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12時間目 立ち込める暗雲

「うう……」

 なんだろう。

 頭が割れそうなほどに痛い。

 うっすらと目を開けると、いつもとは違う天井がそこに広がっていた。

「あれ…?」

 まばたきを繰り返すナギ。

 この部屋は…

「おはよう。」

 ふと声をかけられる。

 そちらに視線を巡らせると、制服姿のユキが足元に腰かけていた。

「体調、大丈夫か?」

「う、うん。なんか、すんごく頭痛いけど…。」

「そっか。ならよかった。」

 素っ気なく答えたユキは、ベッドから立ち上がって机の隣にあるチェストの引き出しを漁った。

「はい。二日酔いに効くかは分からねぇけど、ないよりましだろ。」

 渡されたのは、頭痛薬とスポーツドリンクのペットボトルだ。

「あ、ありがと…」

 それらを受け取ると、部屋の中にとても重たい沈黙が落ちた。

(あ、あれ…?)

 痛む頭を押さえ、ナギは違和感に首を傾げる。

 自分はいつの間に眠っていたのだろう。

 昨日は、興味本位でトモの言いつけを破って酒を飲んだ。

 全然酒の味もしないし、やっぱりトモが騙されたんだ。

 そう思った自分は、自分そっちのけで話し込むユキとトモの二人への不満を押し流すように、何度も何度もそれをあおった。

 そして、いつからか記憶がない。

「………」

 ナギはごくりと生唾を飲み込んだ。

 本当に昨日のあれは酒だったのか…―――なんて、そんなことはどうでもいい。

(あれ、俺昨日……何やった⁉)

 飛び飛びかつおぼろ気によみがえる記憶。

 脳裏にひらめく過去のシーンは、そのどれもが口にするのも憚られるようなもので。

(もしかして、ユキに本音を言わせるはずが、俺が本音をぶちまけちゃった⁉)

 なんとなく昨日の出来事の輪郭を思い出した瞬間、かあっと顔に熱が集まっていった。

 酔った自分ってすごい。

 あのユキ相手に何をやらかしているのだろう。

(でも、感じてるユキ、ものすごく可愛かったな……)

 何よりも先にそんな感想を抱いてしまい、ナギはぶんぶんと頭を振った。

 今はそんなのろけに浸れるような能天気な状況じゃない。

「あの、ユキッ」

 慌てたナギが昨日の弁解をしようと顔を上げる。

 しかし。

「―――ごめん。」

 そんなナギの言葉を遮るように、そこでユキが頭を下げた。

「……え…?」

 ナギは目を見開く。

 何故ユキが謝るのだろう。

 そりゃ確かにユキにも悪いところはあったと思うが、昨日のあれは百パーセントこちらが悪いのに。

 だがユキが謝っているのは、昨日のことについてではないと。

 次の彼の発言を聞いて、それをすぐに理解した。

 

 

「しばらく…………距離、置かせてくれ。」

 

 

「―――っ」

 息が止まるかと思った。

「ちゃんと考える。答えをうやむやにしたまま、逃げるようなことだけはしないから……」

 必死に押し出すような苦しげな声。

 昨日は一睡もしないで、一晩中ずっと悩んでいたのだろう。目尻が赤くなった目の下には、うっすらと隈ができている。

 覇気のない表情で唇を噛むユキからは、いつも漂っている絶対的な自信の全てが剥奪されていた。

 そんな顔をされたら、いつものように嫌だと駄々をこねることもできないじゃないか。

「それは…」

 ナギはおそるおそる口を開く。

「それは、いい意味でって……期待してて、いいの?」

 お願い。

 どうか信じさせて。

 祈る心地で問いかけるが。

「………………分からない。」

 長い沈黙の果てに返ってきたのは、ただ不安を駆り立ててくる答えだった。

「ほんとに、それしか方法はないの?」

「………」

 次の問いに、ユキは無言。

「俺にできることって、何もないの? 一緒に頑張れることってないの?」

「………」

「ユキ、何考えてるの?」

「………」

 再三語りかけるも、ユキは頑として口を開かない。

 不安が臨界点を突き抜けるのは、あっという間のことだった。

「ユキ、何か言ってよ!」

 ナギは衝動のままに立ち上がり、ユキに手を伸ばす。

「―――っ‼」

 途端に、ユキの表情が大きな恐怖に染まって―――

 

