予想外の邂逅
何故かクラクラしてしまう。あの覇王とかいう者に会ってから、いや、霊玉というのを見てからずっとこの調子だった。意識ははっきりしているのだが体とその意識がうまく合わさっていないような感覚に陥ってしまう。神咲神社ではなく、商店街の外れでタクシーを降りたのも追っ手に行き場所を悟られて先手を打たれないようにしたためだった。だが、この調子では神社に着く前に倒れてしまいそうだ。キャサリンはそう思いながらもよろよろと壁に手をついた。無意識的に胸元の白い玉に手をやれば、少しだけ体の感覚が戻るように感じていた。きょろきょろと周囲を見渡し、零の存在を探る。だが、あの髪の長い女の姿はどこにもなかった。そのことに安心した矢先、体の力が抜けてその場にへたり込んでしまった。
「大丈夫ですか?」
若い女性の声に顔をあげれば、少し軽く内側にカールした茶色い髪の女性が心配そうに覗き込んでいた。
「はい、大丈夫です」
見た目が外人のキャサリンが流暢な日本語でそう言ったせいか、女性は驚いた顔をしつつ背中をさすってくれる。そんな女性に小さく微笑んだキャサリンが胸元の白い玉に手をやった時、聞き慣れた声に顔を上げた。
「乱れた霊圧だと思ったら、やっぱお前か」
その声に薄く微笑むキャサリンとは違い、介抱してくれた女性の肩が小刻みに震えているのは何故か。
「大丈夫?キャサリンさん、立てる?」
女性の脇に座ってキャサリンの様子を伺うのは凛であり、キャサリンは微笑を浮かべると頷いて見せた。凛は茶髪の女性に会釈をし、キャサリンを立たせる。女性は困ったような顔をしつつもぎこちない笑みを浮かべ、そのまま立ち去ろうとした。そう、まるで何かから、いや、背後に立つ司から逃げようとするかのように。
「あの・・・」
咄嗟にキャサリンが女性の手を掴んだ。まだろくなお礼も言えていない。不意に手を掴まれたため、司の方に顔を向けた女性は慌てて顔を伏せるようにした。その挙動不審さに凛も怪訝な顔をするしかない。
「ひさしぶり、長谷川」
にんまりと笑う司の口から出たその名に、言われた女性だけでなく凛も凍りつく。
「長谷川望、だよな?いや、感じ変わったけど、霊圧も同じだし、顔はまぁ・・・変わらないってか」
その言葉を受けてゆっくりと顔を上げた望は困った笑顔を浮かべつつ司を見やった。逆に凛は睨むような目を望に向けている。そう、この女が全ての原因だ。司の心を壊す原因となり、実際に壊した張本人。あらぬ噂を立て、さげすみ、そして消えた最低の女。
「久しぶり、だね」
「だな」
噂には聞いている。司が当時の記憶を失ったということ、そして、どこか壊れたかのような言動をするようになったこと。現に本人を目の前にすればそれが理解できた。本来であればこんなフランクに会話など出来ないはずだ。自分は司にとって忌むべき存在、嫌悪されるべき人間なのだから。
「あなたが・・・あなたが!」
低い声でそう言いながら睨んでいるのは凛であり、明らかに憎しみの感情が言葉にこもっている。
「凛・・・そのままそこにいろ。長谷川も、キャサリンもだ」
静止したのは今にも望を罵倒しそうだからだ、ではない。司の視線は自分たちの後方へと向けられている。凛はそのまま憎悪の感情を込めた視線を後ろへと向けた。同時にそちらを向いたキャサリンがハッとした顔をしてみせる。
「なんとかかんとか覇王の仲間、かな?」
コートのポケットに両手を突っ込んだままの司が笑みを浮かべたままキャサリンの横に立つ。
「あんたの霊圧・・・少し濁ってるぜ」
司の言葉に零が薄く笑った。白すぎる顔に浮かぶピンクのルージュが目立って見えた。凛は緊張を前に出し、キャサリンは怯えている。そんな中、望だけが中学の頃とは全く違う司の様子に戸惑っていた。
「何者なの?覇王様に匹敵する霊圧・・・今の今まで気づかなかった」
「察知する気がなかったからだろ?」
そう言い、司は無防備に零に近づいていく。
「司君!」
凛の不安が大きくなるが、司はそんな凛を振り返るとにんまりとした笑みを浮かべていた。
「情報知るにはうってつけじゃん。神社に戻ってて。すぐにはムリでも、ちゃんと戻るから」
「でも!」
「大丈夫」
