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5時間目 すれ違い始める心

 自分は、ユキのためにどうするべきなんだろう。

 ティアたちはユキを守るために、ユキと一緒になって過去から目を背けることを選んだ。自分たちが長く苦しむと分かっていて、それでもそうするしかなかったのだ。

 そうしないと、きっとユキが壊れてしまうから。

 自分はそんな彼らを見ていられなくて、彼らとは違う選択をしたかった。

 ユキもみんなも、そして自分も笑える未来があるなら、そんな未来を掴みたいと思った。ユキが好きという感情が怖いなら、それを取り除いてあげればいい。ユキが素直にみんなを好きだと認められるようになることが一番いいに決まってる。

 好きが怖いなんて、あの優しいユキにはあまりにもつらいと思ったから。

 でも、ティアは言った。

 正論がいつも正解だと思うな、と。

 じゃあ、一体何が正解なの?

 ぐるぐる悩みながら夜遅くに学校に戻って、一晩中色々と考えて、結局答えなんか出てこなくって。

 ふと、どうしてもユキに会いたくなって。

 気持ちが赴くままにユキの部屋へと向かった。

 この時間なら、きっとそろそろ……。

 そんな予想は的中し、ユキの部屋の前に差しかかったところでちょうどそのドアが開いた。

「うおっ…⁉」

 ドアの影からひょっこりと顔を出してやると、ユキが驚いて数歩後ろに下がった。

「ただいま♪」

 ナギは悪戯っぽく笑って声をかける。

 こうしてユキの顔を見るだけでこんなにも嬉しくなる。今抱えている悩みともちゃんと向き合えるような気がする。

 自分が何をするべきか。

 その答えはまだ出ていないけど…。

(せめて今までと同じ距離を保つくらい、まだ許してくれるよね…?)

 そう思ったのだが…。

「おか、えり……」

 ユキは、何故か気まずげにこちらから視線を逸らした。

(あれ…?)

 想定外の事態に、ナギは目を丸くする。

 今まで、挨拶くらいでこんな反応されることなどなかったのに。

(俺、何か変なことしたっけ?)

 何もしていないはずだが、そう断言はできなかった。

 今は、何がユキの恐怖を誘発してしまうか分からない状況だ。自分としては意識するまでもない些細な言動が、何かしらユキに作用してしまった可能性は大いにある。

「あのさ…」

 ナギが過去の記憶を遡っていると、ふいにユキが口を開いた。

「どこ……行ってたわけ…?」

 訊ねられたのはそんなこと。

 ユキを見れば、そこにはどこか拗ねた雰囲気を滲ませる顔がある。

「え?」

 きょとんとして目をまたたくナギ。

「……あっ」

 うっかり発言だったのか、ユキ自身も驚いた表情で肩を震わせた。

「な、なんでもない! 今の忘れてくれ‼」

 慌てて言い繕うユキの顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。

(え、もしかして……)

 これは、期待していいのだろうか。

 脳裏をよぎった〝もしも〟に早くも心が躍った。

「ユキ、俺がいなくて寂しかったの?」

「ち、違うって!」

 ユキにしては珍しく分かりやすい照れ隠しだ。

 試しに「本当に?」と無言でかまをかけてみる。

 すると。

「違う、けど……」

 すぐに言葉がしどろもどろになった。

「なんか、いつも騒がしかった隣が静かなもんだから……ちょっと違和感があっただけ。」

 ユキのその発言に、とっさに出る言葉がなかった。

 そんな可愛い素振りで、なんて嬉しくなることを言ってくれるんだろう。

 ユキは当然のように、自分のことを日常の中に組み込んでいてくれている。そして、自分がいない日々を物足りないと感じていてくれている。

 今の発言は、そう捉えて構わないということだよね?

