16 ゲームはハードモードだと後で気づくとはな
ニュースキャスターの若い女性が緊張した面持ちで話し始める。
「タイガーチャイルドファンドが敵対的買収を仕掛けている2社のうち1社に対して、クリスタルがより高値で株を買い集めるという噂が流れています」
画面が株価のボードに切り替わる。
「クリスタルが買い集めると目されている方の会社の株価は、他の投資家が先回りして買っているため、タイガーチャイルドファンドの買い付け価格をすでに上回っています」
上杉さんの話では、クリスタルの社員が新聞記者に噂を流しているらしい。
近々タイガーチャイルドファンドより少し高い株価で、クリスタルが買うと正式に発表するという。
クリスタルの方が高く買ってくれるなら、タイガーチャイルドファンドに売ろうという株主はいない。
タイガーチャイルドファンドが買いたければ、クリスタルが出してくる価格をさらに上回る価格を打ち出さないといけなくなる。
株の買い集めはネットオークションと同じだ。相手が折れるまで、高値で買う方が勝つ。
そして資金力はクリスタルが上回る。
最後にはクリスタルが勝つが、クリスタルは延々と株価が吊り上がる事態は避けたい。
クリスタルは正式発表前に噂を流すことで、タイガーチャイルドファンドが戦意を喪失する時間を与える狙いがあるらしい。
そう、今頃になって、僕は勝利条件に違いがあることに気づいてしまった。
僕 →下請け2社の株を買い占める
クリスタル→下請けの1社だけでも株の買い占めを阻止する
……僕は2社とも買い集めて、ようやくクリスタルの自動車生産をストップさせられる。
2社より、1社だけでクリアな方が圧倒的に楽なのは明白。
最初から勝利条件的には、クリスタルの方が断然有利だったのだ。戦力的にもクリスタルの方が上なのに。
こんな当たり前のことにようやく気付くなんて……僕はバカだ……
ゲームはハードモードだったんだ……
テレビでは、キャスターの若い女性と60歳くらいの経済評論家が話し合っている。
「部品会社2社のうち、1社を見殺しにしてでも、1社は死守するというクリスタルの戦略、どうご覧になりますか」
「さすがはヴォルフ社長ですね」
「非情な決断だという声もありますが……」
「タイガーチャイルドファンドが2社とも敵対的買収に成功してしまったら、クリスタルグループ全体が沈んでしまう。1社を犠牲にして、全体を助ける。ヴォルフ社長にしかできない冷徹な判断だと思いますね」
「クリスタルに選ばれなかった方の1社は倒産して、社員の方々は失業すると言われていますけれど」
「そもそも悪いのはタイガーチャイルドファンドですよ。ヴォルフ社長を悪く思うのは筋違いというものですっ」
経済評論家は声を荒げて非難する。
キャスターの女性は深くうなずいている。これを言わせるのが目的なのだ。
「まったく……タイガーチャイルドファンドのオーナーはどう思っているのでしょうね。失業する人の苦しみを何とも感じてないのでしょうか」
「人の痛みがわかるなら、敵対的買収を取り止めることです」
「そうですね。でも敵対的買収は途中でやっぱり止めますとは言えないルールだとか」
上杉さんに教わったことだが、敵対的買収を発表してしまうと、取り下げられない。
買うと発表したからには、売られてくる株券を買わないといけないのだ。
クリスタルがもう1社については張り合ってこないので、タイガーチャイルドファンドが高く買うという状態が続く。
株券を売りたい人が殺到してきて、それを全部買い取らないといけなくなる。
買っても無価値になってしまう株だというのに。
「タイガーチャイルドファンドは1社の株を買い集めた後で、クリスタルに引き取ってもらうしかないですなぁ」
「なるほど」
「早く白旗を上げて、クリスタルに許しを乞えばクリスタルが温情で、いくらかで買ってくれる見込みがあります」
「その方がタイガーチャイルドファンドの損は少なくて済むというわけですね」
「ええ、ファンドの代表者が出てきて、世間を騒がしたことを土下座して謝れば、クリスタルが10億円とかで買ってくれるんじゃないですかね」
「謝罪が遅れるほど印象が悪くなって、クリスタルはお金を払ってくれなくなりますよね」
もはやタイガーチャイルドファンドは犯罪者扱いだ。
「クリスタルがたった1円で株を引き取ることにしても文句は言えません」
「2百億円で買った株が1円になっちゃうんですか!?」
苦笑する女性キャスター。
僕は正気を失いかけている。
1兆円持っているといっても2百億円失うのは痛い。
「笑ってしまいますな。タイガーチャイルドファンドはクリスタルにダメージを与えようとして仕掛けたんでしょうけれど、見事に返り討ちにされて、恥をさらすだけです」
「今後の展開は決まりですかね」
「クリスタルに勝てると思う方がおかしいのです」
「ご説明ありがとうございました。このままですと2百億円を損した上に、大勢の社員を失業させてしまいます。何もいいことがないんですから、タイガーチャイルドファンドは早く諦めた方がいいじゃないでしょうか。私はそう思えてなりません」
女性キャスターはそう締めくくる。
次のニュースに切り替わる。暗澹たる気分でテレビを切った。
「あのう……」
そこで穂香ちゃんのお父さんが恐る恐る話しかけてくる。
「何でしょう」
悪い知らせの気がした。
「実はクリスタルから値引き要請がありました。タイガーチャイルドファンドを打倒するための協力を、ということです」
「え、それじゃあまるで……」
「タイガーチャイルドファンドのせいで、下請けが苦しむことになります」
「く……」
これもクリスタルの策略か、と思う。
徹底して悪いのはタイガーチャイルドファンドだと仕向けてくる。
「しかも今回の値引き要請はひどい。うちは虎児郎さんがお金を出して下さったので大丈夫ですが、他社は……」
お父さんが言葉を濁す。
言えないようなひどいことになるんだと思うが、僕には聞く義務がある。
「どうなるか教えて下さい」
「下請けの従業員は低賃金で働いていますが、さらに賃金を下げないといけません。子供を抱えている従業員だったら、ミルク代を払うのにも困るかもしれません」
「それだけですか?」
「……従業員の賃金を下げるだけでは足りなくて、社長が首を吊った保険金で、運転資金を確保しないといけないところも出てくるでしょう」
絶句した。
クリスタルのやり方は汚い。
下請けの人たちを人質にして、脅している。下請けの人が苦しんで、僕は平気でいられるのかと。
タイガーチャイルドファンドの正体が僕だとバレているのか。
バレてはいないはずだけど、見事に弱点を突いてくる。
お腹を空かせて泣きまくる赤ちゃん。
暗い工場で首吊り自殺する社長。
悲惨な光景を次々と想像してしまう。
ダメだ。
僕の心は耐えられそうにない。
お読みいただきありがとうございました。
後に現実世界の魔王様となる虎児郎ですが、この時点では自らの力が及ぼす影響に慄いています。
次回以降、強大な敵との戦いを通じて、虎児郎と仲間が深く結ばれていく姿をご覧いただきますと幸いです。