理不尽な依頼
雨か雪が降りそうな空に変化したのは偶然とは思えない。窓の向こうに広がる景色もそのせいか霞んで見えていた。ため息が自然と漏れ、心が不安で押しつぶされそうになってくる。キャサリン・ストライドはそのままよろよろと後退し、倒れるようにしてソファに座り込んだ。目も虚ろで焦点が定まっていない。胸元で白く輝くネックレスを無意識的に触り、そこでようやく意識を覚醒させた目をしてみせた。ここはホテルの一室、しかもセミスイートルームである。さっきまでいた突然の訪問者は父であるジェイムズを伴ってここから立ち去っている。なんともいえない邪悪な笑みが鮮明に記憶に残るその男、我龍泉覇王は何故、自分を人形と表現したのか。父親の言うことを聞くお嬢様だからか。いや、そんなニュアンスではなかった。そう、そのままの意味での人形と揶揄したのだ。ぎゅっと拳を握り、空を睨んだキャサリンは簡単な手荷物だけをまとめて部屋を出る。思うことはただ1つだ。
「会いたい」
ぽつりとそう呟き、足早に廊下を歩いた。周囲に誰もいない、はずだった。エレベーターに乗り込み、1階のボタンを押してドアが閉まる。そう、その瞬間までは確かに1人だった。なのに、動き出したエレベーターの中には自分と、もう1人いる。長い黒髪は床に着きそうなほどだ。そしてこの真冬にあって袖がない服というのもどうかと思う。何より、その白い肌。本当に肌なのかと思うほど白いそれは日本のおとぎ話にある雪女を彷彿とさせた。キャサリンは日本に興味を持ち、その文化や歴史などに精通しているいわば日本オタクである。自発的に日本語を学び、いつかは日本人と結婚したいと思っているほどだった。キャサリンは背中に嫌な汗をかきつつただ前だけを見据える。覇王が零と呼んだ女はキャサリンの対角線上にいて言葉を発することなくじっとしていた。それが恐怖を煽る。まさに『霊』というふうに。
「ついてこないで」
「ムリね」
ドアが開く直前のやりとりがそれだった。キャサリンは早足でロビーを歩き、正面入り口から外に出る。そこで振り返るが、そこにはもう零の姿はなかった。ほっとしつつタクシー乗り場でタクシーに乗り込み、行き場所を告げる。向かう場所は今のこの状況を打開してくれるであろうただ1人の人物がいる場所だった。
*
自分の家のリビングは広いと思っていた。それこそ、6人いても十分なスペースがあるためによその家に比べれば十分広いと思っていたのだ。だが、あのホテルのリビングを味わった後では狭く感じてしまうのだから人の感覚など曖昧なものだ。きちんと正座をし、ぴんと伸びた背筋も気持ちがいいほどの姿勢を保つ銀色の髪の美少女は桜園凛が目の前に置いたお茶を閉じた目で見つつ軽く会釈をしてみせた。約4ヶ月ぶりの再会だが、その気品も上品なオーラも健在だった。
「まさか、お前に会えるとは思ってもみなかったぞ」
感慨深げにそう言うのは知らせを聞いて駆けつけた神手司の父である信司だ。幼馴染であり、親元へ帰っていった親友である上坂刃を前に嬉しそうな笑顔を見せた。7年ぶりの再会に刃も微笑むが、その笑みは苦笑に変わっていった。
「こんな形では、会いたくなかったがな」
お互いに少し老けたと思うが、顔を見合わせて微笑み合う。
「遮那だけだなく、刃さんまでもが来たってことは相当なこと、ってか?」
ソファに座ってお茶を手にした司の言葉に刃が苦笑をし、銀色の髪を揺らして神地王遮那が頷いた。
「事は重大です。そしてそれを解決できるのは、あなただけ・・・だと思って・・・・」
言い難そうにそう告げた遮那は司を見て、それから凛を見やった。そのままリビングの端に座っている未生来武へも顔を向け、そうして顔を伏せてしまった。来武は隣に座る蓬莱未来を横目で見つつ、ついさっき司に呼び出されて来たことの意味を理解した。霊的な事件が起こっているのはまず間違いないが、わざわざ自分を呼んだということは前世絡みだと判断したのだ。司と凛、そして来武の前世での因縁はここにいる全員が知っていることだ。
