覇王たる霊玉
そこは質素な神殿があるだけで、鳥居もなければ他の建物もない。おおよそ神社とはいえない造りだが、人を寄せ付けない何ともいえない冷気のようなもので満たされていた。長い前髪を右側だけ垂らした若い男が黒いコートを風に揺らめかせながらその神殿をじっと見つめている。その背後には2人の男女が立ち、同じように神殿を見つめていた。
「ここにはありません」
女がそう言った。見た目20代の美しい女性だが、あまりにも色が白すぎる。透き通る肌ではなく、透明に近い印象を受けるせいか、きめ細かい血管すら透けて見えるように思えた。真冬にあってノースリーブの白いベストに黒のロングスカート、そして地面につくほどの長い黒髪。長いまつげを揺らすその目はただじっと神殿に向けられている。
「やはり隠されている、というわけですね?」
女の横に立つ長身の男が抑揚のない声を発する。全く感情のない声はどこか機械的であり、隣に立つ女とは対照的に短い黒髪に焼けた黒い肌をしていた。こちらも紺色のタンクトップに迷彩柄のズボンを履いているのみで上着は羽織っていない。12月頭だとは思えない格好をした男女を従えた男は小さく口の端を吊り上げた。
「隠されているなら、隠しているヤツに聞けばいい、だけ」
長い右側の前髪のせいか、左目だけが光って見えた。コートの男はそのまま音もなく神殿の前まで来て、それから足を止めた。途端に数名の男たちが3人の前に立ちはだかった。まるでこれを待っていたかのようにコートの男は小さく口の端を吊り上げる。不気味な笑みを湛えたコートの男の前に進み出た男女が睨むようにして今出てきた男たち、作務衣を来た者たちを見やった。
「神地王家の家臣、かね?」
「何用か?」
「昔、そのまた昔の分け前を頂きに来た、ってところかな」
その言葉に構えを取った男たちだが、そのまま体が動かなくなった。金縛りにあっている、そう認識は出来ても理解ができない。薄く微笑む女の顔を見てこいつの仕業かと思うのが精一杯だった。
「零・・・そのままにしていろ」
タンクトップの男が低い声でそう言うと、零と呼ばれた女は頷いた。
「疾風・・・殺すなら綺麗に殺せよ?」
コートの男の言葉に頷いた疾風と呼ばれたタンクトップの男が腰から色とりどりの宝石が付いた短剣を取り出すと一気に駆けた。動けない男たちの前を駆け抜け、そして元の場所に戻るまで3秒しかかかっていない。おおよそ人間には出来ない動きをしてみせながら、全く息を切らしていないのが不気味だった。
「こちらは確かに招かれざる客だが、それでも、もてなし方は考えたほうがいいよ」
コートの男が神殿の正面扉に立った瞬間、作務衣の男とたちは首と胴体を切り離しながら地面に倒れこんだ。一切の血を噴出させず、倒れてからその場を血の海に変えて。疾風は腰に短剣をしまう仕草を見せたが、それを止める。そうしてやや後方へと頭だけを動かした。零もまた体ごと同じ方向へと向いてみせる。コートの男は神殿の扉にかけた手をそのままにニヤリとした笑みを浮かべたままだった。
「上坂刃、か」
「久しいな、覇王」
灰色のコートを羽織り、口元を隠すようにして巻かれた赤いマフラーをした刃が自分たちの斜め左後方数メートルの位置に立っていた。目の前に転がる死体を目にしながらも涼しい顔をしている刃だが、その目に宿る光は鋭い。
「隠居したと聞いていたが、相変わらずの霊圧で安心したよ、上坂刃」
「お前もドイツから帰っていたとはな」
「得るものは知識として得た。今度は力を得ようと思ってね」
ここでようやく扉から手を離し、優雅な動きで振り返る。覇王と呼ばれた男はにんまりした笑みを浮かべるとそのまま一歩だけ前に出た。
「力、か」
「そうだ」
