常識ある村-02
* * * * * * * * *
「困った、旅しててこんなに悩むことなかった。日も沈まないうちに女を見境なく風呂に誘うなんて、どんな女狂いだって言われちゃった」
『共に風呂に入れと言った訳ではない、自惚れるなと何故言わなかった』
「風呂の場所を尋ねるのは、子作りしたいって意思表明の言葉らしいからしょうがない」
『風呂では裸。裸になって待っておるから交尾しようぞなど、誰がそのような意味を思いついたのだ』
「ジェイソンならいつも裸なのにね」
『下等な人族共に、レオンの子種も吾輩の子種もくれてやるものか』
日中から見境なく女に声を掛け、子作りしませんかと聞いて回る他所者。レオンはそんな汚名を着せられて困り果てている。
女は警戒しているのか、すっかりレオンの前に現れなくなってしまった。
「……エーテル村を知りませんか、なんて聞くまでもなさそうなんだけど」
『己らが辺境の田舎に住んでいるという自覚すらないようだ』
「村から出るのは非常識……って言ってたもんね。電気もない、水道もない、お酒は村で作ってない。知らないって幸せなのかもね」
『それはそうと、食べるものはどうするのだ』
「それなんだよ、どうしよう……ん?」
食事もない、水もない、通りを歩いたが定食屋もない。学校もないようだった。レオンは途方に暮れながら、途中でやめさせられた釣り道具を眺める。
「漁師じゃないのなら釣りをするのは非常識、だって。漁師ですって言っておけばよかった」
『レオンはこの村の者ではない、従う必要があるのか』
「一応、ならず者呼ばわりされたくないからね。この村ではそれが決まりみたいだし、狐人族である事は隠しておきたいから」
辺りが暗くなり、レオンは来る途中に見つけた斜面の小川へ向かう。岩場で水を汲み、水筒を満たして2回飲み干した後、3回目を注いで小屋へと戻る。
他所者が来たという話は村中に知れ渡り、港の小屋に戻るまでヒソヒソと噂をされる羽目になった。
「あのー、ごめんください。エーテル村って、聞いた事ありませんか」
「なんだおめえ、行商じゃないのけ」
「いえ、旅の者です」
「どごさから来たか知んねえけどよ、おらたつの村だぞ、勝手に入るたあ常識ねえごと」
「ええ……」
村の若い男が侮蔑の表情でレオンを厄介払いする。訪れた事でさえも非常識と言われたなら、もうこれ以上どうしようもない。
「他所の村に行った事がある方はいらっしゃいますか」
「んあ? そっただ常識のねえ奴がどごさいる! はだづまで嫁っこさ貰えねえ奴は皆追い出されるだども、戻らねえ。まあ、戻れるわけねえべなあ、恥ずかすぐでよ」
「はだづ……ハタチってことかな。そうですか、ご丁寧に有難うございました」
答えてくれるのは男だけ。というより、どこか村の雰囲気がおかしい。
「若い女の人がいない?」
その違和感は、しばらくしてから分かった。レオンは村の北東からやって来たため、人に声を掛ける際も北東ばかりを回っていた。
その時は男が畑や牧場、漁などでいないのだろうと思っていたが、そうではなく男が北東側にいないのだ。
レオンが現在歩いているのは南西。見かけるのは男ばかり。女の姿はどこにもない。
「もしかして、男と女で住む場所が分けられているんですか?」
「何言ってんだ常識だぞ? 今日の日付変わってからだろうが、女の家さ入れるのは」
「ったく、他所モンは見境いのねえこと! 常識もへったくれもあったもんじゃねえ」
男の話では、村の居住可能地域は限られており、人が増え過ぎると住む場所がなくってしまう。畑の作物も家畜も足りなくなり、漁師が持ち帰れる魚も限界がある。
だから普段から男と女は別々に暮らし、接触できるのは15歳以上、しかも30日に1度の決まった日だけ。昔からそうなのだという。
その際、男は女の家に夜這いを仕掛ける。勿論結婚していてもその決まりは守らなければならず、妻と夜を共に過ごせるのは30日に1度だ。