 どうしよう。

 予想外のご褒美が嬉しすぎて、どう応えればいいのか分からない。

 にやけそうになる口を頑張って引き結ぶナギの前で、ユキがまた慌てふためく。

「そ、それに! なんの連絡もなしに三日も消えたら心配するだろ⁉ 出かけるなら出かけるで、せめて学校には一報を入れていけよ!」

 こちらの無言に耐えきれなくなったらしく、ユキが思い出したように説教くさいことを言ってくる。

 今さらそれを言われたところで、慌てているユキの可愛さが余計に際立ってしまうだけ。

「えー。心配ならユキから連絡くれたっていいのにー。」

 面白くなってきたナギは、そんな風にユキを煽ってみる。

 すると。

「そしたらなんか、オレがねちっこい奴みたいだろうが! いちいちお前のこと気にしてるみたいで!」

「でも心配してくれてたんだよね? 心配なら連絡するって、普通じゃないの?」

「そりゃ確かに普通だけど……あれ⁉」

 自分でも何を言っているのか分からなくなってしまったのか、ユキが目を白黒させて固まった。

「……ふふっ」

 色んな感情が限界を超えてしまう。

「あははっ! もう無理! ユキ、変なのー‼」

 我慢しきれなくて、ナギは大声で笑った。

 ああもう、突っ込めば突っ込むほど可愛くて仕方ない。心配してくれたならそれだけでいいのに、どうして妙なところで意地を張ってしまったんだろう。

「お前なぁ…ひとの調子狂わすのもいい加減にしろよ!」

 ほら、またボロが出てる。

「ふふ…調子、狂ってたんだ?」

 漏れなく突っ込んでやると、ユキが一際顔を赤くして言葉に詰まった。

 あれ、ユキってこんなに分かりやすかったっけ?

 そう思ってしまうくらい素直な態度だった。

 まさかこの三日、ユキがそんなに自分のことを気にしてくれていたなんて。

「ユキ。」

 ナギはユキに両手を伸ばした。

 ああ、やっぱり無理だ。

 自分にはできない。

 この気持ちを止めることなんて、できるわけがない。

「へ……ちょっと…」

 首に腕を回して体重をかけると、全く身構えていなかったユキが数秒遅れて慌て始める。

 そんなユキの隙を逃さず、ナギは自分ごとユキの体を部屋の中に押し込んだ。

 そして、戸惑うユキの唇に自分の唇を重ねる。

「ナギ…っ、ま、待て……」

「やだ。」

「ん…」

 ユキの制止を振り切り、ナギはその唇を強く塞ぐ。

 ユキに深く触れたい。

 ユキが欲しい。

 今すぐに。

 衝動が全身を支配して、ただ目の前の温もりを求めている。

「ナ、ギ…」

 少し唇を離した時に聞こえた弱々しい声。

 そんな声、止めるどころか逆効果だ。

 一応触れるだけのキスにとどめようとは思っているのに、そんなブレーキも弾け飛んでしまいそうになるじゃないか。

 あと一回。

 もう一度だけで終わるから。

 ユキの首に回す腕に力を込め、ナギは再び唇を重ねた。

 すると―――ふっ、と。

 自分の肩を押しやろうとしていたユキの手から力が抜けた。

(え…嘘……)

 驚きのあまり、暴れそうになっていた衝動が少し収まった。

 ユキが……抵抗するのをやめた?

 それとも形勢逆転のために、こちらの油断を誘おうとしてるだけ?

(止めないなら……止まらないよ…?)

 すぐに勢いを取り戻す衝動。

 もっと。

 心がそう訴えるままに、ナギはユキの唇を舌で押し割った。

「んっ…!」

 跳ねる体と切なげな声。

 逃げるように奥へ引っ込もうとしたユキの舌を捕まえる。

 壁際にユキを追い込んで足を絡め、首に回していた片手を後頭部にやって、その頭を自分の方へと強く引き寄せる。

「んんっ……ん…」

 やはり、ユキは抵抗する素振りを見せなかった。

 自身のペースに引き込もうと自ら舌を絡めてくることもない。

 されるがまま、ただこちらのキスを受け入れている。

 これはこのまま押しきれるのでは?

 意地汚い心がそんなやましいことを考えた。

 でも、暴走しかけた心にどうにかブレーキをかける。

「……どうして…?」

 唇を離し、そっと問いかけるナギ。

「―――あ……」

 口元を覆ったユキの顔が、赤から正反対の青へと色を変えていった。

「わ、悪い…」

 彼の両手に力が戻る。

 ナギの体を自分から離し、ユキは腰元に手をやった。

「オレ…先に行くわ。好きにしてて。」

 ベルト穴に取りつけていたチェーンのキーホルダーをナギに渡すと、ユキはふらふらとした足取りで部屋を出ていってしまう。

「………」

 行ってしまったユキを止めることも追いかけることもできず、ナギは渡された鍵をぎゅっと握り締めた。

 目の前にそびえ立っているドア。

 その冷たさと固さが、まるでユキの心への道のりみたいに思えた。

 

