4 ツインテール美少女が1兆円を渡しに来た【挿絵付き】
実際に殺したらどうなるか。
僕には殺人犯になって社会的制裁を受ける親兄弟はいない。やってやろうか、という気になる。
だけど美沙をはじめ児童養護施設の人間が世間の偏見にさらされることになる。
児童養護施設には殺人犯を糾弾する張り紙が無数に張られ、石を投げ込まれる。
美沙がバレー部をやめさせられたり、学校に通えなくなるかもしれない。そこまで考えて、僕の殺意は急速にしぼんでいく。
僕って骨の髄まで負け犬なんだな、と思う。
怒りの衝動に任せて、仕返ししてやれたらどんなに気持ちがいいだろうと思う。
でも、すぐに結果を想像して止めてしまうのだ。
何とかハゲとクラーケンに復讐する方法がないものか。
金があればいろいろできそうな気がするけど、金がない。
タダ働きのむなしさを引きずって、児童養護施設に帰る。
児童養護施設はとても古い木造の建物である。
風雨にさらされ、朽ち果てて、みすぼらしいことこの上ない。
玄関で職員のおばちゃんが焦った声を掛けてくる。
「大変、虎児郎君、弁護士の人が見えているわよ」
弁護士? なんで? とキョトンとする。
だが次の瞬間、新しいトラブルを抱え込む予感でぞっとした。
イジメの一種で、誰かが僕に言いがかりを付けてきたのだ。ありもしない出来事をでっち上げて、損害賠償金を踏んだくろうというのだ。金なんか持ってねえよ。
あれ、でも弁護士を雇うなんて高尚な嫌がらせをカス高の奴らがやるか。
「お待ちになっているから、さ、早く」
逡巡しているとおばちゃんが、応接室の方に行けと手を振る。
応接室は児童の親族とかが面会に来る場所だ。身寄りのない僕はほとんど利用したことがない。
ドアを開けると、ソファーに掛けていた人が立ち上がる。
身長135センチくらいの女の子だ。
小学三年生くらいかな。小顔で、ツインテールの髪型も可愛らしい。弁護士が来てるんじゃなかったのか。
少女は学校の制服じゃなく、ベージュのスーツ姿だ。胸元に金色のバッチが付いている。前にテレビドラマで見た弁護士の人が付けていたような気がする。
名刺を差し出してくる。
「弁護士の上杉鏡子と申しまーす。緒方虎児郎さんですねー」
小学生のように舌足らずで間延びした声だ。
本当にこの人が弁護士……?
「疑ってますねー?」
笑顔で訊いてくる。僕の顔に出てしまっていたようだ。
「い、いえ……」
「こう見えても私はハーバードのロースクールを首席で出ていまーす」
胸を張る。
……ロリババアってやつか。超童顔なのに僕よりも多分年上とは生命の神秘を感じるな。
この人は誰にでも舐められそうだから、最初にご立派な経歴を披露することにしているのだろう。
気を取り直すように上杉さんは咳払いした。そして――
「私はあなたの祖父、緒方一郎さんの遺言執行人を務めています」
全く思いがけないことを言う。
祖父?……そりゃ自分にもじいちゃんはいたんだろうけど、どんな奴か聞いたこともない。
上杉さんはソファーに掛けるよう促すので、向き合って座る。
「昨日、一郎さんがお亡くなりになりました。お悔み申しあげますねー」
「はぁ」
死んだのか。
会ったことがないから感慨が湧かない。
「一郎さんは生前、娘であるあなたのお母さんと、あなたの存在を大変気に掛けていましたー」
「そうですか」
だったら施設から引き取ってくれればよかったのにと思う。
「でもあなたを引き取るわけにはいかない事情がありましたー」
上杉さんは相手の聞きたいことを表情から読み取ることにたけているらしい。
「あなたのお母さんが駆け落ちをして、一郎さんとは絶交状態になりました。一切の金銭的援助を拒否して、貧しい暮らしでしたがあなたが産まれて、幸せに包まれていたそうでーす。ですがお父さんが過労で亡くなり、お母さんも重い病気に冒されているいることがわかりました。……これは一郎さんから聞いた話です。陰でお母さんを見ていたのです」
母さんはガンで死んだと聞いている。
「……この児童養護施設に僕を預けることになっても、じいちゃんの金を受け取らなかったんですね」
どんだけ母さんは意地っ張りだったんだと腹が立つ。息子のために頭を下げられなかったのか。
「はーい。ただお母さんは生前に一度だけ一郎さんと会って、約束をしました」
「約束?」
「一郎さんが生きている間は、あなたと一切の関わりを持たない。そして亡くなった時は遺産の全てをあなたに相続させる、と」
「なんでそんな……」
早く助けてくれて良かったのに。
