表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幽霊案内人 円屋壮太  作者: coconeko
3/12

表の商売、裏のお仕事

「早かったじゃない」

「お湯が沸いていたからね」

 起き上がった艶子の向かいに座って、急須にやかんを傾ければ、熱そうな湯気が立ち上る。

「玉露じゃないの?」

「僕はほうじ茶のほうが好きだからね」

「どっちでもいいけど」

 そこで、二つの湯飲みにほうじ茶を注ぎながら、壮太は艶子の顔を見やった。

「ああ、艶子は猫舌だっけ?」

 黒猫に変化するのだから、熱い飲み物は苦手だろう。

「ちゃんと手元を見て頂戴。零れるわ」

 ぴしゃりと叱られた。

「玉露だったら、少し冷ますから、丁度良いのよ」

「やっぱり猫舌なんだ」

 くすりと、小さく笑う壮太に、すい、と目を細めて、艶子は答える。

「何か可笑しいかしら?」

 ひやりとした空気に、壮太は慌てて湯呑みを艶子の目の前に差し出した。

「それで、文吉なんだけど」

「自分が取り憑かれているって気が付いているのかしら」

「うん、それはまだじゃないかな。ついさっきの事だし」

 ずず、と、湯呑みを傾けて、壮太は開け放した障子の向こうに見える母屋を見やった。

「今のところは平穏だけど」

「お静自体、人に恨みを持つような娘ではないから、騒ぎは起こさないんじゃないかな」

 また、ずず、と一口、茶を啜る。

「あら、知っているの?」

「そりゃあ、うちは呉服問屋だから、木綿問屋とは懇意にさせて頂いているしね」

 それはそうだが、店先に滅多に姿を現さない壮太が、商売先の木綿問屋と懇意にしているなどとは思いも付かなかった。

「壮太もたまにはまともに仕事しているのね」

「絵描きだって、僕のお仕事なんだけどなあ」

「人間のお仕事よ。あんたのとこ、長男坊がさぼり過ぎるから、次男坊が店を継ぐのでしょ?」

 頬杖をつき、ようやく頃合になったほうじ茶に口を付ける。

「はは。痛い所を突くね」

 ちっとも痛いとも思っていない顔で笑うのが憎たらしい。

「とても性格の良い娘だったみたいね」

「うん。だから、今回の事は可哀想でね」

 ああ、だからか、と、艶子は思う。

 普段、幽霊を描く時は、その人物の顔も着物も、きちんと描く壮太が、お静だけは後ろ姿だった。

 彼女の死因にもなった彼女の顔を、描くのは忍びなかったのだろう。彼女は死んでしまった今でも、自分の顔で悲しんでいる。

「女の子の顔を醜いなんて言う男って、最低よ」

「まだまだ、世の中男女平等というわけにはいかないからねえ」

 女性が選挙権を得たのはつい最近だ。この国はまだまだ、欧羅巴諸国に追いつくには程遠い。

「まあ、仕方ないわ。こうなった以上、取り憑いたお静を文吉から引き剥がさない限り、うっかり文吉の魂まで、斬ってしまいかねないから」

「君の刀でどうにかならないの?」

「あんたね。あたしが刀を振り上げて、文吉は大人しくしてくれる?」

「・・・・・寝込みを襲うとか」

「嫌あよ、そんな馬鹿な事」

 しゅるりと、艶子は黒猫に姿を変える。