覇王のその言葉と同時に疾風が駆けた。一瞬で刃の首に短剣を向けるが、何故かそこから1ミリたりとも進まない。疾風のこめかみに青筋が浮かぶが、それでも短剣は刃の首を切断できないでいるのだ。
「さすがは竜王院家の末裔だね。だけど、まだまだだ」
刃はひょいと短剣の切っ先をつまむと無造作にそれを下に向けた。途端に短剣はするりと手から離れて地面に刺さってしまい、驚く疾風は数メートルの距離を飛んで下がった。着地と同時に零が右手をかざすが、その相手のマフラーの下の口が薄い笑みを作っていることに気づかない。
「防」
呟く言葉と同時に空気が揺らぐ。驚いた顔をする零がさらに右手に力を込めようとするが、覇王が手を挙げてそれを制した。
「無駄だ。この男に、今のお前ら程度では足止めにもならんよ」
「幽蛇宮家の末裔か・・・よくもまぁ、集めたもんだね」
「神地王家がデカイ顔をしてられるのも、この残る2つの血筋のおかげ。そして・・・」
「なるほど、それがお前の言う力、か」
覇王の言葉から全てを悟ったのか、刃はそう呟くと静かに目を伏せた。対する覇王はニヤリとした笑みをそのままにさらに一歩前に出た。
「均等にされるべき報酬を貰ってない。それに、アレの生成に一番尽力したのは、我龍泉なのだから」
「で、今更ながらにその報酬を得よう、と?」
「いや。独り占めが出来るのであれば、こちらも、ということだよ」
「なるほど、目には目を、か」
「どうする?止めるか?」
「おいおい、俺には無理だと分かってて言ってるだろ?」
降参するように力なく手を挙げる刃を見る覇王の目つきの鋭さは失われていない。口ではああ言いつつも自分を押さえ込めるだけの力を持つ者など、この刃しかいないとも思っている。現に従者である零と疾風では何もできなかったのだから。だが、かといってそう脅威でもない。封神十七式がやっかいなだけで、今や魔封剣を持たない刃などどうとでも出来る相手にすぎない。
「今や世界にあんたしかいないと思うがね、俺を止められるのは」
「そうかね?」
「理由は知らんがあのナタス・ヘイガンも力を失い、ミュンヒハウゼンのじーさんは死んだ。ま、あれはもうとうの昔に死んでたけどね」
ドイツに長くいたせいか、そういう情報には疎いらしい。刃は心からの笑みを表情に出し、挙げていた手を下ろして見せた。その笑みの意味を図れず、覇王の顔から笑みが消える。対照的な表情を浮かべた2人が睨みあう中、覇王の背後にある神殿の扉が音もなく開き始めた。身構える零と疾風をよそに、ゆっくりとした動きで振り返る覇王。やれやれといった感じで数歩前に出た刃は扉の向こうに佇む人影を見て苦笑を浮かべて見せた。
「もう少し後、かと思ってましたが・・・意外に早かったようですね」
歌うかのようにそう言ったのは扉の向こうから現れた銀色の髪の少女だった。目を閉じたまま周囲をぐるっと見渡すようにし、数体の死体を見たのかため息をついた。
「我龍泉覇王、幽蛇宮零、竜王院疾風・・・ですね?」
「神地王遮名、か。かつての3王家に我龍泉、上坂の名を継ぐ者が一堂に介するとはね」
「かつて日本を裏から支えてきた4つの血筋がここに揃ったのは偶然です。でもあなたの登場は偶然ではない、必然でしょうね」
ため息混じりにそう言った薄着の遮名はそのまま神殿を降りると覇王を振り返る。やれやれといった風な刃はマフラーを取ると遮那に近づき、そっとそれをかけてあげた。その仕草を見ていた零の目が一瞬細まるが、それに気づく者はいなかった。
「負の遺産というべき霊玉・・・本来はあなたのようなクズな人間に渡すものではないのですがね」
「盗人の家系のくせに、えらそうにな・・・でも、人格が壊れてるってのは否定しないがなぁ」
ケラケラと笑いながらそう言う覇王に対して深いため息をつく遮名。
「同じ壊れている者でも、こうまで差が出るものなのね」