 ★

 

(さっきのは、さすがに露骨すぎたよな……)

 誰もいない教室で一人机に突っ伏し、ユキはぐったりとしていた。

 初めて、ナギのキスに抵抗できなかった。

 ナギに「どうして?」と問われた瞬間にそれに気づいて、気の利いた建前の一つも言えないまま逃げてしまった。

(どうすんだよ、オレ……。このまま、なし崩し的に流されるのはだめだろうが…)

 動けないなら、今度こそちゃんとした意味で拒絶するしかないなんて、そんな身勝手なことを考えている自分がいるのだ。

 だったら、半端な態度でナギに期待をさせたら酷だろう。

 分かっているくせに流されてどうする。

 ばっちりナギに不審がられてしまったじゃないか。

 

 ―――でも、どうしても体が動かなかった…。

 

 ユキはきつく目を閉じた。

 好きだ、と。

 そう自覚するのがこんなにも厄介だなんて。

 ナギにキスをされたあの時、体が彼を受け入れようとして動かなくなった。

 今もまだ、心臓が馬鹿みたいに暴れている。

 これまでみたいに襲われた危機感からじゃない。

 ちゃんと〝嬉しい〟と思ってしまって。

 でも、だからこそ―――心は、別の意味ですくみ上がってしまった。

 だめだ。

 ちゃんと毅然として抵抗しないと。

 そうしないと、暴走列車のナギはどんどん近づいて来てしまう。

 ちょっと強引に押されて、過去の恐怖を忘れたまま「仕方ないな」と流されて、それで恐怖を思い出してしまった今があるのだ。

 ここでまた流されて、これ以上ナギを近づけたらどうなる?

 どんどん心を侵食されて逃げ場がなくなった時、この恐怖は一体自分に何をさせる?

 ティアやコネリーたちのように、傷つけるだけ傷つけるのか?

 そして、忘れたくても忘れられないくらい、彼らに自分のことを気にさせるのか?

(そっか……だからオレは、あんなに地元にいるのが嫌だったんだ。)

 また一つ、闇の中に葬り去っていた心が浮かび上がってくる。

 全部を捨てなきゃと思って彼らを遠ざけていたあの頃。

自分は、皆に自分のことを嫌ってほしかった。

 だから散々ひどいことを言った。皆の優しい言葉を暴言で全否定して、皆との交流を徹底的に絶った。

 その目論みは九割方成功していた。今じゃ地元の同級生のほとんどは、自分を見ても親しくしてこようとなどしないし、そもそもこちらに関心も示さない。

 でも、コネリーたちは違う。

 知っている。

 互いにもう別々の道へ進んだはずなのに、新しい出会いで思い出を上書きすることもできないまま、彼らが未だに自分のことを心配していることくらい。

 気づいていないわけがないだろう。

 帰省した時、自分が出かけたタイミングを狙って、彼らがこっそりとサヤに自分の様子を聞きに来ているんだと。何度苦い思いを飲み込んで、あえて回り道をしてから素知らぬ顔で帰ったことか。

 嫌われたかっただけ。

 あんな風にさせるつもりなどなかった。

 自分への関心の一切をなくしてほしかったんであって、自分に縛りつける気なんて毛頭もなかったのに。

 嫌だ。

 もう誰かをあんな風にさせたくない。

 だからどうか……

 

 

 ―――これ以上は、近づかないで。

 

 

 心の悲痛な叫びがつらい。

 こんなことになるなら、好きという感情が怖いことを忘れなければよかったんだ。

 そうすればきっと、ナギやトモともっと別の関係を築けていた。

 こうして心を掻き乱さなくて済んだかもしれないのに。

「オレ、最低だ…」

 自己嫌悪が脳裏を巡る。

 勝手に都合よく忘れていたくせに、勝手に思い出して自滅して追い込まれて。

 結局今も、自分のことしか考えていない。

 この状況で一番傷つくのが誰かなんて、何よりも明らかなのに…

「もう…疲れた。」

 するりとそんな一言が零れていく。

 何もかもが嫌になって、何もかもが煩わしくて。

 いっそのこと、全部壊してしまおうか。

 自分のことも。

 トモやナギのことだって――

「ユキ。」

「―――っ‼」

 優しく肩を叩かれ、ユキは跳ねるように頭を勢いよく上げた。

「ご、ごめん。もしかして寝てた…?」

 肩を叩いたナギがぱちくりと目をしばたたかせる。

「い、いや……ちょっと…………考え事…」

 なんとかそう答えながら、ユキは血の気が引いた顔で机の上の拳を握る。

 今、自分は何を考えていた?