独身の女は迎え入れるか、もしくは拒否を示すために逃げる。
独身の男は血眼で女を探し、意中の男がいない女は全力で逃げる。そんな夜が1か月に1度訪れるのだ。
そして20歳まで独身だった場合、男は村の外に追い出され、女は仕事の傍ら村の産婆となる。
「女さ触れてよう、あんの乳さ揉んでみてえんだ。父っちゃが言ってんだ、柔っこくて良い気分なんだと!」
この村では、生まれた瞬間から男は男の家で、女は女の家で育てられる。男は母親のぬくもりを知らず、女は父親のぬくもりを知らない。
男が妻を娶るその日まで、男女は互いに指1本触れないのだ。
「漁師は漁師の娘を妻にする。畜産農家は畜産農家の娘を妻にする……なるほどね、そうやって職業の偏りが出ないようにしているんだ」
『魚が足りなければ漁師になればいいと思ったが、そういう事だったか』
世界において常識ではないが、この村ではそれが常識なのだ。
他所から見れば面倒くさいとしても、最初から未来が決まっていれば悩む必要もない。目移りするような産業はなく、綿花を使った糸紡ぎ師、糸を使って服を作る裁縫師がやや偉いと思われている程度だ。
他所からの来訪者は、半年に1度訪れる商人だけ。商人はこの村で野菜を仕入れ、代わりに酒樽をくれる。そして空いた酒樽を回収してくれる。それだけだ。
酒は野菜農家のものになり、欲しければ漁師は魚と交換し、大工は壊れた塀や壁を直す。貨幣などあっても使う場面がない。
「……明日には旅立とう、長居は無用だ。小屋に戻るよ」
『狐人族の存在も知らぬのではないか? 帽子を取ったらどうだ』
「いいよ、もう。男の家なら風呂を使わせてくれるかと思ったら、女を渡すような真似、するわけないだろってさ」
『フン、風呂に入らずとも交尾は出来ように』
「この村の常識では、お風呂に入らなきゃ出来ないんだよ。そう思い込んでるんだから好きにさせたらいいさ。でも風呂に入りたかったなあ」
『子作りしたかったのか』
「違う、この村での非常識な意味で言った」
レオンは粗末な小屋に戻ってため息をつく。木のベッドにシーツなど勿論ない。
食糧調達も出来なかったため、途中で狩ったウサギの肉の残りをかじる。日持ちさせるため燻製にしておいた事が幸いした。
この村では狩りをするのは猟師であって、別の職業の者が狩りをする事など考えた事もない。出来るかどうかを考えた事も、当然ない。
その猟師が肉をさばいて焼く事しか知らないのだから、燻製を見られたところで横取りした、盗んだと言われる事はないだろう。
「寝るよ、明日出発してから川にでも入って汗を流す」
ティアの形見の懐中時計は、遅れていなければそろそろ21時になる。
唯一の明かりとなるのは、動物の油を燃やすだけの燭台だ。照度は期待できず、家から明かりが漏れない。
今夜は雲が出ていて、月も星も見えない。暗過ぎて、さすがのレオンも目を凝らさなければ手の届く範囲すら把握できないくらいだ。
いつしか眠りに就いていたレオンは、ふと物音で目が覚めた。入り口の扉が開き、誰かが入って来たようだ。ジェイソンもどこかをじっと見つめている。
物盗りであれば、捕まえて殴りつけてやろう。レオンはそう思ってそっと体を起こした所で、遠くで響く声を拾った。
「どこだー! 隠れていないで出てこい! 今日こそは俺の妻っこにしてやる! 風呂さ案内しでけれ!」
「ハタチまで逃げ回るつもりか! 素直に出てきた方が何年も逃げ隠れするよりマシだど!」
「俺には後がねえんだ! 頼む! 出てきてくれ、風呂さはいって待っててけろ!」
妻がいる男は、ただ訪ねるだけでいい。しかし独身の男は女狩りとでも言わんばかりに村中を駆け回る。
レオンが大変な日に来てしまった……と後悔したその瞬間、小屋の壁がガタンと鳴った。
「誰だ」
「ひっ……や、やめて、お願い、いや……」
それは女の声だった。女は恐怖で声を震わせており、まるで生贄の命乞いだ。
『レオン、案ずるな。物取りではない、男共から逃げ隠れている女だ』




