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1時間目 自覚と葛藤

 慌ただしい夏休みも終わりを告げ、また慌ただしい新学期が幕を開ける。

 もう何度目かも分からない実力テストが終わり、ユキは疲労困憊といった表情で背もたれに背中を預けた。

 さすがはセントラル大学の入試を上位でパスするための対策試験だ。恐ろしく範囲が広く、各問題も一科目の知識に偏っていては解けないようになっている。二学期に入ってから週に一回から二回はテストを受けていると思うのだが、未だに同じような問題に引っかからないから驚いてしまう。

 まあ数あるユリア高校の中でも選抜組と呼ばれる本校に籍を置いている以上、これくらいは余裕で解けてこそだろう。特に、ナギと同じく本校で成績一位を叩き出している自分には、当然のように満点が求められている空気がある。

 ここまで努力で極めてきたのだ。今さら明確な答えがある問題ごときに足を取られることなどないが、それはあくまでも自分に限定した話。

 他の皆はなかなかに大変なようだ。

 ユキはちらりと横に目を向ける。

 今日のテストの全部が終わると同時に、自分の問題用紙は他の生徒に強奪されてしまった。自分の解答を囲んで、他の連中は自身の解答の正誤に一喜一憂している。自分が間違った解答をしているなんて、少しも思っていないようだ。

 もう慣れたことなので、文句を言う気も起こらない。

「ふぅ…」

 天井を仰いで溜め息を一つ。

 すると。

「ユーキ♪」

 上からひょっこりとナギが顔を出してきた。

「……邪魔。」

 ちょっとだけ動揺したが、ユキはすぐにいつもの調子でナギに向かって厄介払いをするように手を振った。

 しかし、ユキの首元で手を組んでいるナギは離れるつもりがないらしい。

 突っ込むだけ無意味だし、そんな気力もあまりない。

 結果、ユキはそれ以上の抗議には出ることなく肩から力を抜いた。

「あれ、もしかして寝不足?」

 ユキの疲弊を感じ取ったナギが首を傾げる。

「まあな。そろそろ追い込みに入らないといけなくて、夜中まで勉強してることが増えたから。」

「でも、ユキって進学確定組でしょ? なんでわざわざ?」

 ナギが疑問を抱くものもっとも。

 自分やナギを含む成績上位者は、学校の推薦さえ受けられれば軽い面接でセントラル大学への進学が確定する。自分の場合はレードルとダニーからの個別推薦があったこともあり、面接などほとんど形式だけのものでしかなかった。つい先日、合格通知も受け取っている。

 つまり本来なら、今さら実力テストを受けたところで意味がないのである。学校推薦の他、自己推薦で進学が確定している生徒も多いので、任意参加であるこの実力テストを受け続けている生徒は学年の半分ほどしかいない。