 

 パンッ

 

 

 ユキがナギの手を払いのける乾いた音が、無情に室内に響き渡った。

「ごめん…ごめん……ほんとに、無理なんだ…」

 ユキがふらふらとナギから遠ざかる。

「今は……ナギといるのが、本気できつい…」

 涙ぐんだ声。

 この距離でも分かるくらいに震えている体。

 心底つらそうな表情。

 こんなユキ、見たことない……

「………っ」

 ナギは眉を八の字にして奥歯を噛み締めた。

 だめだ。

 ここで自分が無理に踏み込んだら、ユキが何をするか分からない。

 それくらいユキが追い詰められているんだって、こんなユキを目の当たりにしたらさすがに分かる。


『好きだって―――そう伝えたら、ユキが壊れちゃうから…』

 

 ティアから聞いた言葉が胸を締め上げる。

(どうしよう。このままじゃ、ユキが……)

 ガラガラと音を立てて、自分を取り巻く世界が崩れていく気がした。

 ここは大人しく引くしかない。

 ユキのためにはそれが一番。

 分かってる。

 分かってるけど。

(俺は……ユキを諦めるなんて、できないよ………)

 自分勝手なのは十分承知しているが、これが嘘偽りない気持ちだった。

 ユキにこれ以上、そんな顔をさせたくない。

 そのために距離を置くことが必要というならば、そうしてあげたいとは思う。

 でもそうしたが最後、またユキの隣に並べる日が果たして来るのだろうか。

 分からない、なんて。

 そんなこと言われたら……

「う…」

 つう、と。

 涙が零れてしまった。

「ごめん……」

 見ていられない。

 やりきれない表情でこちらから目を逸らすユキの態度が、まるでそう語っているようだった。

 でもユキは、かつてのように自分を抱き締めてはくれない。

 傍に寄ってくれないどころか、優しい言葉の一つもかけてくれない。

 大きく開いてしまった距離が心を抉る。

 もし、このままユキに〝無理だ〟という結論を出されてしまったらと思うと、怖くていても立ってもいられなくて。

「―――っ」

 いいとも嫌だとも言えないまま、ナギはその場から走り去ってしまった。

 

 ★

 

 言ってしまった。

 ついに言ってしまった。

「ごめん…」

 呟いても、その言葉を受け取る相手はもういない。

 紛れもない自分の意思で、ナギを突き放してしまったのだ。

 泣いて出ていった彼を追いかける資格は、もう自分にはない。

 胸が苦しくて、罪悪感で消えてしまいたくなる。

 

 でも―――心の底からほっとしている自分がいる。

 

 もう、一人なんだ。

 そう認識した瞬間、膝が砕けてしまった。

 へたりとその場に座り込み、ユキは自分の両手を見下ろす。

 未だに震えが止まらない、完全に冷えきった手。

 意地も建前もかなぐり捨ててしまったら、そこに残るのはこんなに弱い自分だけ。

 好きなのに。

 好きだから。

 こんなにもナギの存在が恐ろしい。

 だから遠ざけた。

 これでいいんだって。

 自分を守ろうとする感情が、このまま逃げようと理性を惑わせてくる。

 きっと、何もなければ迷わずにそうした。

 でも……

「………」

 ユキはちらりと袖口に目をやる。

 そこから微かに覗く赤い痣。

 ユキは俺のものでしょ、と。

 そんなナギの意思を思い知らせるように刻み込まれた証。

 それが、この現実から目を背けることを許してくれないのだ。

 

『逃がさない。なかったことになんか、絶対にさせてあげない。』

 

 体中に残る昨日の余韻が、逃げようとする自分を縛りつけて離さない。

「………っ」

 ユキは自分の肩を抱いて震える。

 自分は何をこんなに絶望しているのだろう。

 そんなことですら、今はもう分からなかった。

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