ぼそりと呟いたその言葉に覇王は片眉を上げ、刃は苦笑した。
「ついてきなさい」
遮名はそう言うとそのまま神殿の裏に向かって歩き始めた。横に並ぶ刃に続き、覇王が歩く。その数歩後ろから零と疾風が続いた。遮那は神殿を通り過ぎ、背後にある森へと向かう。正確にはちゃんとした道があり、木々が生い茂っているものの整理された道になっていた。
「霊的防御まで張る徹底振りか・・・気づかなかったわけだ」
覇王の言葉に誰も何の反応も示さなかった。だが、零にしろ疾風にしろ何らかの抵抗力のようなものは感じていた。その証拠にどんなに集中力を高めようとも霊圧も霊力も機能しない。目の前を行く3人の霊圧すら感じられないほどだ。黙って歩いているが言い知れない不安が心を埋めていく。
「結界のせいだ。気にするな」
2人の動揺を感じ取ったのか、覇王がそう言葉を発する。2人は動揺を消し、歩みを強めた。
「ひよっこだったお前が統率してるって、笑える」
「笑うなよ。殺したくなる」
刃の言葉に柔らかい苦笑で返す覇王だが、その全身から立ち上る殺気は本物だ。それに、さっき対面した際に感じ取った霊圧は10年前の比ではなかった。生まれてから霊圧が変化することなど、まずない。持って生まれた能力であり、大きさが固定されているのが霊圧だ。それなのに覇王のそれは10年前を遥かに凌いでいる。10年間のドイツでの成果がそれなのか、刃はそう考えつつも遮那に寄り添うようにして歩いた。やがて遮那は洞窟の入り口らしき穴の前で立ち止まった。垂直に立った崖に穿たれた穴。そこから漂ってくるのは冷気と、そして恐ろしいまでの邪気。常人であれば失神しているであろうその邪気を受けて平然とする遮那はパンと両手を叩き合わせ、何やら祝詞のようなものを唱え出した。
「アレを手に入れてどうする?」
「世界の、いや、宇宙の神になる」
「無理だと思うぞ」
「今や世界に俺より強い霊圧を持つ者などいない。その上での霊玉だ」
絶対的な自信を持つ覇王の言葉に鼻でため息をついた刃はそれ以上何も言わなかった。遮那が祝詞を終え、洞窟に入る。後から続いた4人が中に入れば、どういうわけかさっきまで感じていた強烈な邪気は消え失せ、洞窟の奥から溢れんばかりの霊圧が漂ってきていた。覇王はさっきまでなかった満面の笑みを浮かべて早足になる。そのまま刃の隣に並んで歩いた。入り口こそ狭かったが、徐々に幅も大きくなり、ちょっとしたトンネルほどの大きさにまでなっている。そして5分ほど歩いたところで奥の方がぼんやりと光っているように見えてきた。ますます笑みを強くした覇王に対し、刃は憮然とした顔つきになる。そのまま5人がやってきたところは巨大な半ドーム型になった開けた場所だった。その広場の真ん中には小さな白木の祭壇があり、その祭壇の上にある何かがぼんやりとした光を湛えているのである。
「逆さ鳥居に白木の祭壇、か・・・伝承の通りとは、ね」
覇王は天井から生えているような赤い鳥居に目をやり、それからずかずかと歩いて祭壇へと向かった。それに続く零と疾風をよそに広場の入り口に佇む遮那と刃は言葉もなく3人の背中をじっと見つめていた。ふと遮那を見れば少し震えている。刃はそっと小さな遮那の肩に手を置くと前を見たまま口を開いた。
「あいつは司の存在を知らない。まぁ、霊玉を手に入れたとして、あいつに対抗できるのはもう司しかいない」
「でも・・・」
「予想していたよりも相手が悪い。それに、あいつの次のターゲットは必然的に司になる」
「彼の前世がアマツだから?」
「関係ないですって・・・ただ、同じ力を持つ者は惹かれあう。それに、アマツだったらあいつには、今の覇王には勝てない」