「裏出雲に納められていた秘宝、霊玉が持ち去られた」
その刃の言葉にピクリと反応したのは信司だけであり、あとの面々はそれが何かわからずきょとんとしている。凛はチラッと来武を見るが、その視線を受けた来武は静かに首を横に振った。前世の記憶を持っている来武が知らないとなれば、それは前世の自分たちがこの世を去ってからの事ということだろう。
「その霊玉って何?」
司の質問を受け、口を開きかけた刃を手で制した遮那が閉じたままの目で全員を見渡し、ゆっくりと口を開いた。それは神地王家に伝わる神話であり、忌むべき過去の遺産。裏切りの果てに手に入れた強大な力は結局のところ誰にも使いこなせずに安置されただけとなった。高次元のエネルギーを圧縮したもの、霊玉。その誕生の秘密と神地王家が犯した罪、そして罰。さらには、それを奪い去った我龍泉覇王の存在を話し終えた遮那は静かにお茶を飲んで一息入れた。
「我龍泉家といえば、かつては九州を治めていた小国の王族でしょう?」
前世の記憶を手繰り寄せてそう言う来武の言葉に頷いた遮那はその辺りを説明した。
「神地王家は最高にして最強の祭司である天がその能力を持って名を馳せた。それは竜王院、幽蛇宮も同じで命と神楽の存在が大きく作用した。だが、3人の死後、神地王家はアマツの弟であるシロガネが封神十七式のその技と術を用いて権力を維持してきた。竜王院家はミコト亡き後も神地王家を支えたが、カグラの反逆を受けた幽蛇宮家は国を終われて九州に渡ったと伝えられています」
未来は来武を見やるが、来武は静かな目で遮那を見つめている。前世の自分が犯した罪によって一族は国を追われたのだ。完全にその記憶を所持している来武にとって、前世の家族や親類の顔もはっきりと覚えているのが辛いところだ。そんな来武の手にそっと自分の手を重ねた未来が小さく微笑む。来武もかすかな笑みを浮かべ、それを見た遮那も微笑をたたえていた。
「九州に渡った幽蛇宮家を迎え入れたのが我龍泉家です。北の小国にある鳳凰院家を加えた5つの家はその後、日本が1つに統一された後も裏から政を指揮してきた。その高い霊能力をもって」
そして、長い年月が流れ、その血筋も薄まっていく。霊的な能力の消滅を恐れた神地王家の長が残る4つの氏族に打電をし、高い能力を持つ13人を選定して作り上げたのが霊玉だ。だが、神地王家の長は自身の血筋を含めた12人を殺害して霊玉を独占したのだ。それが神地王家の負の遺産となり、拭いきれない罪となった。
「で、その霊玉って何なのさ?」
司にとってはそんな経緯などどうでもいいのか、さっさと本題に入れと言わんばかりだ。これには信司と刃も苦笑を漏らし、遮那は疲れたような顔を司に向けた。
「高次元のエネルギーを圧縮したもの。アマツの持つ光天翼の上位に位置するようなもの、でしょうか」
「ふん・・・確かに人間にゃ扱えないわな」
司の言葉に頷く美咲や来武を見つつ、凛は不安そうに司を見つめた。確かに、そんなエネルギーを扱えるのは凛の知る限り司ぐらいなものだ。実際に司は光天翼を使い、カグラの邪念体を倒しているのだから。だが、それには大きな代償を支払う必要がある。そう、命という代賞を。
「しかしあの霊玉は制御など出来ないだろう?そもそも、その覇王ってヤツは使いこなせるのか?」
信司は霊玉をよく知っているような口ぶりでそう言った。
「持って行った時にはムリだったが・・・ただ、あいつの霊圧は昔はせいぜい30程度だった。なのに、ドイツから帰ったあいつのそれは司に匹敵する。もし、あいつが霊玉を制御できたなら、この世界は終わる」
「霊圧が増えるって、ありえないでしょ?」
