表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/28

7時間目 ユキの貞操観念

「とはいえね~……どうすっか。」

「ねえ、トモ。なんで突撃したの⁉」

 暢気に呟くトモに、隣に座るナギは大慌てしていた。

 善は急げというやつだ。

 決意も新たに拳を握ったトモは、落ち着いたナギを連れてユキの部屋に直行したのである。

 バイトから戻ったばかりだったユキは露骨に嫌な顔をしたが、久し振りにユキの料理が食べたいとトモがごねると、意外とあっさり部屋の中に招き入れてくれた。

 おそらくユキ自身も、そろそろ溜まったストレスをどうにかしようと考えていた頃だったのだろう。料理という単語に反応したユキの頭上では、幻の耳が機嫌よく揺れているように見えた。

 これを見越して、キッチンルームの冷蔵庫は潤沢にしてもらうように手配してある。これである程度ユキのご機嫌は取れるはずなので、この好機を活かして彼から何を聞き出すかが問題だが…。

「ナギ、なんでそんなに慌ててるの?」

 想定外があるとすれば、隣の幼なじみの反応くらい。

 ユキの手料理となれば、ユキだけではなくナギの機嫌もよくなると踏んでいたのだが、どうやらナギにはそんな大好物よりも気になることがある様子。

「だって、ユキはただでさえ俺のこと怖がってるんだよ⁉ 今朝のこともあるし、ろくに時間も置かずに押しかけたら余計に警戒されるんじゃ…」

 ナギの言葉に、トモは目を真ん丸にしてしまった。

 ナギの危惧するところはもっともなのだが、それがナギの口から出たことに驚いてしまったのだ。

(ちゃんと、ユキのこと考えるようになったんだな…)

 今のナギは、ユキの気持ちを優先して物事を考えているのだ。少し前までは、ユキへの一方通行な好意だけが彼の行動の全てを決めるような感じだったのに。

(ほんと、ユキってすごいな…)

 しみじみと思う。

 こんなことを言ったらユキが変な顔をしそうだが、ユキとナギの二人がここで出会ったのは、運命だったんじゃないかと思う時がある。

 だって、二人を見てきた自分には分かるのだ。

 ユキの言葉は驚くくらいナギに響く。それと同じように、ナギの純粋な気持ちは何よりも深くユキの心に届いている。

 ユキと過ごしたこの一年で、ナギは何年分の成長をしたのだろう。

 そしてそれが、どれだけのことを変えてきただろう。

 二人が出会わなければ、自分はこうして本当の意味でナギに受け入れてもらえなかった。ナギのことに便乗して、ユキに伝えるのを躊躇っていたことを伝えることもできなかった。

 今までを振り返ると、そもそもユキがナギを嫌いだったのも、運命の神様がユキとナギに互いを意識させるために仕組んだ悪戯だったんじゃないかとさえ思えるのだ。

 だから。

「大丈夫だって。」

 こうやって幼なじみの肩を叩いたっていいと思う。

 二人を引き寄せる運命の強さを信じて、それに全てを賭けてみてもいいと思うのだ。

 トモはナギに明るく笑いかける。

「ここでおれたちが距離を置いたら、逆に気まずくなっちゃうでしょ。おれたちは普通にしてた方がユキも楽だと思うよ。とはいえ、おれもナギもやらかしたばっかりだから、しばらくは話題選びに気を遣った方がよさそうだけど。」

「じゃあ、今日どうするの? 俺、ユキと何話せばいいか分かんないよ?」

 よくも悪くも正直なナギだ。確かに自分で言うとおり、表情に戸惑いが大きく表れている。

 これではその内、ユキにもこの気まずさが伝わってしまうだろう。ここは自分がどうにか話を取り持たなくては。

「そうね~…。そこはおれも絶賛悩み中っていうか……」

 トモは唸る。

 大丈夫だと大見栄を切ったのはいいものの、よくも悪くも一筋縄ではいかないのがユキだ。

(もういっそ、あのくそ真面目君は思いっきり失敗させた方が早いと思うんだよなぁ…)

 ちらりとナギを一瞥してみる。

 ちょっと前までのナギだったら、それとなく焚きつけて既成事実を作らせてしまうというのも手だったと思うのだが、今となってはそれも難しい。無理矢理一線を越えてしまえと言ったところで、今のナギは首を縦になど振らないだろう。

 そもそもあのユキを相手に既成事実を作れるか、というのが難題だ。

(好きな人を作るのが怖い以前に、ユキの場合さぁ……)

 ぼんやりとそんなことを思っていると、ちょうどそのタイミングで洗面所のドアが開いた。

「悪い。待たせたな。」

「いやいや、ぜんぜーん? 押しかけたのはこっちだしね。」

 シャワーから出てきたユキにそう答えると、彼はどこかほっとした表情をして冷蔵庫へと向かった。

 瞬間、ピンと閃いた。

 そうだ、ユキもまだ今朝の気まずさを引きずっているようだし、ここは思い切りぶっ飛んだ話題を振ってみるのもありかもしれない。この話題なら、場の重苦しい空気が霧散するのはまず間違いない。

 それに、個人的にはこの話にユキがどんな反応をするのかも見てみたいところだし。

「ねぇ、ユキ。」

「んー?」

 こちらの半分ふざけた口調を敏感に感じ取っているのか、生返事をするユキには特に警戒した雰囲気はなかった。冷蔵庫から取り出したお茶をコップに注いでいるユキは、完全に気を抜いているようだ。

