SHR そんなんじゃ、きっとだめ
『好きだって―――そう伝えたら、ユキが壊れちゃうから…』
あの言葉が、ずっと耳元で木霊している。
ピタリと止まってしまうキーボード上の両手。どんなに動かそうとしても、両手は脳の命令を聞いてはくれなかった。
仕事に集中することができなくなり、ナギは椅子から立ち上がってベッドに飛び込んだ。
ごろごろとベッドの上を忙しなく転がり、ふと目についた携帯電話を拾う。
そして最近よくそうするように、とある画面を出して悩ましげに顔を歪めた。
そこにあるのはティアの連絡先。あの時、直感と勢いに任せて連絡先を交換してしまったのだ。
ティアは、ユキのトラウマのとてつもなく近くにいる。ユキのことを知りたかったら、彼女との縁をここで切ったらだめだ。
ティアからユキに好きだと伝えるなと言われた瞬間、考えが及ぶ前にそれを感じ取ったんだと思う。
でも、今のところそれだけだ。
何度か連絡を取ろうと思ったことはあるのだが、その度に迷いが交錯して通話ボタンを押そうとする指を止めた。
(あの子も、ユキのこと好きなんだ…)
それが分かるから心が迷う。
彼女がああ言ったのは、エヴィンのような牽制?
いや、絶対に違う。
あれは、純粋にユキのことを案じている顔だった。
自分のことなどどうでもいいという雰囲気だった。
彼女の言葉は、なんの含みもなくそのままの意味しかないのだと思う。
「伝えないでって……もう遅いもん。」
もう何度ユキに好きだって言ったか分からない。
それ以上の行為を求めたことも少なくない。
ユキの怯えた顔だって、もう見てしまった後だ。
「好きだって言ったら壊れちゃうって……俺には分かんないよ…」
自分にとってユキを好きだって感情は、自分の才能や名声以上に大事なもの。
自分の世界を広げて、そして鮮やかに彩ってくれたかけがえのない気持ちだ。
それなのに、そんな大切な気持ちがユキを壊してしまうかもしれないなんて。
「どうしよう…?」
何度目かも分からない自問自答を繰り返す。
ユキのことが好き。
でもそれ以上に、ユキを壊したくない。
ユキを失いたくないのだ。
そのためには、もうこれ以上ユキに気持ちを伝えないことが最善?
ユキを壊さないために、ユキが怯える部分には触れないでいてあげるのがいいの?
コネリーを始め、ユキの友人たちがそう選んだように。
―――そんなんじゃ、きっとだめだ。
はっきりとそう思った。
ナギはぎゅっと携帯電話を握る手に力を込める。
関係が壊れることを恐れて上部だけの付き合いをして、互いに穏やかに笑顔を取り繕う。
それはそれで、一つの選択なのかもしれない。
でも皆が皆そんな選択をしたら、心はいつだって独りぼっちだ。
そんなの、自分がよく分かっているじゃないか。
自分は、ユキが真正面からぶつかってきてくれたから変われた。何度も些細なことで喧嘩をして、何度も泣いて、そんな苦しいことからもユキが逃げずにいてくれたから、今の自分はこうして心から笑えている。
ユキがどんな自分も見捨てないでいてくれたから、自分は幸せだと言い切れるんだ。
今度は自分の番だ。
ユキがどんな自分も受け止めてくれたように、自分だってどんなユキも受け止めよう。
どんなユキだって見捨てないでいよう。
たとえそれが、ユキ自身が見捨てたユキの心だったとしても。
「―――よし。」
深呼吸して携帯電話の画面と向き合う。
腹を決め、ずっと押せずにいた通話ボタンに指をかけた。