第八章 神殿
翌朝、エステルがダリアに手伝ってもらって身支度を整え、案内されるがままに食堂に向かうと、既にガルリアが奥の席に着いていた。
「おはよう。よく眠れたか?」
「お陰様で、凄く寝心地の良いベッドだったわ」
「帝国自慢の職人が作った物だからな」
誇らしげに笑いながら、彼は角を挟んだ隣の席に着くよう促す。
すぐに運ばれてきた料理は、焼き立てのパンと見た事もない料理だった。
「美味しい……」
「良かった。帝国の各所にそれぞれ郷土料理が存在する。落ち着いたら食べに出るのも良いだろう」
帝国はとても広い領土を持っている。既存の国を配下に治めている事もあり、帝国内でも様々な文化が共存しているのだ。
異なる食文化を堪能できる機会が巡って来て、思わず目を輝かせるエステルに、ガルリアはとても優しい目で微笑んだ。
「ガルリア、昨日は本当にありがとう」
エステルが改まって礼を述べると、ガルリアは目を瞬いた。
「うん? 礼なら昨日も聞いたぞ?」
「あの、お礼になるかわからないんだけど……」
隠し持っていた包みを差し出す。
「……クッキー? 作ったのか?」
昨日の夜、ダリアに無理を言って厨房を借り、材料を少し分けてもらって作ったのだ。
お礼に料理長の腰痛を治癒魔術で治したら、かえって喜ばれ感謝されてしまった。
「うん……私の料理、美味しいって言ってくれたから……」
何の変哲もないクッキー。だが、毒属性以外の者には劇物でしかない。
それを受け取って、ガルリアは顔を綻ばせた。
「ありがとう」
早速一枚頬張って、「美味い」と満足そうに呟いたガルリアは、それを大事そうに包み直した。
「食後にすべて平らげるのは惜しいな。残りは小腹が空いた時に頂こう」
そう言いながら懐にしまい、席を立ってエステルの手を取る。
「……よし、早速出かけよう」
「え、今から?」
「ああ。お前と出かけるのを、昨夜から楽しみにしていたんだ」
にこにこしながら、彼は小さく何かを唱える。
すると瞬き一つの間に、彼の黒髪が栗色に、金色の瞳がグレーに変わった。
「あ……」
次いで、エステルの金髪も栗色になっている事に気付く。
自分で眼の色は確認できないが、おそらくグレーに変わっているのだろう。
栗色の髪にグレーの瞳は、ディングル王国で最も多い組み合わせだ。
流石、グレンリベット帝国のガルリア皇帝はそこまで把握しているのか。
「さ、これで良いだろう。行くぞ」
さっとエステルの手を取り、転移魔術の呪文を唱える。
一瞬で、エステルが良く知る町並みが目の前に広がった。
神殿のある町の外れだ。人通りも少ないので、今自分たちが突然現れた事に気付いた者もいない。
「……こんな移動のためだけに転移魔術を使って大丈夫なの?」
普通の魔術師であれば、転移魔術のような高等魔術は、いざという時に使用するため普段は控えるのが通例だ。
緊急ではない移動であれば、一般的な魔術師は転移に比べて消費魔力の少ない飛翔魔術を使う事の方が多い。
そもそも転移魔術を使えるほどの魔術師が少ないのだが。
「大軍を転移させたら流石に疲れるが、自分ともう一人くらいなら何度やっても問題ないぞ。その程度で俺の魔力が枯渇するなんてありえん」
自信に満ち溢れたガルリアに、エステルは内心で感心する。
やはり、帝国の皇帝は伊達ではないのだ。
二人は神殿のある町を少し歩いて回った。
昨日の晩餐会での出来事は、まだこの町までは届いていないらしく、ただ平穏な時間が流れており、エステルはほっとする。
やがて神殿の前の広場が見えてきた。
「あ、炊き出し……」
広場では、丁度炊き出しが行われていて非常に賑わっていた。
普段ならあの中心で、せっせと料理を作っていたのに。
自分が毒属性と知ってしまった以上、もう料理を振舞う事はできない。
「……あれ?」
エステルが毒属性である事を知らなかったのは、自分だけだとガルリアは言っていた。
つまり、神殿の神官も、炊き出しに並ぶ市民も、皆エステルが毒属性を持っている事を知っていたという事になる。
だから、エステルが炊き出しに参加して料理を振舞っても、体調を崩す者も死ぬ者もいなかったのだ。
よくよく思い起こせば、エステルが作った料理はどれかと、毎日多くの人に確認されていた。
では何故、町民は毒だと知っていてエステルの料理を貰っていたのだろう。
エステルに気を遣ってか、それとも神殿側がそのようにするよう手を回していたのか。
そうだとすれば、自分はただただ、食材を無駄にしていた事になる。
戦争で貧困に喘ぐ国民を救いたい一心で始めた事なのに、実はそれが無駄どころかマイナスだったと思い知り、エステルは胸が締め付けられるような心地になった。
「……どうした?」
俯いたエステルの顔を、ガルリアが覗き込む。
彼女は誤魔化すように首を横に振った。
「いえ、何でもありません」
「……ああ、炊き出しか。お前も毎日参加していたらしいな」
エステルの心情など知らぬガルリアは、彼女の手を取って神殿の方へ向かって歩き出した。
「え! 今日も聖女様の料理はないのかい?」
驚いた中年女性の声が響く。周りの者達も同様に神官に詰め寄っていた。
「次はいつ出るんだい? うちのはそろそろ効果が切れるから取り替えないといけないんだけど……」
「それより、北の魔除けが優先でしょう? そろそろ効果が無くなるわよ」
「聖女様は、昨日王城で開催された晩餐会に出席するため、婚約者であるレナルド殿下と共に登城された。戻りは数日後だ!」
ジャックが民衆を宥めている。
二十五歳にして聖女の側近を務める有能な神官だが、民衆のおば様達に詰め寄られてタジタジになっている。
「……聖女様の料理は大人気だな」
「どうして? 皆、私が毒属性を持っていると知っていたはずでしょう?」
揶揄するように笑うガルリアに、エステルが不思議そうに首を傾げる。
「聖女様の料理がなかったら、この町はどうなるんだ! 早く連れ戻せ!」
一人の男性がジャックの胸倉を掴む。
エステルは咄嗟に飛び出していた。
「暴力はいけません!」
男性とジャックの間に入り込むと、ジャックが素っ頓狂な声を上げた。
「えっ! エステル様っ?」
髪の色と瞳の色が違うにも関わらず、彼はすぐにエステルに気が付いた。
彼が名を呼んだことで、男があっと声を上げ、その動揺は瞬く間にその場にいた者に伝播した。
すると、少し離れた所から様子を眺めていたガルリアがやれやれと言わんばかり肩を竦め、パチンと指を鳴らしてエステルの変化のみ解除してくれた。
「ああ! 聖女様が戻られたぞ!」
「やはりこの町は安泰だ!」
喜ぶ民衆をよそに、戸惑いを隠せない様子のジャック。
エステルは民衆を宥めると、状況の説明をするためにジャックとガルリアを伴って神殿の中へ入る事にした。
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