「取り敢えずは、何か方法が見つかるまでは様子見ね。ホント、いっそ悪霊にでもなってくれたら、無理にでも引っぺがしてしまえるのに」

「だから、艶子は発言が時々過激だよ?」

 つい、と、自分の脇をすり抜けて、外へ向かう艶子の尻尾を掴む。

 がり

 思いっきり爪で手の甲を引っかけば、慌てて手を離した。

 血が滲んでいたが、自業自得というものだ。

「今度やったら噛み付くからね?」

 黒い瞳に睨まれて、亀みたいに壮太は首を窄めた。

「しばらく、文吉から目を離さないようにするから、壮太は潰れた店について調べて頂戴」

「今更調べた所で、どうにもならないと思うけどな」

「あとは、木綿問屋ね。旦那に会ってお静について聞いて頂戴」

 嫌々そうな壮太の発言は一切無視をして、艶子は壮太の離れを後にした。

 この際、お静の自殺の原因となった見合い先の旦那に、頭を下げさせるなり、お静の気の済むようにしてやりたかった。

 問題は、彼女が自分の顔について、どうしたら納得してくれるかだ。

「多分、原因を取り除きさえすれば、お静は文吉から離れてくれるんだろうけれど」

 一度人に取り憑いた霊を、成仏させてやるのは色々と面倒くさい。一人でふらふらしていてくれれば、無理にでも狩って冥途へ連れて行けるのに。

「下手をすると、取り憑かれた人間の魂まで一緒に狩っちゃうのよね」

 それに、言われるほど醜い容貌でもなかったというのに、女性に対して酷い言い様ではないか。

 お静を哀れにも思うし、同じ女として暴言を吐いた本人を許せなかった。

 たとえ店を潰されたにしても、同情心すら沸かない。主がそういう人間なら、下の人間はたいそう苦労していただろう。

 壮太の店とはとても違う。

 円屋は、それはもう主夫婦がしっかりしているものだから、下の人間は活き活きと働いている。

 旦那の彦江門は商売の引き際も攻め際も心得ていて、女将の彰子は使用人の扱いが巧かった。

 店の下男下女の、親役をしっかりと務めている。

 ゆえに、使用人の信頼も厚く、取引先からも、商売を見極めるなら円屋を習え、とまで言われるほどに信用されていた。

 私利私欲に走ることなく、商売の本質を貫く姿勢は、次期当主の次郎太にも引き継がれている。

 店は客のため、使用人のためにある。

 その思想が変わらない限り、円屋は繁盛するだろう。

 そんな家に生まれながら、壮太は何故ああも飄々としているのか。

「不思議だわ」

 それでも次郎太なども、兄さん、兄さんと言って、慕っているので謎は深まるばかりだ。

 ふう、と、艶子はひとつ、ため息をつく。

 自分だって、いくらあの男の能力が便利だとはいえ、何だかんだと壮太を相手にしているのだから、人の事を言えたものではないのだ。

 店から威勢の良い声が聞こえる。

 開店して、いよいよ忙しくなって来たらしい。

 艶子は勢いをつけて走り出し、母屋へと向かった。

くうん

 艶子の去った、母屋の方角に向かって灯子が心配そうに咽喉を鳴らした。

「何、心配することは無いよ」

 縁側に腰を下ろし、隣に座る灯子の頭を撫でながら、壮太も母屋を見やった。

「ああ見えて、艶子は優しいからね」

くうん?