 だが、自分だってただ無為にテストを受けているわけじゃない。

「特待生試験はまた別にあんだよ。」

「ああ、なるほど。」

 簡潔にその理由を述べると、ナギは納得してこくこくと頷いた。

 特待生試験は十二月の頭。あと二ヶ月ほどしかないので、色々とやっておきたい対策が山積みの状態。寝不足にもなろうというものだ。

「………」

 ふとそこでナギの表情が曇った。

「やっぱ、経済に行くんだよね…?」

「まあな。」

「………」

 黙り込むナギ。

 彼が何を思っているのかは明らかだ。

「あんまりしょげるなっての。」

 ユキは優しくナギの手を叩いてやる。

「キャンパスは一緒なんだし、ずっと会えなくなるってわけじゃないだろ。」

「うん…分かってる。分かってるんだけどね……」

 きゅっ、と。

 ナギの腕がユキを少しだけ強く抱き締めた。

「やっぱり、寂しいなって。」

 茶色の瞳に、ちょっとだけ泣きそうな雰囲気が滲む。

「………」

 ユキはそれを複雑そうに見上げていた。

 そんな顔をされたって、決まった進路はどうしようもないじゃないか。大学では互いに寮には入らないようだし、接点が少なくなるのはどう足掻いても変わらない未来。

 自分には何も言えないし、何もできない。

 寂しさを我慢して、ちゃんと自分の進むべき道を選んだナギのことは評価している。評価している分、ちょっとはナギの気持ちに同情もするけれど…

「………」

 無意識の内に、ナギの腕に触れる自分の手が震えた。

 それを遅れて自覚したユキは、ふと視線を下げて唇を噛む。

 感情を押し殺すように切なげに。

 強く、強く。

 その時、ナギのポケットから着信を告げるメロディが鳴った。

「あれ、誰だろ?」

 不思議そうに呟きながら、ナギが携帯電話を取り出す。

 そして、着信相手を示す画面を見た彼の表情が一瞬の内に驚きに彩られた。

「ちょ、ちょっとごめん!」

 血相を変えたナギが慌てて教室を出ていく。

 そんなナギを、ユキは特に追いかけもせずに見送った。

 しばらくしてから、ゆっくりと机に突っ伏すユキ。

「―――はぁ…」

 零れる溜め息はとてつもなく重たかった。

 

 ★

 

 気のせいだと思いたかった。

 何かの間違いだと信じたかった。

 

 なのに―――月日の流れは残酷だ。

 

 ユキは重い体を引きずって部屋に戻る。

 いつもの習慣ですぐにシャワールームへ。

 やらなきゃいけないことはたくさんある。

 今はそれらに集中しなければ。

 だから、その妨げになるようなものは全部洗い流してしまいたかった。

 しっとりと体にまとわりつく汗も。

 胸を乱すこの感情も。

 

 消したい。

 

 忘れたい。

 

 なのに、頭から離れない……

 

「はぁ…」

 洗面台に手をつき、ユキはがっくりと項垂れる。

 鏡を見れば、そこにはほんのりと頬が赤らんだ自分の顔が映っている。

 顔が赤いのは、風呂上がりだからなのか。

 それとも……

「………っ」

 途端に暴れ始める鼓動。

 それをどうすることもできず、ユキはくしゃりと髪を掻き上げた。

 もう無理だ。

 これ以上、自分で自分をごまかしきれない。

 

 

(オレ……ナギのこと、好きになってる…)

 

 

 この気持ちを自覚したのは、皮肉にもティアと数年ぶりに再会した時だった。

 そうか。

 自分がこんなにナギのことが怖いのは、ナギが本気で自分のことを好きだから。

 そして、自分もナギのことが好きなんだからなんだ。

 自分を心配して寄ってきてくれたナギの顔を見た瞬間、とてつもない恐怖を感じた心がその事実を浮き彫りにしてしまったのだ。

 そんなはずない。

 即座に否定した。

 ティアと会った動揺からそう錯覚しているだけだ。

 何度も何度も、くどいくらいに自分に言い聞かせた。

 あの時はこれまで都合よく忘れられていたティアとの過去を思い出したせいもあり、とてもまともと言える精神状況ではなかった。

 ティアから離れて忙しい日々の中に戻れば、その内気持ちも落ち着いてまた忘れられる。

 ナギを好きだなんて気持ちも、きっと消えてなくなる。

 そう願いたかった。

 なのにあの日から、目が自然とナギの姿を追ってしまうのだ。

 考えないようにしようと意識するほど、ふとした拍子に見せられるナギの喜怒哀楽に心が揺れた。

 ナギが笑えば、胸が壊れた機械のように高鳴る。

 ナギが楽しそうに友人と話していれば、それが自分のことのように嬉しい。

 ナギが拗ねれば、可愛いななんて思って微笑ましい気持ちになる。

 ナギが寂しそうにしていれば、傍にいてやりたいと思う。

 さっきだって、ちょっとだけ泣きそうだったナギを、衝動的に抱き締めてやりたくなった。

 ナギのことを好きじゃないなんて、どの口でうそぶいて言えるというのか。

 いつ?

 どこで?

