慈悲の町-03
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「やることなくなった……」
『手紙の返事が返ってくるのは、早くても1週間後と言っていたな』
「1週間後にはここに戻らなきゃいけないし、船で動くにしても1日で行けるくらいの距離じゃないと」
『あのホテルが気に入っているのであろう? 存分に堪能すれば良い。どうせエーテルの事を知るには待つしかないのだ』
「そうだね。それにしても、本当に困った」
青空が広がる長閑な10時の海辺。レオンはため息をつき、波止場の係船柱に腰を掛けた。治安が良く、町全体が賑やか。飢えに困っている孤児など1人も見当たらない。
経済的に豊かであり、特に貿易においては貨物の積み替え拠点として重要な町だ。
大きな船は喫水を気にする事なく、時には何隻も港の岸壁を占領している。よく荒々しいと言われる船員も、この町では幾分穏やかで腰も低い。
レオンのため息の理由は、まさにそこにあった。
「ならず者、全然おらん。他所から来た旅行のひとがたまに悪いくらい」
泥棒もいない、詐欺師もいない。不倫などは気づかないだけかもしれないが、とにかく町の誰もが品行方正なのだ。
「正しい者しかおらんやったら、良い事やけどお金稼げん。1週間ずっと正しいままやったら、おれ中金持ちから小金持ちに転落する」
ホテルに1週間滞在し、昼食を取り、洗濯を依頼し、久しぶりに日用品や消耗品も買い足す。ゴムの緩んだ下着、汚れの落ちないタンクトップなど、買い換えたいものも沢山ある。
ホテル代と食事代だけで金貨は5枚、消耗品の質にこだわれば買い物でもう1枚使うかもしれない。
『この町の近隣にも町や村があるのだろう? 馬車も出ている』
「そういえば、オレイの援助で道を整備してあるって言ってたよね。すぐ着くなら行ってみようか」
『この町から出れば、ならず者など珍しいものではない』
レオンは平穏で平和なオレイの町を抜け出し、馬車で2時間の場所にある隣村へと向かった。
地面には凸凹もあるが、馬車は順調に進んでいく。土を踏み固めて作られた道は、水捌けは悪そうだがぬかるむ程でもなく、他の地域の街道に比べればマシな方だ。
「この道もオレイの町がお金出して作ってあげたんかな」
『金は一部返済しなければならないと言っていなかったか』
「まあ、タダで何でもあげないよね、貸すとしても助けるだけマシ」
馬車に揺られ、やがて辿り着いた村はどこにでもあるような粗末な村だった。オレイが支援していると聞いていたためか、レオンは発展の兆しもなさそうな様子に驚く。
岩の陰から僅かに赤い土が覗き、木々は殆ど見当たらない。農作物の成長は見込めそうになく、唯一困りそうにないものは魚くらいだろう。
粗末な村の建物とは対照的で立派過ぎる港に着いた時、レオンはやはり違和感を覚えた。
「ネイシア村、か。港はコンクリートでしっかり固めとるし、すごく広い。こんな立派な港なのに、ボロボロな小さい漁船しか停泊しとらんね」
薄い木板を繋いだ壁に、藁ぶきの屋根。オレイと協力して他の大陸の先進的な町に対抗する際、この村は戦力になるのだろうか。あまりにも差があり過ぎて、オレイが何故支援をしているのか理解に苦しむ程だ。
「馬車が来た!」
「食べ物だー!」
村を歩いて回っていると、村の入り口で誰かが叫んだ。その声を合図にして粗末な小屋から一斉に人が出てくる。
港付近にわずかに建つコンクリートの高層住宅からは、人々が階段を雪崩のように下りてくるのが見えた。
「オレイの住民からの施しだ。感謝して食ってくれよ」
「ありがたや、ありがたや」
「食べ物に困らなくなったのはオレイの町のお陰よ! 彼らの慈悲深さは本当に素晴らしいわ」
村の者は口々にオレイへの感謝を述べる。港を作ってくれたと自慢し、オレイへの道も整備してくれたのだと言って満面の笑みを浮かべる。