 よしよし。そのまま油断していてくれ。

 トモはにんまりとほくそ笑んだ。

「たまには、みんなでエロトークでもしなーい?」

 そう提案してみると。

「ぶっ…」

 飲んでいたお茶を噴き出したユキは、シンクに両手をついて盛大にむせ始めてしまった。

 うん。バッチリ予想どおりの反応だ。

「ト、トモ……急にどうしたの…?」

「まあまあ、トモさんにお任せー♪」

 頬を赤くして狼狽えるナギに、トモは悪戯っぽくウインクをしてみせた。

「……な、……急、に……っ」

「いやぁ、そういえばユキとはそういう話してないなーって。」

「ア、ホか…」

「ええー。でも、みんなわりと気になってるんだけどなぁ。ほら、ユキって創立祭の時はお花畑状態だったわけじゃん? ぶっちゃけ、誰かとヤらなかったの?」

「んなわけねぇだろ⁉ 明け透けなく言いすきだ、この馬鹿‼」

 おお、見事に顔が耳まで真っ赤。

 こりゃ面白い。

 こんな機会次あるかも分からないし、ここは心行くまで楽しんでみるか。

「なーんだ、つまんないのー。あれだけ女子に拉致られてたんだから、色仕掛けの一つや二つくらいあったでしょ?」

「なっ…」

「ナギは? ナギ見た目が可愛いから、女子が積極的に押し倒してきそうなもんだけど。誰かグッときた子いなかった?」

「え、俺? えっとねぇ…」

「うわあああっ! 馬鹿‼ 簡単に答えようとするんじゃない‼」

 虚空に目をやるナギがそういうことに心当たりがあるのだと悟り、ナギが答えるより先にユキが大慌てでそれを遮った。

「そういうのは胸にしまっとけ! 軽い気持ちで話して、それが変な噂にでもなったらどうする⁉ それは相手に悪いだろう‼」

「そう言うってことは、やっぱりそういう経験がおありってことですな?」

 意地悪く突っ込んでやると、途端にユキがその場で固まった。

「………」

 そろりと視線を逸らしてさらに顔を赤くするあたり、かなり熱烈なアプローチをされたと見える。

 そりゃそうでしょうとも。

 自慢じゃないが、自分だって二度や三度はそういった経験があるのだ。自分よりもスペックの高いユキに、彼女たちの触手が伸びていないわけがない。

「もったいないなー。あれだけよりどりみどりだったのに、一人くらいつままないどころか据え膳にすら手を出さないなんてー。」

「お前な…そんな軽々しくできることじゃないだろ、それは。」

「ユキお固ーい。今の時代、みんなその辺への考えって結構軽いよ? 付き合うならヤること前提だし、体から始まる付き合いとか、セフレとかって関係もよくある話だし。」

「それに関しては時代なんか知るか。別に問題起こさない範囲ならお前らの考えを否定するつもりはないけど、それをオレに押しつけられても困る。」

「へぇ~。じゃあさ、ユキってどんな時ならヤっていいって思えんの?」

「はっ⁉」

「いや。だって、そこまで言われると逆に興味湧くんだけど。」

 訊ねてみると、隣にいたナギの目が途端にきらりと光った。

 うん、そうだよね。好きな人のそういうことへの価値観って、ちゃんと知っておきたいよね。

「え…と……」

 ユキが返答に困っているのが分かる。

 だがナギのこの表情は、ユキの答えを聞かないことには納得しませんといった感じだ。

 そして自分も普通に興味津々である。

「それは……言わなきゃ、だめなやつ…なのか…?」

 往生際が悪いですよ、ユキさん。そんなこと、見れば分かるでしょうに。

 どこか真剣に答えを待つナギを止めることはせず、自分もあえて無言でにやつきながらユキを見やる。

 ユキは無言の押しにめっぽう弱いんだよね。

「………っ」

 ユキの顔が分かりやすく歪む。

 ほら。だんだんと追い詰められてきた。

 さて、どうします?

 あんまり沈黙が長いと、逆に答えるハードルが上がっていきますよ?

「………………その…」

 ようやくユキの唇が震えた。

「そ、そういうことは…ちゃんと、お互いの未来を見据えた上でするべきだろ。その場の勢いとか軽い気持ちとか、そんなんじゃなくてさ。一応多少なりとも、相手を傷つける行為ではあるんだから…。それにオレはまだ、誰かの未来に対する責任を取れるほど大した人間でもないし…。」

 今まで以上に顔を真っ赤にし、たどたどしく告げるユキ。

(やっぱりなー! このくそ真面目め‼)

 そんなことだろうと思いましたよ。

 貞操観念があまりにも固すぎる。それってつまり、ユキに一線を越えさせようと思ったら、彼に結婚まで決意させなきゃだめってことじゃないか。

 ナギ! あなた、恋は盲目状態できゅんきゅんしちゃってますけど、これは付き合った後にかなりやきもきするパターンですよ?

 そりゃ確かに、そういう行為をすることには色んなリスクを伴うわけだが、避妊や性病への対策が充実したこのご時世、そこまで大袈裟にならなくてもいいと思うわけだ。

 ユキ、性欲って知ってる? まさか、それすらもどっかに置いてきちゃった?

 そういえば、おそらくユキは相手が女子の場合で話をしているんだと思うけど、相手が同じ男だった場合はどう答えるんだろう。

 ふと訊きたくなったが、今それを訊くと暗にナギのことを匂わすようでユキに警戒されてしまうかもしれない。

 じゃあここからどう話を広げてやろうか。

 面白半分でそんなことを考えはしたのだが。

「もう無理。この手の話は、ほんと勘弁して……」

 さらに込み入った話をするよりも、撃沈して頭を抱えるユキがギブアップを告げる方が圧倒的に早かった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