルドへ報告を終え、痛む左腕を押さえながら新鮮な空気を肺に取り込む。

それにしても酷い目にあったものだ。


「新しい盾を見繕わなければな」

大きく息を吐き今後の事を考える。

いや、考えずとも既に決まっている事だが。


「怪我はもういいの?」

大丈夫な訳が無かろう。

ケープの冒険者があの場に来なければ、今頃俺はあの世で仏と戯れている頃だろう。

しかし、それを馬鹿正直に伝えても意味は無い。

冒険者にとって自己管理は義務である。

だからこそ俺は自身の不覚を隠すべく、さも余裕綽々といった態度で言葉を返した。

今思えば大層な虚栄を張ったものだ。

だが、その選択が功を奏したのだろう。

俺の返答に彼女は少し驚いたような素振りを見せた後にフードの下で微笑んだ。

そうか、奴は女だったのか。


しかし、女と分かった所で何が変わる訳でもない。

俺はただ冒険者として生きるのみだ。

そんな俺の考えなど露知らず、彼女は続ける。

まるで友人に話すような口調で。

その声色はどこか楽しげな物だった。

そして俺は知る事になるのだ。


この出会いが運命である事を知らぬままに。

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