さらに笑みを濃くした司が零に近づく中、凛はキャサリンに手を貸しつつ神社に向かうことにした。
「あなたも手伝って」
有無を言わせぬその強い言い方に望も従うしかない。2人でキャサリンを支えつつ神社に向かう。その気配を背後に感じつつ、司は零から3メートルほどの距離を取って立ち止まった。
「何してんの?キャサリンに用事かい?」
飄々とした物言いはどこか刃に似ている印象を受けるが、司の方がよりその心理を読み取れない。裏がないというか、思考が素直すぎるのだ。
「彼女を見てるだけ」
「覇王っての、あの子の親父に接触したから・・・それでか」
「で、どうするの?」
「その覇王さん、どこにいるのかなって」
「さぁ、ね」
やや低めながらよく通る声を出す零だが、そこに動揺が見え隠れしている。この男の霊圧はケタが違う。勝てる相手ではない。だが、覇王のしようとしていることを知る高い霊圧の持ち主は倒しておく必要があるのだ。
「もう消えて」
零はそう言うと右手で空中に何かを描くようにしてから司の方に手のひらを向ける。
「防」
小さくつぶやくその声のせいか、司の周囲に風が渦巻いたがそれは司に届かない。明らかな動揺を見せる零に対して楽しそうに笑った司は一歩だけ前に出た。
「封神十七式・・・何故、お前が・・・」
「習ったからさ」
不敵に微笑む司とは対照的に、零の表情は固く顔色も悪い。まさか刃以外にこの術式を使いこなせる者がいたとは誤算だ。しかもケタ違いの霊圧は揺るぎもしない。
「自分の霊圧を自然の力に変換して放つ・・・あんたの技も凄いね」
早々に見抜かれたことに驚くが、目の前のこの男が扱う術を知ったことの方が驚きが大きい。嫌な汗をかく零だが、ここは表情を殺してじっと司を見つめた。まるで掴みどころのない笑み、雰囲気。殺気もなく、まるで空気のように澄んだ心を持っている。その反面として人としてあるはずのものがない、そんな印象を受けた。
「何者だ?」
「神手司。ただの人間だよ。まぁ、人間よりも霊寄りなんだろうけどね」
にへらと笑うその顔から判断することはできないが、本気でそう思っているらしい。零は意図的に緊張を解き、じっと司を見つめた。
「あんたは?」
「幽蛇宮零」
「その名前・・・カグラの末裔?子孫?」
その名を聞いた零の表情に憎悪が宿り、睨む目が鋭くなった。そんな目を受けても笑みを消さない司だが、膨れ上がる霊圧に疑問が生じる。
「あのさぁ、なんで霊圧が上昇するの?どうやってんの?」
興味津々といった顔をする司に対して興味が沸いたのが零だ。何故この男はこうまで自然体でいられるのか。敵を前にしてその技に興味を注ぎ、まるで無防備だ。よく言えば自然体、悪く言えば子供、そういう印象だった。覇王とはまるで正反対の存在。同等の霊圧を持ち、笑みを絶やさない者たち。片やその強大な霊圧で世界の王になろうと企み、恐怖と邪悪さに満ちた笑みを持つ覇王。片や強大な霊圧を持ちながら何もせず、自然体で思考の読めない笑みを持つ司。覇王に対しては一族が皆、その思想に同調して幼い頃から仕えてきた主だけにその思想にもやり方にも疑問は持たない。苦渋を舐めてきた人生に光をもたらすために生きている零にすれば、これだけの力がありながら普通に生きている司の存在こそがイレギュラーだった。そんな司のことをもっと知りたいと思う。
「あの娘は監視対象なだけで干渉はしない。ただ、お前には干渉する」
零は高揚のない声でそう言いつつも口元に笑みを浮かべていた。
「あっそ。ま、よろしく」
にんまり笑う司に意味ありげな微笑を残し、零はそのまますっと姿を消した。司は口元の笑みをそのままに踵を返すと冷たい風に身を震わせる。
「また前世絡みか?勘弁してほしいよ・・・」
前世の因縁など、今を生きている司にはどうでもいいことだ。ため息をつき、ゆっくりとした足取りで神社に向かう司の胸に漠然とした不安がよぎるのだった。
*
神社に近づくにつれてキャサリンの不調が回復していく。そこが神域だからかとも思うが、実際は違った。入り口に立つ銀色の髪の少女の前に立った時、キャサリンは完全に回復していた。
「不思議な感覚だと思ったら・・・そう、あなた・・・」