食べ物に困らないせいで盗みや詐欺なども激減し、村の者は食べるために朝から晩まで働く生活からも解放された。
仕事で得た金は、食べ物を購入しなくてよいからと、今まで買えなかった酒や賭け事に使われていく。
「なんか、みんな怠け者になっとるね」
『金を船の修理費や新調に使えばよいものを。儲かるのは酒屋と賭け事の元締めだけか』
「それでも暮らせるような村にしちゃったのは、行き過ぎだと思う」
『オレイの民は良かれと思い支援しているのだろうが……堕落を招いておると気付き、自重する時だと進言するべきだろう』
馬車でわざわざ訪れたのに、稼ぎに繋がる事件は何もない。レオンはため息をつき、怠け者達で溢れる通りを引き返した。
「ほんと、ツーピスの奴らもオレイを見習えってんだ」
「オレイはこんなに食べ物や生活に必要な物資をくれるってのに。ツーピスは金を掛けずに恩を売りたいだけ! あんな町が他所で有難がられているなんて信じられない」
ふと道端の雑談が耳に入って来た。レオンはツーピスという町の名前に聞き覚えがあった。
隣の大陸の、栄えた町。傲慢な西の大陸の町。富を独占する酷い町。オレイの人々がそう表現していた町の名だ。
「ところで、この町の得意なものって何だろ。オレイは色んな町と村で共同体を作るって言っとった。今のところ、ここは何も得意なものなんてなさそう」
『努力も手放し、怠惰を極めようとしているだけに見えるな』
村の異様な雰囲気に寒気がし、レオンは早く戻ろうと言ってジェイソンを抱きかかえた。土を踏み固めた道も、立派な港も、この村はどう活用するのだろうか。
オレイはなぜ、こんなにもネイシア村に良くするのか。慈悲が深過ぎてむしろ迷惑になっているくらいだ。
青い空、青い海、食べ物はいくらでも与えられ、食うに困らない気楽な生活。
そんなネイシア村の入り口近くに、馬車を待つ男が立っていた。
能天気な村の者とは対照的に、男の表情は暗い。
「どうしたんですか。食べ物貰えなかったんですか」
「えっ? うわっ! 狐……人族! お、オレな、何にもしてない!」
「あー、怖がらせようとして話しかけたんじゃないよ。なんかこの村の中であなただけが暗い表情だったので」
『怖がらせ、震えあがる様子を眺めるのも良いがな。嫌われたい訳ではない』
「ひっ、喋った……」
『なぜ驚く。魔族が喋らぬ方が変であろう』
ジェイソンはまさか猫だと思われていたとは考えていない。男は何かを咎められているのではないと理解し、ため息をついた。
「暗い、そうですね、確かに気持ちは沈んでます。僕はヤプ。ツーピスっていう町から来たんです」
「ああ、その町の名前なら、ここやオレイでも聞いた。傲慢とか、ケチとか、富を独占しているとか」
「ははは、そう言われている事は知ってます。僕はただ、この村がオレイの支援なしでは成り立たない現状を警告しにきただけなのに」
『確かに、この村はオレイの施しに頼りきっておるな。仕事も家事もやる気を失っているようだ』
「行うべき投資もせず、家も港の船もボロボロなのに、人々は肥えて良い身なりをしてる。オレイが急に支援できなくなったらどうするつもりなんだろう」
ヤプは困ったように眉を下げて頷く。ツーピスの民も、同じ事を考えているそうだ。
「オレイの人々は、本気で慈善行為だと思ってる。だけどオレイの上層部、偉い役人達はそう考えてはいないんだ」
「どういうこと?」
「ネイシアはオレイなしでは生きていけない。だから生きていくためにオレイに従うようになる。オレイが実験を握り、怠け者だらけで経済力もなくなり、借りた金を返せなくなれば築いた道や港湾を取り上げる」
「そのために、人々の慈悲と、助けて欲しい貧民を利用している?」
「ああ。オレイはツーピスや他の町へと続く航路も陸路も牛耳って、富を独占するためにこうして支援漬けにしている。この村は聞く耳を持ってくれないけどね」