 首を傾げる灯子に、壮太は笑った。

「灯子は心配性だねえ」

 そう言う壮太本人は、文吉に取り憑いたお静をどうするつもりなのか。

 艶子と灯子の心配を他所に、まるで人事のような壮太である。

「さって、と。そろそろ行きましょうかねえ?灯子」

 大きな伸びをひとつすると、盆に茶の道具を乗せ、空になったやかんを持ち、ゆっくりと母屋へと向かった。


「兄さん!何?手伝ってくれるの?」

 珍しく店先に顔を出した壮太を、次郎太が見つけて手を振った。

「たまには、長男らしいことをしないとね」

 にっこりと笑い返す壮太の頭を、衝撃が走る。

「い、痛い」

「当たり前だ!」

 振り向けば、拳を握り込んだ美女。

 兄弟の母であり、この円屋の女将である彰子が、艶やかな唇を歪ませ、こめかみに血管を浮き上がらせて立っていた。

「なあにが、長男らしいだ。だったら毎日店に顔を出しな!」

 纏めて結い上げた髪は、年の割りに白髪もなく黒々と滑らかで、東京でも評判の美女である。老若男女問わず、ファンは多い。

「ほっほ。さっそく殴られたか。灯子はどうした?」

 騒ぎに番台の奥から、この店の主が顔を出す。

 ころんとした体形だが、けして背が低いわけではない。柔和な顔は、円屋の次男坊に引き継がれている。

 仏の彦江門と呼ばれているが、商売では絶対に妥協しない。一部では、仏の面を外せば般若の円屋、とも呼ばれている。

「お父さん。お早うございます」

「おう、お早う」

 母に殴られた頭をさする壮太を、幾人かの使用人がくすくす笑いながら通り過ぎた。

「灯子は店の中にまで入れる訳にはいきませんから、看板娘になってもらっていますよ」

「ほ」

 見れば、ちゃんと店の入り口の脇に座って、暇そうに欠伸などしている。時折、通行人に頭を撫でられて、しっかり集客に役立っているようだ。

「灯子の方が、お前より良い仕事をしているのじゃないかね?」

「そうかもしれませんね」

 ぱたりぱたりと、客に頭を撫でられながら、右巻きの尾っぽを振る白犬を見て笑う親子の間を、次男坊が割って入る。

「兄さんも父さんも、立ってるだけなら商売の邪魔ですよ。ほら、動いて動いて」

 邪魔者扱いされて、二人は顔を見合わせた。

「やれやれ、次郎太には、もう負けとるなあ。わしも年を取ったもんだ」

「段々お袋殿に似て来ましたね」

 彦江門が頭を掻きながら帳場に戻ろうとするのを、後ろから壮太が着いて行く。

「兄さんは引っ込まないで下さい」

 着物の袖を引っ張られ、ずれた襟を直しながら弟の顔を見れば、さも、壮太が悪いというように、眉尻を上げて睨まれる。

「なんだい、帳場の手伝いをしては駄目なのか?」

「何を言っているんですか。兄さんが店に出て来たからには、接客以外に仕事はありませんよ」

 ぷりぷりと頬を膨らませ、次郎太はせかせかと兄の背中を押して、店先に追いやった。

「きゃあ!壮太さん、今日はお店にいらっしゃるの?」

 目ざとい女性客が、早々に壮太を見つけて群がって来る。

「壮太さんったら、滅多にお店にいらっしゃらないのですもの。今日はわたくし、運が良かったわ」

「あら、壮太さん、居るなら居るって仰いなさいな」

「ちょっと、この生地はどうかしら?」

 一斉に話し掛けられても、そこは手馴れたもので、愛想良く笑いながら、壮太は娘たちを捌いてゆく。

「申し訳ございません。もう一つの仕事が手が離せないものでして。でも今日はこうしているのですから、お相手させていただきますよ。ああ、こちらの生地より、お甲様にはこの紅花の織物などいかがです?」

 それでも、隙を突いて次郎太の腕を、ぎゅっとつねってやるのは忘れない。

 別に接客が嫌なわけではない。

 むしろ、綺麗で可愛いお嬢様方のお相手は大好きだ。店の品を買ってくれれば更に良い。

 しかし。

「灯子、入って来ちゃ駄目じゃないか」

 すり、と、足元に擦り寄る犬の頭を撫でてやると、寂しそうに、くう、と鳴いて、また入り口に戻って行く。

「あの子、本当に壮太さんの事が好きだよねえ」

 赤い唇が艶かしい、常連客が灯子の背中を見て呟けば。

「僕も灯子が好きですからね」

 壮太も、いつも通りの返答をする。

「はい、はい。憎たらしい。そういうところが、また良いのだけど」

 長くて綺麗な指で、壮太の顎を上向かせる。

 彼女は壮太より身長が低いので、上向かせた壮太を、自分も顎を上げて見上げる事になるのだが、これがまた、色っぽい。

「それは、ありがとうございます」

 その色っぽさに微動だにせず、にっこりと微笑み返せば、鼻を摘まれた。

 店の若衆は口をぽかんと開けて、そのやり取りを見ている。みんな思うことは同じだ。

 ・・・とっても、凄く、勿体無い。

わう!

 灯子が入り口から心配そうに吠える。

「心配しなくても、灯子ちゃんには負けるよ」

 べっ、と、彼女が舌を出した。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