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おしのび  作者: 伝説のからあげ
第一章
1/3

秋の日

 夜の帳が下りる頃になると、街外れに向かって歩みを進める。

家々の壁や植え込みには薄絹のように柔らかな影がかけられ、昼間の賑わいが色褪せていく。

夕餉の支度で忙しいのか、通りに出ている人は誰もいない。

古びたレンガで舗装された道を歩いていても足音はせず、しんみりと静寂が満ちていくのを感じる。

まばらに立っている細い街灯の道案内を頼りに東へ向かう。

通りを渡って暗闇が手招きをする小道に入れば、小さな喫茶店がそこにある。


 ほのかな灯りがちらつく店先のランプ、鈍重そうな木製の扉、コニファーが植えられたシンプルな鉢。

初めて来店したときから外観はほとんど変わっていない。

大きな看板も出ていないので、存在を知らなければうっかり通り過ぎてしまいそうだ。

いつ来てもほかにお客の姿が見えないため、自分が訪れるとき以外の時間は閉店しているのではないかと密かに疑っている。

そして、やっぱり今日もお客がいる気配はない。


「いらっしゃい、お待ちしていましたよ。」

カランコロンと軽やかなベルの音とともに分厚い木の扉がゆっくりと押し開かれ、店のマスターの影が伸びる。

「こんばんは、今日は少し冷えますね。」

秋も半ばに入り、その場に立っていると冷たさが徐々に染みてくる。

漏れてくる柔らかな光とコーヒーの美味しそうな香りに誘われるまま、店内へ足を運んだ。


 「ホットにしましょうか。あたたまりますよ。」

「ええ、いつものブレンドでお願いします。」

入口から近いカウンター席に腰かけながら返事をする。


十五歩ほどで一周できるくらい狭い店内は、カウンター席のほかにテーブル席がひとつ。

内壁は深く濃い茶色を基調にした木材で、この小さい空間をあたたかくしっかりと包んでいる。

古くから営業しているのだろうか。

ところどころに付いている傷やへこみが、この店の歴史を物語る。

絵画やオブジェなど、凝った装飾品の類は見当たらない。

カウンターの隅に置かれている花瓶に入った切り花が唯一、鮮やかな彩りで目を楽しませる。


 抽出の準備を進めるマスターの後ろの飾り棚に並べられているのは、たくさんのコーヒーカップ。

上部に付けられているライトの光に照らされ、対のソーサーと一緒にキラキラと輝いている。

お客の人柄やその日の気分、飲み物に合わせてカップを選ぶのが楽しいのだと、以前マスターは話していた。


「一番左に飾られている新しいコーヒーカップ、あれはバザラ王朝のものですか。」

「よく分かりましたね。三日前、古道具屋で見かけて購入したんです。」

マスターは沸いたお湯を少しずつ注ぎながら答える。

「丘の上に大きな屋敷があるでしょう、古道具屋はそこのお屋敷からカップを買い取ったらしいですよ。」

「へえ、そんな価値のあるものをよく買い取れましたね。」

話が弾むとともに、熱い湯を含んだコーヒーの粉がぷっくりと膨れていく。

ぽたぽたとコーヒーの雫が落ちるのを眺めていると、琥珀色の深淵に引き込まれる感覚になってしまう。


 「お待たせしました。」

注文したホットコーヒーは、深緑の蔦模様が印象的なカップに入って差し出された。

「いただきます。」

一口含むと、たくさんの甘みと苦みが混じり合うブレンド特有の複雑な味わいが口内に広がっていく。

喉を通ったあとにどこか切ない気持ちになるコーヒーが、この店の特徴だ。

「美味しいです。身体の芯からあたたまりますね。」

「ありがとうございます。今日の気温に合うように、焙煎具合を変えてブレンドしたんですよ。」

少し誇らしげな響きを含み、マスターの影が静かに揺れる。


 コーヒーを数口楽しんだところで、ふと思いついたことを尋ねてみる。

「ところで、この店の営業時間はいつまでですか。

いつも一杯だけでおいとまするので、気になりまして。」

「閉店時間は決まっていないんですよ。

空が東雲色になる頃、店をたたんでいます。」

「へえ、ずいぶん長いんですね。」

夜通し営業を続ける店は場が盛り上がるお酒を置きがちだ。

しかし、この店ではお酒のようなアルコールを含む飲料は提供されていない。

コーヒーを楽しみ、自分とゆっくり向き合う静かな店も必要なのかもしれない。


 「仕事の調子はいかがですか。

珍しい品種のものは見つかりましたか。」

「いえ、ああいうのは見つけにくいものですね。

どこへ行っても同じ品種ばかりです。」

「ずっと前から探してらっしゃるのに、難しいんですね。」

仕事が上手くはかどらないもどかしさに、コーヒーだけではない苦さを感じてしまう。

「最近は同品種でも、羽根の模様が異なるものの収集もしています。」

「順調に行かない中でも別の研究を進めるとは、さすがです。」

マスターの相槌が心地よく、つい愚痴話が長引く。

「珍種が発見できないことよりも、自分の収集を見て家主が悲鳴をあげるほうに悩まされています。」

「そうですか。専門的なお仕事ですもんねぇ。」

「毎日捕まえたものを持ち帰っているはずなんですが、なかなか慣れてくれないものでして。」

溜まった鬱憤をため息に乗せて、ふうと吹き出す。

