21 召喚魔法発動
クリスタルの社長室。
ソファーに腰掛けてコーヒータイムのヴォルフの傍に見慣れぬ男が立つ。
金髪の白人で、ヴォルフとは英語で親しげに話している。
今日は金髪巨乳美女がいない。
ヴォルフは、白人男を真剣に相手にしているようだ。明らかに日本人のおっさんとは扱いが違う。
五味田は出世を勝ち抜いてきた者の直感で、男を大物であると見てとった。面識を作ろうと物腰低く近づいていく。
ヴォルフが五味田に声を掛ける。
「ケン・ブラックスミス君だ。弁護士で、アメリカのさる大企業の代理として来てくれたゾ」
五味田はヴォルフが仲を取り持ってくれたことに狂喜する。
自分はクリスタルの将来を担う人材として期待されている証。
満面の笑みでケンに英語で自己紹介した。
「日本にはどういった御用向きで?」
「キョーコ・ウエスギの企みを阻止するお手伝いですよ」
ケンの答えにキョトンとする。
上杉、ああ……タイガーチャイルドファンドの窓口をしているちっこい女か。
「あの女が何を?」
「気づいていないのですか」
ケンは鼻で笑う。
「キョーコと私は同じ弁護士事務所で働いていました。少女の顔をした悪魔と呼ばれる彼女の才能には嫉妬を覚えるほど……彼女が日本に行ってからも動向には注目していたんですよ」
ケンの落ち着いた口ぶりには誇張が感じられない。
このやり手そうな男よりも上杉の方が上というのは信じがたいが…… 「上杉にJS用下着でもプレゼントしに日本に来たのかと思った」と軽口を叩けば失笑を買うだけだと自重する。
そこでヴォルフが重低音を響かせる。
「ケン君はなァ 緒方ホールディングスがクリスタル本体に敵対的買収を仕掛けてくる気だと、知らせてくれたんだゾ」
「は……」
目が点になる。
「自動車生産がストップする恐れで、クリスタル株が大暴落している今は緒方にクリスタルを乗っ取らせるチャンスだからなァ」
ヴォルフが付け加える。
「なんですって――!?」
五味田は巨大企業クリスタルを買収しようという会社が現れるなど夢にも思わなかった。
しかし緒方は確か……資産10兆円以上と、クリスタルの2倍も巨大な企業。
クリスタルが飲み込まれようとしているだと――
「キョーコが悪魔と呼ばれるのは超絶な魔法を使うからですよ。緒方ホールディングスという巨大な召喚獣を呼び出す魔法で、クリスタルの巨躯を食いちぎろうというのです。キョーコは緒方の前社長の右腕でしたから、緒方とつながっていると見て間違いないでしょう」
ケンはキザったらしく文学的比喩で説明する。
「クリスタルの株を過半数買い集めて、私を解任するつもりだなァ」
ヴォルフが忌々しげに話す。
クリスタルの株は株式市場で日々売り買いされている。売られる株を緒方は何千億円、いや何兆円とつっこんで片っ端から買っていく。
緒方が過半数の株を買い集めたら会社の方針を決めることができる。
ヴォルフをクビにするのも思いのままだ。
「し、しかし、そんな報告、どこからも聞いていません」
五味田は言い訳をする。
もし、緒方がクリスタルの株を5%以上買えば役所に届け出ないといけない決まりだ。それで乗っ取りを仕掛けていることが明るみに出る。
「緒方ホールディングスの息のかかった会社、闇の眷属ともいうべき連中がクリスタルの株を密かに買い集めています」
ケンは説明する。
それを聞いて五味田は、はっとした。
逆に言えば5%未満なら届け出る必要はなく、秘密裡に乗っ取りを進めることができるということだ。
緒方ホールディングス本体が直接クリスタル株を買うのではない。
緒方の子会社や関係会社は何百とある。
それらがちょっとずつクリスタル株を買っているのだ。
一つ一つの会社が買うクリスタル株は全く目立たない。
全体をつなぎ合わせてようやく、狙いが見えてくる。
「キョーコが無数の会社に分散して、買い集めてさせているクリスタル株は私の推定では30%」
「なんですと――!?」
五味田は開いた口が塞がらなくなる。
「リヴァイアサンの如き巨獣の牙がクリスタルの喉にすでに深く食い込んでいます。51%の株を取られたら負けのところ、30%を取られていたら大劣勢ですねぇ」
ケンは大げさにお手上げのポーズをする。
五味田は責任を取らされかねない大失態だということを理解した。
「も、申し訳ございません、社長」
すかさずヴォルフに向けて深く腰を曲げる。
大ピンチだというのに全く気付かず、放置していた。
貴様はクビだ、と宣告されるのを予期した。
もはやいかにして降格を少なく食い止めるかだ。
「日本のオッサンは愚かで視野が狭いから仕方ありませんよ」
先に口を開いたのはケンだ。
