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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

おお、味噌かぁ

作者: けねお

 こんこんと、不意に窓を叩く音が聞こえ、スマホから顔を上げてそちらを見た。


 てっぺんを回ろうかという真夜中。外は雪が降っていて風も強く、当たり前だが人が出歩くような日でも時間帯でもない。だから最初は石か何かが当たったのだと思った。


 だが再び、こんこんと窓を叩く音が聞こえたことで、それが自然の悪戯ではなく人為的なものだと確信した。そして湧き上がる不安感。こんな日のこんな時間に扉ではなく窓を叩く奴がいる……普通ではない。


 震える手で卓上にあった灰皿を掴んで窓に近づく。すぐに連絡ができるようにスマホも胸ポケットに入れた。慎重に窓へ近づく間にも、規則的な感覚で窓がこんこんと叩かれている。

 一ー呼吸入れてから、意を決してカーテンを開けた。


 そこにいたのは、俺の両親だった。


「ーーーーーーな、何やってんの」

「あんたこそ何やってんの。電話したのにぜーんぜん出ないんだもの直接来たのよ」

「……年末くらい顔出さんか」


 吹雪く中寒さを微塵も感じさせない喧しさで、両親が窓の前で説教を始めようとする。窓から雪がビュービュー入ってくるのもお構いなしだ。堪らず俺はとにかく中に入るように言って、すぐにお茶を用意した。


「何だって窓から来たのさ」

「玄関の位置がようわからんさ。あんた電話も出ないし、仕方なしに窓叩いたわけよぉ」

「いや言ったじゃん今年の年末年始は忙しいから無理だって。2ヶ月前には言ったよ俺」

「そんなん聞いとらんよねぇお父さん」

「……ん」

「嘘だって。絶対言ってるから。もうボケが始まってんじゃないの?」

「あんた! 親に向かってボケとはなんね!」

「悪口で言ったんじゃないってあーもー」


 軽口を叩きつつ、両親が入ってきた窓から外を覗き込む。相変わらず吹雪いている。他に人の姿はない。カーテンに付いてしまった雪を払うように、カーテンを少しばたつかせてから閉めた。


「……で、何も食べるもの用意してないけど」

「……夕飯は食ってきたから、いらん」

「そうさねお寿司食べてきたわ。あんた年越し蕎麦はどうしたん」

「無いよ。夕飯食べたら腹いっぱいになっちゃって入らないから」

「なんね勿体ない。お蕎麦食べないと年越せないがや」


 そう言うや否や母は勝手に台所へ向かっていく。慌てて静止の声を上げるがお構いなしだ。こんな歳になっても肝っ玉母ちゃんぶりは健在らしい。


「あ? あんたなんか落としとるよ」

「いやそれは……」

「なーんねお蕎麦あるじゃないの。何を隠すように……えっちな本でもあるめぇし」

「いやいやいいからいいからほんとやめてって分かった俺が作るから!!」


 ギャーギャー文句を言う母を、ここでは客人だからと適当に理由をつけてキッチンから追い出し、仕方なしに蕎麦を作り始める。


 ……俺は何をやってるんだろうか。蕎麦なんか食べるつもりなかったのに。食卓を見ると実家にいた頃から変わらず、母が一方的にマシンガントークを繰り出している。親父はいつもそれを黙って聞いて時折頷く。母としてはそれで満足らしい。息子ながら、いい夫婦だと思っていた。


「あ、味噌入れるの忘れんでね! あたしもそうだけどお父さんが黙ってないよ!」

「分かってるってもう。ちゃんと同じやつあるから」


 変わってるかもしれないが、うちでは年越し蕎麦に味噌を入れる。それはもはや蕎麦というより味噌汁に麺が入ってる何かであるが、我が高山家の伝統でもあるらしい……と言っても、発祥は母側の家で、親父がその風習をえらく気に入った形だから、正確には母親側の伝統なのだが。


 程なくして、例年より量は少ないが高山家伝統の年越し蕎麦が完成した。そう言えば、作り方は教わっていたが自分が両親に振る舞うのはこれが初めてかもしれない。急に緊張してきた。


 母が一口食べる。なんかまた文句言いそうだな、と思わず身構える。隣では父親が食べずに静観していた。母の反応を見てから動くようだ……ドキドキしてきた。


「あんたちょっと!」


 案の定、母が声を上げた。何か間違っただろうか。教わった通りに作ったはずだが……


「美味しいじゃないの! あんたにも高山家の伝統が受け継がれたんだねぇ」


 それは文句ではなく、素直な称賛だった。

 笑顔で「こうじゃないと年越し蕎麦は」と1人納得しながら食べ続ける母。なんだよもう紛らわしい……緊張してた自分がおかしくなり、少しホッとしたと同時に、不意に涙が溢れた。