 気持ちについていけない理性が悲鳴をあげている。

 だって、最初はナギのことが大嫌いだったじゃないか。

 強制的にナギと一緒に過ごすことになって、無邪気に好きだなんて言ってくる彼がルキアみたいで、なんとなく放っておけなくなって。

 だけど油断したらすぐに襲ってくるもんだから、やっぱりルキアとは違うんだと思い知らされて。

 勝手に特別扱いされて死にかけて。

 ヤキモチを焼かれてはなだめるのに苦労して。

 ナギが自分の言うことしか聞かないから、皆ナギにどうしても聞いてほしい用がある時は、本人じゃなくて自分に話を通してくる始末。

 考えてもみろ。自分の日常がどれだけ壊されたと思っているんだ。本当なら今頃、やっかみを受けながらも必要以上には目立たないまま、静かに日々を過ごしているはずだったじゃないか。

 どう考えたって、ナギを好きになる要素なんかなかっただろう。

 理性はそう訴える。

 でも、どれだけ理性がそう告げたところで意味などないのだ。

 戸惑った理性が自分を納得させられる言い訳を探そうとするほど、反発する感情が縦横無尽に暴れ回る。

 それでも、ナギが好きなんだから仕方ないんだと。

 気持ちを押し込めようとするほど、その気持ちを強く意識させられる。

 逃げ場なんかなかった。




 ―――だからこそ今は、こんなにも自分の感情が怖い。



 ユキは奥歯を噛み締めて恐怖を殺す。

 自分は誰とも一定の距離を保っていたい。

 それが一番気楽だし、色んな判断の場において余計な枷を作らずに済むから。

 理由なんてそんなもんだろうなと、なんとなくそう納得していた。

 でもナギやトモと波乱を乗り越える過程で、本当は必要以上に他人に近寄られすぎるのが怖いんだと知った。

 そしてティアと会ったことで、思い出してしまった。


 自分は、好きという感情を何よりも恐れているのだ、と。


 距離が大事なのはそういうこと。

 必要以上に他人を近づけないようにすれば、特別な好意には至らないはずだ。

 だから、誰にでも平等であれと無意識に己を律していた。

 自分の中に特別を作ってしまえば、それに引きずられた気持ちが好意に発展しないとも限らないから。

 そうだ。入学当初は、そうやって慎重に周囲と接していたはずだ。

 案外早くコツを掴んでごく自然に一定の距離感を保てるようになったので、忙しさにかまけて都合が悪い過去と恐怖に蓋をした。

 あそこまで綺麗に忘れてしまえるくらい、好意への恐怖は根深くて強いものだった。

 思い出した今ならそれが分かる。

 でも、どうして自分がそこまで好意を恐れているのか。

 その理由は、未だに遠い記憶の向こうに霞んだまま――

(オレは…どうすればいい……)

 この際、ナギのことを好きだということは認めよう。

 だからなんだ。

 ナギも自分を好きでいてくれているんだし、気持ちを伝えてハッピーエンド?

 そんな簡単に感情を割り切れるなら、最初から苦労なんてしない。

 自分が今抱いている恐怖は、そんな優しいレベルじゃないのだ。

「………っ」

 髪を握る手が震えている。

 ついさっきシャワーを浴びたばかりだというのに、指先どころか体の芯まで冷たく凍ってしまったような感覚がする。

 仄かに赤かった顔は、いつの間にか正反対の青で染め上げられていた。

 これが、嘘偽りのない今の自分の姿。

 ナギのことは好きだ。

 でも、それ以上に怖くてたまらない。

 自分に真っ直ぐすぎる好意をぶつけてくるナギのことも、そんなナギを好きになってしまった自分のことも。

 いっそ出会う前に戻りたいと願うくらい、怖くて仕方がないのだ。

 なんとかしなきゃいけないのは分かっている。

 でも、先へ進もうとすると足がすくむ。

 この一線は絶対に越えるな。

 ナギのことを好きだという感情を掻き消すくらい、危機感が脳裏いっぱいを埋め尽くしてしまう。

 そして……



 動けないなら、今度こそちゃんとした意味で拒絶するしかないだろう?



 理性が残酷に、冷たい結論を叩きつけてくるのだ。

 そんなことしたくない。

 前向きにそう思えたらよかったのに。

「………」

 ユキは苦しげに目元を険しくする。



 ―――今の自分は、その結論を否定することができない……




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