「オッサンは目先の勝負にこだわって大局を見ない。そしてゲームのルールが変わるとは思わない。むしろルールをどう設定するかが勝負だというのに」
悔しいがケンの言う通りだ。
五味田はタイガーチャイルドファンドと部品会社をめぐる戦いだと思っていた。
が、上杉はクリスタルをめぐる戦いに次元を変えてきた。
部品会社をめぐる戦いでは優勢になってきているが、クリスタル自体を取られては負けだ。
上杉が少女の顔をした悪魔と呼ばれる理由がようやくわかった。
当たり前に思っていた世界の形を、ぐにゃりと歪めてしまう恐るべき魔法の使い手だ。
「五味田君には荷が重い相手だったなァ」
ヴォルフが大袈裟にため息をするので、五味田の背筋が凍る。
「し、至急対策を練ります」
五味田は具体的には何も思いつかないが頑張る姿勢を見せる。
社員の頑張りを評価するのが日本企業だ。
だがヴォルフには通用しないのが常だ。
「その必要はない」
「わ、私は……クビ……ですか」
恐怖で引き攣りながら確認する。
「クリスタル本体の防衛はケン君に任せる」
ヴォルフが重々しく告げる。
「は……はい」
ということはどうなるんだ。
冷や汗が頬を流れていく。
「五味田君は引き続きタイガーチャイルドの相手をするんだ」
今のままでいいということか……
「オッサンにはその程度しか務まりませんね」
ケンの嘲りが伝わってくる。
しかし五味田は地位を保てて躍り上がって喜びたい気分だ。
「緒方ホールディングスがリヴァイアサンなら、私の依頼人の会社はバハムートといったところ……同じく巨獣を召喚して対抗といきましょう」
ケンは含み笑いをする。
「こっちはホワイトナイト召喚だなァ。ケン君の会社がクリスタル株を25%ほど保有してくれるそうだ、フフ」
ホワイトナイトとは他の会社に味方になってもらうことだ。
敵が株を買い集めてくるのに対抗して、ホワイトナイトも株を買い集める。
「他のクリスタルを支持する株主と合わせれば半数を大きく超えるなァ。上杉鏡子が何をやってきても過半数を取られることはないゾ」
ヴォルフが満足気にコーヒーを口にする。
なんという戦いだ――
上司にゴマをすることばかり考えてきた五味田には召喚魔法は使えない。
ケンのようなグローバルエリートと日本のおっさんでは、レベルの差がありすぎる。
「この機にケン君の会社とは提携をする。クリスタルのアメリカでのシェア拡大につながるなァ。クリスタルとしては願ったりかなったりだなァ」
ヴォルフの高笑いが響く。
「ウィンウィンの関係でいたいものですね」
ケンも相槌を打つ。
「これも全てタイガーチャイルドファンドのおかげだなァ。奴が何か仕掛けるたびにクリスタルはますます素晴らしい会社になるゾ」
ヴォルフの言うとおりだと五味田は思う。クリスタルは焼け太りをしている。
敵が強大であるゆえに、クリスタルはより強くなっている。
これがグローバルエリートの戦いか……
ケンこそはヴォルフの切り札なのだ。
五味田がこの戦いを主導できないのは残念である。
だが、今はそれを嘆いている場合ではない。
この状況でいかに自分の立場を良くするか。
クリスタルの勝利は揺るがないし、ヴォルフがクビになることもありえない。
となればヴォルフにゴマをすれるだけすっておくのが得策というものだ。
五味田がこれまで培ってきたサラリーマンとしての勘がそう判断する。
「……ミスターブラックスミスに教えていただきたいのですが、味方の株主が裏切ることはありえないのでしょうか……」
五味田は揉み手で質問する。
愚問だと一蹴されることは目に見えている。
「ありえませんね。クリスタルと、私の依頼人の会社とは友好関係でいた方が得ですから」
ケンは比喩を使わず、理路整然と答える。
「なるほどぉ、さすが、よくわかりました」
五味田は大げさに頷いてみせる。
ケンを称えれば、彼を気に入っているヴォルフの覚えがめでたくなるという計算だ。
「いい機会だ。五味田君はケン君からよく勉強させてもらうんだなァ」
ヴォルフが鷹揚にしているので、ほくそ笑む。
「はい、是非そうさせていただきます」
ケンは自分に対して黄色い猿を見るような目を向けているが、気にしない。
大事なのはヴォルフの評価だ。
ヴォルフとケンは全く別の話題を話し始める。
高速の英語は五味田では付いていけるものではない。
話題を振られると、自分の英語力がバレるから、静かに退室する。
しかし……本当に大丈夫なのか……上杉がさらに魔法を使って来るんじゃないだろうな。
五味田は猛烈な不安を拭いされなかった。
社畜作者はバブル世代のおっさんの浅い思い付き、露骨なごますりに辟易しています。
おっさんを一気に追い詰めた上杉さん。この調子で格の違いを見せつけられたらと思います。