ぼかした言い方をしつつ、閉じたままの目でじっとキャサリンの胸元で光る白い玉を見つめている。キャサリンは自分を支えてくれている凛と望に礼を言うと大きく息を吐いた。
「ありがとうございます・・・だけど、司は・・・・」
「大丈夫。司君が負けるはずないし、知ってるでしょうけど、彼、最強の霊能者だから」
その凛の言葉に望が暗い顔を俯かせた。その望を横目で見た凛だが、彼女に対する怒りがどうにも消せない。
「大丈夫だった?なんか遮那さんが・・・・・・・・・あんた、長谷川・・・・・!」
おっとりした歩調でやってきた未来の足が止まった。望はハッとした顔をした後でバツが悪そうに顔を伏せるとそのまま無言で立ち去ろうと歩き出した。だが、とっさにその腕を掴んだのは凛だった。
「あなたには聞きたいことがあります。司君のことで」
珍しく怒気を含んだ口調に未来も驚きを隠せない。だが、理解は出来る。未来も望の前に立つと腕組みをしてみせた。こいつが嘘の証言をしなければ、そう思う未来だったが、その原因を作ったのもまた自分だ。怒りをぶつける方向に迷う未来とは違い、凛はまっすぐにその怒りをぶつけている。
「私は、何も・・・」
搾り出すようにそうとだけ言い、望は苦い顔を伏せた。掴んだ手に力がこもるのを感じた矢先、さらなる怒声が望に飛んだ。
「お前!なんであんたがここにいるんだ!」
駆け寄ってきたのは美咲であり、今にも殴りかからんばかりの勢いで望に迫る。慌ててそれを制する未来だが、その気持ちは痛いほど理解できるだけに心が痛んだ。
「あんたのせいで!あんたが!お兄ちゃんは!」
言葉にならず怒声だけが飛んだ。一番身近で司の変貌を見ている美咲の怒りは想像を超えている。暴れる美咲を抑える未来もまた苦い顔をするしかなかった。
「そう騒ぐなって、近所迷惑だろ?」
その声に美咲の動きが止まる。凛も未来も声のした方向を見るが、望だけが見ることをしない。いや、出来ないのだ。
「でも、お兄ちゃん・・・この女が!この女のせいで!」
「何されたか、俺が覚えてないし、いいさ」
にんまり笑う司を見た望の心が痛む。やはり司は自分とのことを覚えていない。そして、壊れている。それは自業自得だと友達は言ってくれた。だが、本当はそうではない。自分は嘘をつき、逃げた。つまり卑怯なのは自分であり、全ての元凶なのだ。それを分かっているだけにこの場から逃げ出したかった。
「それより、時々変な目に遭ってない?金縛りにあうとか、いろいろ」
「え・・・あ・・・・ううん」
「嘘つけ・・・背中にいっぱい背負って言う台詞かよ」
苦笑した司が左手を望の胸に添えようとするのを凛が制した。掴まれた腕を見つつ不思議そうな顔を凛に向けた司はそこにある感情に戸惑ってしまう。
「必要ないよ・・・この子は一生それを背負えばいい」
凛のその言葉に、望はこの女性が司を愛していることをはっきりと自覚した。司を壊した代償にそれを一生背負えというのが凛の主張だ。望もそれを受け入れようと司を見れば、司は優しく微笑みながらそっと凛の腕を振りほどいた。
「けど、目の前で苦しんでる人間をほっとけないさ」
その言葉にもう何も言えなくなる。そう、これが司なのだから。たとえ心が壊れていなくとも、記憶が残っていたとしても同じことをするだろう。凛は下唇を噛み締めつつプイッとそっぽを向いた。
「セクハラするけど我慢しろ」
司はそう言い、望の胸に左手を当ててグッと押す。嫌悪感も何もなく、されるがままの望は顔を伏せたままだ。そうして今度は右手で背中をぽんと押した。その瞬間、望は嗚咽に似た感じで息を吐き出し、そのままその場に座りこんでしまった。
「浄霊もしないとだめだから、おいで」
司はにんまりと笑い、そのまま望の手を引くようにして神社に連れ込んでいく。睨む美咲が歯軋りを堪えつつそれに続き、未来もため息をついて後を追う。凛は困った顔をしつつも大きく深呼吸をしてキャサリンを見やった。
「事情はあとでね。今は・・・上手く説明できないから」
「はぁ」
凛の説明に対し、わけのわからないキャサリンが頷き、去っていく4人の背中を見つめる。凛の中の怒りは消えつつあり、そんな凛を見上げる遮那は苦笑しつつ司たちの後を追うのだった。