 何もかもが煩わしい、なんて…

 いっそのこと全部壊してしまおうか、なんて……

 

 それが、自分の本音なのか?

 

 ドクンッ

 心臓が重く鳴り響いて、体に異変が起こる。

 胸がざわざわと落ち着かない。

 体の熱がどこかへ消えていくようだ。

 甲高い耳鳴りがして視界が揺れる。

 思考がそれ以上の考えに及ぶのを、体が全力で拒絶しているようだった。

「……ユキ!」

 ふと自分の名前を呼ぶ声が聴覚を揺さぶる。

 ハッとして顔を上げると、案外近くにナギの顔があった。

「どうしたの? 体調悪い?」

 どうやら何度かこちらに呼びかけていたらしい。眉を八の字にするナギの手には、さっき自分が渡した部屋の鍵がぶら下がっていた。

「いや……大丈夫。」

 鍵を受け取り、見え透いた嘘を吐く。

「どこが大丈夫なの? 顔真っ青じゃん。」

 ナギの後ろから、ずっと彼と一緒にいたトモもそう言ってくる。

「大丈夫だって。ちょっと今朝は、朝方まで勉強してて眠いだけだから。」

 しっかりしろ。

 震えそうになる声を全力の理性で叱咤する。

 それとは真逆で、内側で暴れる心の悲鳴が全身を危機感で急き立てていく。

 やめて。

 やめてくれ。

 自分を心配なんかしないで。

 もう嫌なんだ。

 この恐怖の根幹と向き合いたくない。

 この先は思い出したくない。

 踏み出したくないんだ。

 そんな心が天に通じたのか。

「ユキ、いるかー?」

 奇跡ともいえるタイミングで、親しくしている教師の一人が教室の中を覗き込んできた。

「あ、はい!」

 完全にすがる思いで席を立つ。

 今はどんな雑用でもいいから、とにかく手を動かして気を紛らわせていたい。

「ちょいちょい、ユキ! そんな状態で無茶しない!」

 こちらの身を案じたトモが、腕を掴んでユキを止めにかかるが…

「―――っ‼」

 トモの手が体に触れた瞬間にそこから寒気が広がって、反射的にその手を振り払ってしまった。

「……あ…」

 顔を一層青くするユキと驚いたトモの間に、重く気まずい沈黙が落ちる。

「あー…っと……」

 先に口を開いたのはトモの方だった。

「ごめんごめん、そういうことか。いいよ、行ってきな。気持ち、立て直しておいでよ。」

 すぐにこちらの心境を察してくれたトモがあっさりと手を離す。

 何故だろう。

 自分はトモのこういう察しのよさが気楽でよくて、今まで彼と親しく過ごしていたはずなのに。

 その察しのよさで、今は自分のことを見透かされている。

 それがこんなにも不快感と恐怖を生む。

 ここで取り繕って、ふてぶてしい態度で理論武装をできたら楽なのに。

「悪い……」

 そんな強がりを言うことですら、今はとても難しくて。

「いいって。多分、この間おれが踏み込みすぎちゃったのが原因でしょ? こっちこそごめんね。いやぁ、突っ走るのも大概にしなきゃいけないのにね~。」

 あっけらかんと笑ってくれるトモ。

 無理に笑わせているのは明らか。

 本当は色々と踏み込みたくて仕方ないくせに、固い笑顔を張りつけて身を引いてくれているのだろう。

 そんなことは分かっている。

 分かっているけれど。

「………」

 ユキは無言のままトモに背を向けてそこを離れた。

 トモの優しさが、心をずたずたに切り裂いていくようだ。

 あんなに深い優しさを向けられていながら、自分は恐怖に屈してそれから目を逸らすことしかできない。

 それどころか、いっそ壊してしまえとすら考えた。

(オレ、本当に最低だ…)

 息が苦しくてたまらない。

 日々募っていく恐怖と自己嫌悪。

 それに埋もれて、今にも窒息してしまいそうだった。

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