「お母さんはあなたが苦労を知らない大人になってほしくなかったのでーす。庶民を見下すお金持ちの世界に嫌気がさして家を出て行った方なのでー」
「へえ、じいちゃんはそんなに金持ちなんですか?」
結構まとまった金がもらえそうだとほくそ笑む。
上杉さんは意外そうな顔をする。
「あなたは緒方一郎さんの名前を聞いたことはないのですかぁ!?」
僕はカス校生なんで一般常識を期待しないで下さいね。
「では緒方ホールディングスなら聞いたことがあるでしょう。日本を代表する企業グループですよー。一郎さんはその総帥。総資産は約2兆円。日本有数の資産家です」
現実と思えない金額。
あっけにとられていると上杉さんが説明を続ける。
「もっとも、日本の相続税は高額です。約半分のお金を国に召し上げられますが、1兆円ぐらい残ります」
「い、1兆円もらえるの、僕が――」
「はい、資産の大部分は緒方ホールディングスの株式で、他には現金を千億円ほどお持ちでした。現金についてはあなたの銀行口座に振り込み済みです」
「え、僕は銀行口座なんか持ってないですよ」
「実は、一郎さんがあなたの銀行口座をお作りになっていました。これが通帳でーす」
上杉さんが鞄から通帳を取り出して、テーブルに置く。
緒方虎児郎と名前が書いてある。恐る恐る手に取って開いてみる。
最初の行に、見たことのない数が印字されている。
「一、十、百、千、万、十万……」
バカだけど、位を数えることくらいはできる。でも千億を数えたのは人生で初めてだ。
「緒方ホールディングス傘下の銀行です。一郎さんの指示で、あなたの本人確認を省略して、銀行口座が作られたわけでーす」
「こ、これ、本当に僕がもらっていいの?」
「ええ、あなたのお金ですから、ご自由にー」
上杉さんは満面の笑顔でこれ以上ない幸運を祝福してくれている。
もう一度通帳に目を落とす。
千億。千億だぞ。しかも他にも9千億くらいもらえるときた。
「現金の千億はあなたが当面の生活に困らないよう、すぐお渡しするように一郎さんが指示していたものです。株式の方を相続税として半分、国に納めます。ですから現金は相続税を気にせず使って結構ですよ~」
当面の生活って、一生かかっても千億って使えんの? スケールがでかすぎる……
通帳をもらって、ちょっとは嘘じゃない気がしてきた。
母さんは超がつくお金持ちのお嬢様だったのに、ド底辺の暮らしをしていたのか。
「相続税の手続きは私の方で進めておきます。あなたは緒方ホールディングスの大株主ですが、経営に関しては今の社長に任せておきなさいと一郎さんが遺言しています。経営には口出ししないということでいいですねー」
「もちろんです」
経営、何それという感じでよくわからないので適当に答えておく。
「じいちゃんの葬式は?」
今まで援助をしてくれなかったじいちゃんだが、大金をくれたなら話は別だ。
「お葬式はありません。緒方ホールディングスの社葬もなしです。一郎さんはこの世に未練はないと」
「かっこいい」
「豪快な方でしたねー 遺骨は故郷の海に散骨しますから、墓もありません」
すばらしい。葬式に出なくていい上に、墓参りも法事もしなくて良さそうだ。
ひどいじいちゃんだと思ったが、実は立派な人だ。
「最後に、あなたのお母さんのメッセージを預かっておりますのでお渡ししまーす」
上杉さんはピンク色の便箋を差し出した。
僕は受け取って、恐る恐る読んだ。
『虎児郎、これを読む時は大金を手にしているでしょう。
あなたのお金はどう使おうがあなたの勝手です。
緒方家のしがらみ、世間の空気から自由になれるよう、私はあなたを育てたつもりです。
周りに囚われず、あなたが最高に幸せになれるようにお金を使いなさい。
今まで、あなたを厳しく育て過ぎました。ごめんなさい』
母さん……
初めて母さんから手紙をもらって涙が滲んできた。
父母がいない寂しさ、今までの人生の苦しさを思い出して涙がボロボロと落ちる。
袖で拭っても拭っても止まらない。
嗚咽する僕を見ていられなくなったのか上杉さんは応接室を出て行こうとする。
「付け加えますと、こう見えて、私は企業買収のスペシャリスト。一郎さんの右腕でした。遺産の有効活用で、どこかの企業を買いたくなったら私にぜひご相談下さいねー」
自身の宣伝をしていた気がするが、僕は返事をするどころではなかった。
応接室で夜まで泣き続けた結果、涙とともに過去の自分も流し去った気分になった。
これからは新しい人生を歩むのだ。
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