 ちらりと親父を見た。親父は表情を変えてないように見えて、口角が少し上がってるようにも見える。


「……史頼、ちょっといいか」


 父が立ち上がり、俺を真っ直ぐ見つめる。俺は頷いた。


「なにお父さん、どっか行くの」

「……男だけの話だ」

「あんら、お父さん粋ねぇ。あんた、お父さんの話よーく聞くんやよ」

「分かってるって。ちょっと蕎麦食べてて待っててよ」

「お蕎麦伸びちゃう前に戻ってきなさいよー」


 そばを食べながらひらひらと手を振る母に見送られて、父と俺はリビングを後にし、そのまま玄関から家の外に出た。



◇◆◇◆◇◆◇◆



「ーーどうでしたか、警部」


 玄関先には、2人の警官が待機している。そのさらに奥にはパトカーが2台あった。この寒い中、パトカーにずっと待機していてくれていたようだ……顔が上がらない。


「まだ待て。だがもう入れる準備はしておけ」


 一緒に家から出てきた、隣の男性が警官2人に指示を出す。白髪の多い、年季の入った峻厳な顔立ち。これぞベテラン警官という出立ちは、俺の親父と雰囲気が似ていて、本当に「親父」と声をかけそうになった。


「ーー高山さん。心中お察ししますが、これ以上ご遺体を放っておくのも貴方の親父さんが可哀想だ。もう、よろしいですかね」


 警部さんは言葉の中に少し申し訳なさを含んだ声色で、しかしきっぱりと俺に言う。

 これ以上、警察の方々に付き合わせるかにも行かない。それに母は全てを忘れてしまったわけじゃないと、年越し蕎麦が教えてくれた。それだけでも満足だ。


 ーー満足なはずだが、それでも。俺は涙を、疑問の声を止めることができなかった。


「ーー警部さん、何で……なんでっ、母は親父を殺しちゃったんでしょうか」


 大の大人に、顔をくしゃくしゃにしてこんなことを質問されて、さぞ警部さんも困ったことだろう。けれど俺にはそんなことを考える余裕は無かった。


 本当に……本当に仲のいい夫婦だった。喧嘩することもあったが、次の日にはケロッと仲直りしているような関係で、子供の自分の方が拍子抜けするくらいだった。


 そんな関係がおかしくなったのは3年ほど前。母に痴呆の兆候が見られるようになってから。

 最初は買い物忘れや名前のど忘れ程度のもので、俺も親父もそれほど気にならなかった。それこそボケが始まったんじゃないの?とからかう程度だったのに。

 一昨年、決定的になったのは、一人暮らしをする俺の名前を忘れてしまった時だった。最初は何かの冗談だと思っていた。しかし母は決して俺の名前を呼ぼうとしなかった。母の中で、俺は完全に「あんた」になっていた。息子がいることは認識しているのに、名前は絶対に出てこなかった。


 そんな母に頭を悩まし、葛藤しつつも、俺と親父は母を支え続けた。痴呆は進む一方で、俺の名前どころか、赤の他人を俺と思い込むこともあったけど、それでも親父の存在だけはしっかりと認識していた。

 変な話、俺はそれが嬉しかった。自分の事が分からなくなったのは辛いけど、愛した人のことは絶対にブレない。両親の愛の深さに感動したし、クサいことを言うようだが、愛は不変なんだと信じていた。


 それなのにーー4時間前。12月31日の大晦日の23時頃。この実家に帰ってきた俺が見たのは……台所で、大量の血溜まりの中で、横たわる、俺が、母が、愛した……親父。傍には血がべったりついた灰皿が転がっていて、母の姿は無かった。


 頭が真っ白になって、抜け殻のような状態で通報した。警察はすぐに来てくれて、現場検証が始まって、タバコを吸わない俺の指紋は灰皿からは検出されず、母の指紋がべったり付いていて……母の捜索が始まった。


 茫然自失とする中で、返り血を浴びた母を警部さんが見つけてくれた。母は警部さんを親父だと思っているらしい。その一報を聞いて、ちょうど目の前で親父の遺体が運び込まれそうになった時にーー俺に天啓が降りてきた。


「すいません。本当に申し訳ないんですけどーーどうかお願いを聞いてもらえないでしょうか」


 警察に我儘を言って、遺体をそのままにして一旦警察関係者には外に出てもらった。警部さんに電話で親父の特徴を伝えて、親父になりきってもらって、玄関には警察の方が多くいるから、窓から入ってもらうように指示を出す。今思えば反対されるに決まってるこんな茶番を、しかし警部さんは了承してくれた。


「私にも、貴方のお母さんと同じぐらいの歳のカミさんがいました。今は先に天国で待ってくれてます……完全な私情ですがね、やりましょうか」


 母は親父のことが分からなくなって、親父を泥棒か何かと思って殴ってしまった。その可能性はほぼ間違いない。だが俺は信じたく無かったのかもしれない。両親の愛が不変であると、この茶番で証明したかったのだと思う。結果は……少なくとも、自分の中に納得できる要素を、見つけられたと思っている。


「……両親をお願いします」


 俺の一声を合図に、警察官が再び家に入っていった。警部さんは俺の肩に手を置いて、任せてくれ、と一声かけて、続くように家に入っていった。


 その後、母は警察に連れられて、父も運ばれていった。警察でいろいろ話をして、話を聞いて、その時の記憶は正直ない。


 実家に戻ってくると、すっかり冷たくなった蕎麦が置いたままだった。ふと、箸を取って一口啜る。口に味噌の風味が広がった途端。思わず笑ってしまった。


「……くっそ美味いや」


 俺は蕎麦食べ続けた。味はどんどんしょっぱくなっていったけど……間違いなく、世界で1番美味い蕎麦だった。

大晦日に投稿する内容としては重すぎる

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