フィッティング
屋敷に戻るとすぐに妹の私室へと向かう。
仮面舞踏会は三日後…つまり、三日しか猶予が無い。
あの後、ヨハン殿下からは俺の変装用ドレスを禁止され、妹のドレスを着るようにと念を押された。
幾つか思う事はあったが、あまり詳しく聞くのはやめた。
…嫌な予感しかしないから。
自身が受け持った事案で無ければ対象者の名前は秘匿される。
今回の様な状況では、その情報を頂ける事もあるが…あれは態と伏せられていた様に感じた。
そして室長のあの顔である。
…俺は自分の役割だけを全うしようと、蓋をした。
「あら、お兄様…おかえりなさいまし。」
妹の私室へと訪れれば、妹は柔らかい微笑みを浮かべ帰ってきた俺に声をかける。
俺と同じプラチナブロンドの髪は腰まで長く…緩やかに流れている。
瞳は淡い青のような緑のような…不思議な輝きを持ち、それは我がブラウニー家の特徴と言える。
ミシェルは他の令嬢よりも背が高く、ヒールのある靴を履けば俺と同じ目線になる。
そんな妹ミシェルは貴族の通う学園の最高学年で現在17歳。
学園の卒業後、18歳を迎えれば婚約者であるルイード・ガルシャラ侯爵子息と婚姻を結び、侯爵家次男のルイードはガルシャラ侯爵家の分家として数年後に爵位を賜り侯爵領の一部を治める予定だ。
因みに室長のラファエル様はルイードの兄で、次期侯爵となる。
ルイードは俺と同じ歳で、学園に通っていた時は仲が良かった。
だが、同じ学年にいたヨハン殿下に気に入られた俺は卒業後にヨハン殿下の側近として王城勤めが決まり…疎遠となってしまった。
ルイードもヨハン殿下からお声が掛かると思っていたが…ヨハン殿下はルイードを側近には選ばなかった。
兄であるラファエル様は第二王子殿下の側近だったが、対策室をヨハン殿下が引き継ぐ事になった際にヨハン殿下が兄である第二王子殿下に頼み込んで室長として残ってもらったらしい。
ルイードは王城勤めとはならず、しかも本人は自分が選ばれるものと思っていた為に他の仕事を探してはいなかった為…無職に。
仕方なく侯爵家で家の手伝いをする事になったという。
疎遠になったが、ルイードの兄であるラファエル様とは同じ職場なので情報は入ってくる。
まあ…あまり良い話では無いけども。
「ヨハン殿下からお話は聞いております。お兄様には此方を…。」
妹は既に用意していたのか、俺に1着のドレスを手渡してきた。
ドレスを目にした俺は思わず顔を顰める。
血のような濃い赤色のドレス…それはあまりにもミシェルには似合わなかったからだ。
何故、ミシェルは似合いもしない色のドレスを持っているのだろうか?
夜会や舞踏会で着ればいろんな意味で印象に残る。
どちらかと言えば悪い印象の方が強いかもしれない。
「これを…着るのか?」
心底嫌そうにドレスを受け取れば、ミシェルは苦笑いを浮かべる。
ミシェルとて本意ではないのだろう。
「……これはミシェルが…?」
態々これを作ったのかと尋ねようとしたら、ミシェルは凄い勢いで首を振って否定した。
…なるほど。
試着しサイズを確認しようとカーテンで仕切られた場所へと移動する。
女装の度にミシェルに協力して貰っていた為、ミシェルの部屋の端にいつの間にか作られた空間だった。
元々そんなに雄々しい体格では無いので、ドレスはすんなり着れた。
胸元が思ったよりも広く…ミシェルのような豊満な胸が無い俺に、ミシェルは柔らかなパットを詰め込むとデコルテ部分を隠すように赤いレース生地で覆った。
自然な膨らみに見えるようにレースの内側に肌色のシフォン生地を差し込む。
…姿見で確認すれば、ある程度近づいてもバレない程の偽装胸がそこにはあった。
それにしても趣味の悪いドレスだ…とまじまじと姿見を見つめていれば、ミシェルは首に装飾品を合わせ出す。
せめて装飾品は…と期待したが、どうやら装飾品も既に指定されているようだ。
「これ選んだ奴…どんなセンスしてるんだ?」
ルビーとダイヤモンドではあるが、ゴテゴテしていて重い。
そして古臭いデザイン…今どき、こんなの選ぶ奴いるのか?と逆に興味すらある。
妹は困り顔で…それでもクスッと笑みを溢すと「髪はどうします?」と俺の髪に触れた。
女装する事がある俺の髪は男にしては長い。
背中まである髪を常は一つに束ねている。
妹と違うのは長さと、髪質。
俺の髪は真っ直ぐなストレートだ。
「首周りを目立たせないようにハーフアップが良いかしら?それとも結った髪に付け毛して下すほうが合うかしら?」
ミシェルは慣れた手付きで髪を弄る。
侍女がいるのに髪や化粧に興味があるのか、妹はこういった事に詳しい。
慣れたのは俺のせいかもしれないが…。
幾つか試し、結局は地毛を生かしたハーフアップになった。
髪にも装飾品を飾ると、ヒールの無い靴を合わせる。
ドレスは足元まである為ヒールが無くてもパッと見では分からないし、ヒールのある物だといくら俺の身長が低いからと言っても目立ってしまう。
そんな事を思いつつ全身を確認し、妹の手腕に感服する。
趣味の悪いドレスと装飾品なのにも関わらず、それなりに見える…いや良く見える。
このまま外に出ても令嬢と認識されるだろう。
最後に当日着用する仮面を渡されたが、こちらは普通だった。
目元だけを覆う仮面はどこか猫のように見える。
「仮面だけはヨハン殿下から渡された物です。」
その一言にドレス類は他の誰かの見立てだろう事と、手元の仮面の出来に主君の趣味が悪く無い事に酷く安堵した。
態々言う当たり、妹もドレス類のセンスは無いなと思っていたのだろう事が窺える。
特に調整する事も無くドレスのフィッティングを終えミシェルの私室を出た。
扉の閉まる瞬間…妹が申し訳なさそうな顔をした気がして振り返る。
だが、その顔を見る前に扉が閉まった。
いつに無く、のんびり書いてます。