第十三章 収束
ガルリアは唇を歪めて、僅かに微笑んだ。
「このくらい大丈夫だ。油断した俺の責任だ」
笑って見せる顔が青白い。
エステルは、彼の手をぎゅっと握り返した。
「貴様! エステルに汚い手で触れるな! エステルは僕の、僕だけの聖女なんだ!」
怒号を上げるジスランの声に応じて、二度三度と炎の矢が飛んで来る。
すべてを弾き落として尚揺るがない防御魔術は、流石最強の聖女と謳われたディアナと言えよう。
それを尻目に、エステルはガルリアの腹部に右手を翳した。
「治癒魔術!」
唱えると、ガルリアの腹部の傷はみるみる内に塞がっていく。
「おお、流石聖女だな」
感心した様子のガルリアに、エステルは首を横に振る。
治癒魔術を行使してわかった。
彼の怪我の状態は、正直言って最悪だ。
治癒魔術は、物理攻撃や事故などによる怪我にはよく効く。それこそ瞬時に完治させる事が出来る。
しかし、攻撃魔術によって受けた怪我の場合、傷そのものは治す事が可能だが、攻撃を受けた際に術者の魔力が体内に入り込むと、治癒魔術では完治させられなくなってしまうのだ。
ジスランはディングル王国随一の攻撃魔術を誇っている。
当然、彼の攻撃魔術がガルリアを貫く瞬間、己の魔力を流し込んでいる。それも、かなりの量を。
「ううん、この傷、ガルリアの体にジスラン殿下の魔力が入り込んでいる。ガルリアの身体に彼の魔力が残る限り、ガルリアの身体はダメージを受け続ける事になる。それを治癒魔術の効果が追いかけて行くけど……」
表面的な傷口は塞げても、体内でジスランの魔力が暴れ続けたら意味がない。
今のエステルには、体内に入ってしまった攻撃魔術の魔力を取り除く術がない。
基本的には攻撃を仕掛けた術者が解除するしか、体内に入った攻撃魔術を解く方法はないとされている。
エステルは悔しそうに唇を噛むが、ガルリアは何故か嬉しそうに笑った。
「心配してくれるのか?」
「あ、当たり前でしょう!」
「そうか。それなら攻撃を喰らった甲斐があった」
「もう! 冗談を言っている場合じゃ……」
言いかけて、エステルは口を噤む。
ガルリアから、漆黒の魔力が立ち上り始めたのだ。
「ガルリア?」
ガルリアは傷口を押さえながらジスランの前まで歩き、懐から出した何かを差し出した。
「それほどエステルを愛していると言うのなら、彼女が作ったこの菓子も食えるのだろうな?」
それは、エステルが今朝、ガルリアに渡したクッキーだ。
晩餐会で自分を庇ってくれたガルリアにお礼がしたくて、エステルが作ったもの。
「……エステルが、作った……?」
ジスランはクッキーを見つめ、ゴクリと息を呑んだ。
しかし、その手が伸ばされることはなかった。
その様子に、ガルリアは呆れた様子で嘆息する。
「……ディングルの王子は、出来損ないしかいないようだな。この国は終わりだ」
ガルリアはクッキーを懐にしまうと、右手をジスランに向ける。
「俺に攻撃を仕掛けたこと、帝国に対する反乱と受け取る。本来ならばこの場で処刑するが、国王に証拠を突き付ける必要もある。殺しはしないが、覚悟しろ」
ぶわりと、漆黒の魔力が噴き出し、ジスランに向かう。
呪文の詠唱なしで、魔力が刃と化して攻撃するなんて、相当高レベルの魔術だ。
彼の攻撃は、まるで雨のようにジスランに降り注いだ。
数秒後には彼は身体中を斬り裂かれ、絶叫して頽れる。
「ジスラン殿下……」
その光景をただ見守るしかできないエステルが呟くと、ジスランは血塗れの顔で涙を流し、そのままばたりと倒れ込んだ。
「死んではいない。神官を目覚めさせて、拘束した上で介抱してやれ。そしてすぐに国王を呼び寄せろ」
テキパキと指示を出してガルリアはディアナを一瞥する。
「魅了魔術の解除、頼めるか?」
「わかった」
ディアナはすぐに応じて、浄化魔術を発動させた。
鮮やかな手腕に感心するエステルは、ジスランの魔力が体内に残っているはずなのに、平然としているガルリアに駆け寄った。
「それよりガルリア、大丈夫なの?」
「ん? ああ、俺の魔力であの間抜けの魔力を駆逐したから問題ない」
「そんな事できるの?」
驚いて目を瞠るエステルに、ガルリアが得意げに笑う。
「まぁな」
攻撃魔術と共に送り込まれた魔力に対して、己の魔力のみで駆逐するなんて、規格外にも程がある。
「毒属性の魔力は、他の魔力に対して侵食する特性があるからな」
そういえば聞いたことがある。
毒属性と他の属性の魔力がぶつかると、毒属性の魔力が他の魔力を侵食し、やがて相手の術師まで届くと。
それを体内でやってのけたのか。
ガルリアに攻撃が当たった時点で、ジスランの魔力は彼から切り離されていたので、ガルリアの毒が彼まで届く事は無かったがようだが。
攻撃魔術の魔力が体内に入った場合の対処法として、そんなものは聞い事がないが、そもそも希少な毒属性が攻撃魔術を受け、尚且つ体内に術者の魔力が入り込まなければ、その事象は起こらないので、これまで前例がなかったとしても不思議はない。
感心するエステルを尻目に、我に返った神官たちがディアナから状況説明を受け、戸惑いながらジスランを拘束して治癒魔術をかけ始めた。
「さぁ、俺たちは少し休もう。流石に、少し疲れた」
「少し疲れただけで済んでるのが奇跡よ」
なにしろ一度体を貫かれているのだ。平然と立っていることがおかしい。
エステルはジャックに声を掛け、神殿内の部屋をガルリアに貸し出すよう伝えた。
彼は突然の皇帝の訪問に、大慌てで部屋を整えに向かってしまった。
「……まさかあそこで私のクッキーを出すとは思わなかったわ」
「一枚たりともくれてやるつもりはなかったが、もし本気で食おうとするなら、心意気くらいは認めてやるつもりだったんだ」
意外な言葉に、エステルが目を瞬く。
「この先、お前が作る料理は、全部俺が食う。他の男に食わせるなよ」
悪戯っぽく笑うガルリアに、エステルは頬が熱くなるのを感じた。
言われっ放しは悔しいので、エステルは最大限強がって言い返す。
「……っ、わ、私と、ガルリアの子が毒属性を受け継いだら、その約束は守れないけどね」
その言葉に、今度はガルリアが虚を突かれたような顔をして、それからふっと相好を崩した。
「それは、俺と子づくりしても良いという事だな?」
「そ、それは……っ」
「良いだろう。子が毒属性を持ったら、家族皆でお前の料理を食おう」
自分の言葉の意味を理解して真っ赤になるエステルに、ガルリアは満足そうに笑う。
ガルリアと並んで、ゆっくり客間の方へ向かいながら、彼の隣を歩いていく人生も、存外悪くないなと思うエステルなのであった。
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