第九章 王城内での密談
時間は少し戻って、ガルリアがエステルを伴って帝国に戻った後のディングル王城。
ジスランは剣呑な表情で自室に向かっていた。
そこへ、ぱたぱたと一人の少女が駆け寄ってくる。
「ジスラン殿下!」
抱き付かんばかりの勢いに、ジスランは不快感を露わにしつつそれを躱す。
「何か?」
ジスランに冷たい眼差しで問われ、少女、ルミナははらはらと涙を流した。
「レナルド殿下がっ! 私などもう用済みと仰るのです! 私はっ! ジスラン殿下にレナルド殿下は私のような令嬢が好きだとお伺いしたからこそ、レナルド殿下にお近づきになりましたのに!」
「ああ、そうだね。それであの阿呆が、エステルとの婚約を破棄するところまでは僕も予想通りだったし、君も充分に働いてくれた……まさか、皇帝がエステルを気に入るなんて……」
ジスランは忌々し気に吐き捨てる。
その言葉の意味を、ルミナは理解しようともせず、潤んだ瞳で彼を見つめた。
「私はとても悲しいです。ジスラン殿下、どうか私に……」
泣きながらジスランに手を伸ばすルミナだが、彼はその手を払い除けた。
「僕に触るな。僕に触って良いのは、エステルだけだ」
強い拒絶の言葉に、ルミナは唇を噛み締め、絞るように呟いた。
「……また、あの女……どこまでも目障りな……」
そして、ジスランへの挨拶もなく、そのまま身を翻して駆け出した。
王城の玄関に向かうが、廊下の先をトボトボ歩く青年の後ろ姿を見つけて舌打ちした。
数時間前まではあんなに愛おしく思っていたのに、ゴミになるのは一瞬だった。
この男と結婚すれば、王子妃になれるはずだったのに。
まさか、廃嫡になるなんて。
ルミナは足早にレナルドを追い越し、その場を去ろうとしたが、追い抜かれる瞬間に彼女に気付いたレナルドが彼女の腕を強く掴んだ。
「っ! 何をなさるんですか! おやめください!」
あえて大声を出したルミナに、レナルドは恨みの籠った目を向ける。
「お前のせいで! お前が! エステルの料理を皇帝に食べさせれば、どう転んでも俺の手柄になるなんて言うから! だから俺は……っ!」
そう、レナルドに「皇帝の料理をエステルに作らせろ」と進言したのはルミナだった。
皇帝が猛毒料理を食べて死ねば御の字。死に至らなくても弱ったところを叩けば帝国はディングル王国の物になる。もしも皇帝に毒が効かなかったとしても、罪をエステル一人に被せればレナルドは何も追及される事はなく、エステルとの婚約を破棄して自分と結婚できる、と。
その悪魔の囁きに、レナルドは耳を貸し、何の疑いもなく信じてしまったのだ。
「おだまり」
ぴしゃりとルミナが言い放った瞬間、レナルドは口を噤んだ。
ルミナの褐色の瞳を見つめた直後、焦点が合わなくなってその場に崩れ落ちてしまう。
「能無し王子にもう用はありませんわ」
膝を衝いたレナルドに軽蔑にも似た眼差しを向け、ルミナはその場を後にした。
「……どいつもこいつも役立たず……!」
吐き捨てて、親指の爪を噛む。
王子と結婚して王族の仲間入りをすれば、今以上に贅沢な暮らしができる上に、社交界でも大きな顔ができるはずだった。
しかし、落としやすそうだと狙った第二王子が廃嫡になり、残る第一王子は自分にまるで興味がないなんて。
ルミナ・フォアローゼスは子爵家の令嬢だ。
貴族社会において、子爵家は中位の下。公爵、侯爵、伯爵に次ぐ家柄のため、社交界では常に周りの人間の家柄を気にしていた。
しかも、フォアローゼス家は先代の当主の金銭管理が甘かったせいで、現在資産にあまり余裕がなく、他の令嬢と比べるとドレスや装飾品に掛けられる金額が著しく低く、夜会などでは度々惨めな思いをしてきたのだ。
そんな現状を脱却したかった。
そんな中で、聖女エステルと第二王子レナルドの婚約の噂を耳にした。
聞けば、聖女は先代聖女の娘であるものの、家柄は庶民の出身だという。
許せなかった。
自分よりも身分の低い女が、光属性というだけで聖女となって持て囃され、挙句王族の仲間入りを果たし、自分よりも上の地位に就くなんて。
しかし、それを阻む術など自分にはない。
どうしたものかと、婚約発表の式典の際にエステルを睨みつけていた。
すると式典後、その視線に気が付いたジスランに声を掛けらた。
『もしもレナルドと結婚したいと思っているのなら、簡単だよ。彼は君のような女の子が大好きだから。本気でレナルドを想っているのなら、協力するよ。城にいつでも来ると良い』
彼はそう言って、昏い瞳で笑った。
胡散臭いと思わなかった訳ではないが、チャンスである事に変わりはなかった。
庶民のくせに第二王子と結婚しようとしている浅ましい聖女から、第二王子を奪って自分が結婚できるのなら、そのためにできる事は何だってやってやる、そう思った。
ジスランのアドバイス通りに、何度も登城してレナルドとの繋がりを持てたら、あとは簡単だった。
計画通り、隣国の皇帝に聖女の作る猛毒料理を食べさせる事も成功した。
しかし、まさか皇帝が毒料理を食べて平然としていただけでなく、レナルドの企みを看破して廃嫡にさせるなんて。
しかもよりにもよって、聖女を気に入って連れ帰ってしまった。
またあの女だけが幸せになろうというのか。
「……許さない」
ぎりぎりと歯噛みした直後、妙案を思いついてはっとする。
そうだ。それならば、今度は聖女の座諸とも奪って、自分が聖女になれば良い。
聖女になって、あの皇帝に取り入り、自分が皇帝の花嫁になる。
広大な領土を持つ帝国の皇后になれば、一生贅沢ができる。社交界でも、自分以上の女はおらず、常に傅かれる側になるのだ。
「……待っていなさい、毒聖女! 皇帝の花嫁の座、絶対に奪ってやるんだから……!」
彼女は、軽い足取りで王城を後にし、夜の闇に消えていった。