師匠の言葉に異論を唱える美咲だが、実際にその通りだ。霊圧は持って生まれた能力であり、減ることも増えることもない。逆に霊力は霊に接する機会が増えればそれも増す。つまり、覇王の霊圧の増加はありえないことなのだ。
「親父は霊玉を知ってたのか?」
「昔、刃に連れられて旅行に行ったからな・・・まぁ、安置されている洞窟の前に行っただけだが、感じられる力は圧倒的だった」
「大学時代だったなぁ・・・由美子さんがアレに触れたのも、その時だったか」
その言葉に苦い顔をした信司を見た美咲の表情が強張った。美咲にとって、母である由美子の死はトラウマになっている。司も見た入院中の病室で由美子に付きまとう黒い影。その時はただ恐怖の対象でしかなかったが、今思えばそれは死神にも似た何かだったような気がする。
「お母さんが死んだのは、それに触れたせいなの?」
震える声でそう問う美咲に、刃は静かに首を振った。それを見た美咲が信司を見れば、信司もまた薄く微笑んでそれを否定する。
「大学時代の話だし、母さんが死んだのは病気が原因。関係なんかないよ。あればお前たちがとっくに気づいてるだろ?」
優しくそう言い、信司は美咲の横に座った。美咲は泣きそうな顔をしつつ頷くと信司の腕を掴んで顔を伏せる。
「母さんが死んだのは、俺のせいだよ」
司のその言葉に信司があわてた様子を見せるが、刃は少し驚きつつも冷静さを保っていた。確かに由美子が死んだ原因は司にある。だが、その真相を知る者はもうこの世に刃しかいないのだ。
「お前のせいじゃない・・・」
「俺なら祓えた・・・母さんの傍にいた黒い影なんか余裕でね。でも、あの時の俺にはできなかった、怖かったんだ。だから母さんは連れて行かれたんだよ」
「違うよ、司君のせいじゃない!そうやってなんでもかんでも自分のせいにするの、よくないよ!」
珍しく声を荒げた凛に全員が注目した。司でさえ驚いた顔をしているが、無理もない。
「司君のお母さんはいつも司君や美咲ちゃんの傍にいるんでしょ?感じたんでしょ?本当に司君のせいなら、傍になんかいないよ?死んで、消えて、生まれ変わって・・・でも、そうしないで傍にいるんでしょ?」
両親や親戚を一度に亡くしたからこそ、凛にはわかっているのだ。凛は涙目で司を見据える。さすがの司にも動揺が見え、少しだけ顔を伏せた。
「ゴメン」
これまた珍しく素直に謝った司に凛は頷いた。信司は苦笑しながらも凛に軽く頭を下げた。そんな信司を見た凛は顔を赤くしてバツが悪そうに天井を見やった。
「霊玉に通じる道には多重結界が張られています。それをすり抜けて接触したのは、霊玉がお母様を呼んだのかもしれませんね」
遮那の言葉に全員が黙り込んだが、刃は心の中でさすが遮那だと微笑んでいた。そう、実際はそうなのだ。あの日、夜中に消えた由美子を発見したのは刃であり、その際に由美子から自分を呼ぶ声を聞いたと聞かされていた。そして年月が過ぎ、入院した由美子を見舞った際に全ての真相を聞かされたのだ。由美子が言霊使いであり、霊玉に触れたことで将来の息子の死を見たこと、そしてその死を回避するために命も惜しまなかったと言った言葉を。対価を支払って言葉にした事柄を実現させる異能力で司を救ったと、その未来を書き換えたという話を。そして刃は依頼された。司を最強の霊能者にして欲しいと、霊の障害から死に直面した人を救える人になって欲しいと。
「とにかく、その霊玉を覇王が持ち去ったわけだが、それを制御できればヤツがこの宇宙の王になる。それを回避できるのは、司だけだ」
その言葉に司の顔に笑みが浮かぶ。それを見た凛の不安が大きくなるが、こういう顔をした司を止めることは出来ない。
「もう少し情報が欲しいなぁ」
「解決するまではここにいろ。寝床は用意してやるから」
司の言葉に賛同し、信司がそう提案した。いや、強要か。とにかく、敵の動きがわかるまでは居候することにし、刃と遮那はあらためて司や信司に礼を言うのだった。