「だけど知識を深めたい欲には逆らえませんからね、毎度様子を見ながらも耐えています。」

「はあ、蝶の収集家というものも大変なんですね。」


 話がひと段落して束の間の静寂が訪れたとき、テーブルの隅に置かれている鈍い金色の球体が目に留まった。

席を立ち、近くでじっくりと鑑賞する。

「これはいったい何ですか。」

「つい最近手に入れたものでして、小型ですが、ボダラ紀の星読み機です。」

「星読み機とは、なかなか希少な品ですね。」

「ええ、専門的な機材がなくとも気軽に星読みができるよう設計されています。

真ん中ほどに四角い穴があるでしょう、その穴にベイロ石の薄板を挿し込んでから、取っ手を回して使うんです。やってみますか。」

マスターが棚の上に置かれていた小箱を開けると、淡く透きとおった紺色のつるつるとした板が現れた。

「この板がベイロ石ですか。初めて目にしました。」

「昔はありふれた素材だったみたいですがね、近頃では地中屋くらいでしか扱われていません。」

ベイロ石を一つ取り出して、星読み機に挿してみる。

数ミリ残し、薄板はほとんど飲み込まれた。

「次は、自分が生まれた方角、分かりますか。

その方角に取っ手を合わせてから一周回してください。」

指示されたとおりに取っ手をカチリと回すと、細い煙が立ち昇っていく。

内部からはかすかにぱちぱちと爆ぜるような音も聞こえてきた。

「あまり詳しい構造はわかりませんが、現在の星の位置をベイロ石に刻む仕組みになっているようですよ。」

「なるほど、だから煙が出ているのですね。」


 しばらく経つと煙は止み、爆ぜる音も聞こえなくなった。

「もうよいでしょう。記録が終わったみたいです。」

マスターに促されて、薄板をそっと引き抜く。

ついさっきまで彫っていたからか、ベイロ石はかすかな熱を持っている。

表面には星々が織りなす白い幾何学模様が踊っていた。

高価な織物の緻密な絵柄のように見えて、とても美しい。

しかし、天体についてはちっとも学んでこなかったので、この模様からどう読み取ればよいのか、皆目見当がつかない。


石に刻まれた意味を尋ねようとすると、横に来て観察をしていたマスターがぽつりぽつりと解説を始めた。

「もやがかかっているように見えるのが白菊星団ですね、大きい丸はラバリ級の川蝉星です。

星団にラバリ級の星が重なるときは、予期せぬ問題が起こる暗示といわれています。」

「お詳しいんですね。」

「少しかじった程度ですよ。星読みを生業としている方たちには到底かないません。」

話しているうちに冷えてしまったベイロ石をじっと見た。

結果は喜べるものではなかったが、とある一件がふと思い起こされた。


「実は、久しぶりに失敗してしまったことが先週ありましてね。河原で採集していた日ですが。

この辺りではあまり見かけない白蝶を見つけたんです。

しかし、嫌な予感がしまして、はっと上を見ましたら、鳥がその蝶を狙っていたんですよ。」

「それはそれは。」

「鳥に食われるといけないと思い、慌てて白蝶を捕まえました。

だけどあんまり急いでいたもんだから、誤って蝶の羽根に傷をつけてしまったのです。」

しかも、草むらの陰で誰かが見ていたような気がする。

もしこの一件を目撃されていたとしたら、恥ずかしい限りだ。


 「いやあ、星読みも当たるもんですねぇ。

意識していなければ気づかない暗示ばかりが表れるのだと思っていました。」

「バザラ王朝の時代でよく使われていた言葉のひとつに、当たるも八卦、当たらぬも八卦というものがあります。

星読みの結果を全てとせず、時の流れるまま、おおらかに構えているのがよいらしいですよ。」

カウンター席に戻り、遥か遠くの時代に思いを馳せながら、銀河の囁き声を伝えたベイロ石を見つめる。

どんな小さな出来事でも、星々は未来を知り教えてくれるのだから、本当に不思議だ。


 「心まで暖かくなるコーヒー、ご馳走様でした。

そろそろおいとまします。お勘定はこちらに置いておきますね。」

「どうもありがとうございました。またいつでもお待ちしております。」

カウンターに銅貨を置き、席から立ちあがる。

重厚な扉をゆっくり開くと、店内に秋の冷たい夜風がひゅうと滑り込む。

思わず身を縮めてしまった瞬間、マスターの声が後ろから飛んできた。

「これ、忘れてますよ。ベイロ石。

せっかくだからお持ちになってはいかがですか。」

「貴重なものではないのですか。」

「大丈夫ですよ。まだ完全に掘りつくされた訳ではありませんので。

ときどき見て、星々が未来を囁いているのを思い出してあげてください。」

「ありがとうございます。それではいただきます。」

紺地に白の流れるような模様が美しい石をマスターから受け取る。

今晩の素敵な記念品だ。どこに飾ろうか考えると、だんだんと気持ちが弾んでくる。

「銀河の周期が変わると模様は自然に消えてしまいます。

石は再び使えますので、また星読みにいらしてください。」

「ええ、必ず。」

次に来たときは、どんなコーヒーが飲めるのだろうか。

柔らかな光を背にし、暗闇の中を歩き始めた。


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