余裕のある表情にどこか緊張もほぐれたが、それでも遮那の表情は冴えなかった。神地王家が遺した負の遺産、霊玉。我欲に負けた結果の力だが、結局は使いこなせる者などいなかった。そして霊玉に触れたものが残した予言。いつか必ずこの霊玉を奪いに来る者が現れる、と。その予言が成就される日が近いことは特殊な能力を持ち、霊玉を近くに置いているために遮那には予測できていた。その者の資質を見極め、扱うにふさわしいかどうかを確かめた上で邪な心を持つ者であればこれを撃退する用意もあった。だが、それは不可能になった。我龍泉覇王、この男の持つ霊圧はケタ違いに強すぎる。おそらく、対抗できる者は神手司しかいないであろう。いや、遮那にしてみれば霊玉を所持すべき本当の人間は司だと思っていた。私利私欲もなく、ただ自分に正直に生きている男。心を壊したが故に得たその境地であれば、この霊玉すら次元の彼方に返せると思っていた。だが、来たのは覇王だ。悪しき心で満たされた悪魔のような男。最近になってこの男に関する調査を開始したことが悔やまれる。しかし何故、霊圧がこうまで上がったのか、それが最大の謎だ。ドイツで何があったのかはわからないが、不可能を超えた状態に首をひねるしかない。見つめる先では覇王が霊玉を手に取ろうとしているところだった。
「これで、俺が神になる!」
手のひら大の玉は中で何かが蠢くような光を放っており、鈍い光をもってそこにあった。覇王は右手を伸ばし、その霊玉に触れる。感じるものはなく、ただ表面のツルツルした感触とひんやりした冷たさだけが手を通して伝わってきていた。
「行くぞ」
そう言い、覇王が踵を返した瞬間だった。突然苦悶の表情を浮かべたまま片膝をつき、持っていた霊玉を落としてしまった。異常なほど汗をかき、息を切らせる。驚きの目を霊玉に向けた覇王は零と疾風に支えられるようにして何とか立ち上がると怯えた目で霊玉を見つめた。疾風と零も霊玉を見れば、同じように怯えた表情を浮かべて後ずさる。それは無数の人間が強引に球体に押し込められたように見えたからだ。腕も足もありえない方向にひん曲がり、口を開けて虚ろな目をしている小さな人間が無数で球体を成している。何度目を凝らしてもそうとしか見えず、あれほど自信に満ち溢れていた覇王ですら恐怖に支配されているようだった。
「くそ・・・俺は神になる!俺は、神に、なるんだぁぁっ!」
恐怖心を押し込め、絶叫した覇王が霊玉を掴んで出口に向かって駆けた。それを見た2人もあわてて後を追う。霊玉の光を失った洞窟は真っ暗になり、そして静寂に包まれた。その静寂を破ったのは刃が手にしたジッポライダーが火を灯すカチンという金属音だった。ゆらめく赤い炎が光となって洞窟を弱々しく照らす。
「あいつが霊玉を本当に自在に操れるのなら、それはおそらく2週間か3週間後ってところですか」
「高次元波動圧縮回路・・・霊玉。それを持った者の霊圧に反応して自らを取り込もうとする際の幻覚に打ち勝ってこその力を行使できるモノ。人の恐怖心を煽り、心を試しながら・・・」
「もしヤツが霊玉の力を使いこなせるのなら、それを止められるのは司だけだ・・・俺が交渉に行きましょう」
「いえ、私が行きます。私は、神地王遮那なんですから」
震える声ながらしっかりとそう言い切る。刃はライターを地面に置き、片膝をついて遮那の華奢な体を抱きしめた。何故、彼女にばかり過酷な運命を背負わせるのか。これが神地王家に課せられた呪いだとするのなら、それはあまりに残酷すぎる。だからそれを終わらせに行く。いや、終わらせられる人物に乞うのだ、彼女の安寧を。
「お供します」
「・・・・・・・うん」
ぎゅっと力を込める遮那に応えるように刃も抱きしめる力を込めた。静寂の中、抱きしめ合う2人。大人と子供が抱きしめ合うようなシルエットだけがゆらめき、洞窟の中で薄く存在するのだった。