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第一話 百鬼の主、白き修羅




――闇夜。

(しな)る下弦の月を経て朔に至った其の夜、帝御座す都より幾分離れた霊山の頂にて二匹の鬼が雌雄を決しようとしていた。


片や九十九の鬼神を従え、百鬼夜行の主、万魔の首魁として長きに渡り、此の秋穂の国の暗きを支配し続けてきた悪鬼。背負いたる業は夜天に輝く幾多の星々を集めても未だ足りぬ程である。


其の姿は禍々しく、此の世の悪しき情念を釜で煮詰めて形作ったのではないかという程に醜悪であった。爛爛と光る九つの血走った眼は狂気と憎悪、憤怒を宿し、一対の他に背より張り出た四つの猛々しき腕が獲物を肉塊にせんと伸縮し、自在に方向を変え、蜈蚣(むかで)の如く這いずる。その躰は蟲毒の様に歪な生物同士を切り貼りした異形であり、漆黒の肌は鮫の如く触れる物を傷つけた。



片や人の身にして鬼神へと至った修羅。悪鬼従える九十九の鬼神を打ち倒し、其の身に九十九の呪を刻む。討伐せし魔は其の比で無く、以って悪鬼に抗する唯一の者と為り得た。


年の頃は未だ成人を迎えぬ程にして、其の顔は幼さが残る。男女どちらともつかぬ容姿は神仏を彷彿させ、其の小さき身が舞い躍る姿は荒ぶる御霊を鎮める為の神楽舞を思わせる。

鮮やかな紫紺の着物を身に纏い、その上から要所に鎧を着込むその姿は鎧さえ無ければ座敷童にでも見えただろう。髪は短くおかっぱのように切り揃えられ、邪魔にならないよう額では無く頭の上で締めた鉢金で押さえつけていた。白磁の肌と相まって人形の様に映る。しかしその金色の双眸は鋭く、紛う事なき武士(もののふ)の其れであった。


驚くべきはその武具であろうか。握る柄を見ればその矮躯に似合わぬ大振りな打刀であると判る。されどその刀には刀身が無かった。

しかし刀が振るわれる度に悪鬼の躰には鎌鼬を受けたかの様に傷が刻まれる。黒き血の滴りにて不可視の刃が一瞬姿を現したかと思うのも束の間、刹那にてその不浄が祓われたかの如く消える。何とも不可思議な光景であった。



対称的な二つの影が交差し、血が弾ける。二匹の鬼は既に己が限界を超え、死闘を演じていた。

悪鬼は腕を切り飛ばされてはそれを再生し、修羅へと拳を放ち、修羅はそれを受けながら、悪鬼の懐へと斬り込む。

瞬きの間に進む攻防は、霊山の一部を吹き飛ばし、森を穿って、地を裂く。然れども止まる事は無く、まさに地獄を現世に顕界させる程の苛烈さであった。


凝縮された時の中で永遠にも感じられる魂の邂逅。肉体の域を超えた武の極致たる闘争。

ひとつひとつが世の理に反逆するかのような妙技であり、致命の一手。


最早、何もかも置き去りにしたその空間で、唐突に、されども確かに修羅の刃は悪鬼の喉元へと至った。噴き上がる毒毒しい黒き血。九つの眼がぐるりと白目を剥く。どうと巨躯が揺らぎ、遂に悪鬼は地へと膝を付けた。

だがそれも束の間、ぎょろりと再び修羅へと焦点を合わせた九つの眼球が修羅の瞳を射抜く。



――直後、修羅の半身が弾け飛んだ。



口から鮮血を吐き出し、仰向けに修羅は倒れゆく。のたうつ事すらも出来ず、手を動かす事さえも儘ならぬ。



去れども修羅は鉄錆びに濡れるその口を以て最後の力を振り絞り、言葉を紡ぐ。


「人の儚きは世の常にして、盛者必衰は万象の理なり。失せたる強者は虚空に立ちて、彼岸送りの燈と為るべし。【解】」


其の詞に応えたるは彼岸花の如き鮮烈な色彩を持つ唐笠であった。其れは修羅が打刀と共に用い、悪鬼の凶襲を幾度と弾いた法具である。

修羅が悪鬼の逆撃より倒れ堕ちる其の折、修羅の手より零れ、吹き飛んだ其れは今当に其の華を開き、悪鬼の真上に陣取っていた。


文言により解き放たれるは余多の人形(ひとがた)。黒き夜空に反して散りたる清白の桜花。修羅と共に戦いて失せたる輩の魂の欠片封じられし依り代である。


春嵐となり駆け抜ける花弁はやわらかな光纏う奔流となった。其れは闇よりも昏い悪鬼の肌を灼き、不浄の身を溶かす。

悪鬼の巨大な体躯が眩い光の中に飲まれていく。


其の全てが消え去り、幻想の燦下にあった森がやがて元の静けさを取り戻して行く。

其の中に伸びる影が一つ。


悪鬼だ。

誘いの燈火の中に在って尚、漆黒は其処に立っていた。

不浄を滅す幾多の魂の燐光ですら其の身を崩す事は叶わなかったのだ。



己は負けたのか。躰から血と共に生が流れ落ちるのを感じながら修羅は思う。

不思議なことに後悔も恐れも修羅にはなかった。

皆と逝ける。嘗て失いたる師と、友と。己が使命に殉じて。

其れだけで修羅は満ち足りた心持ちとなっていた。




けれどそんな修羅の耳に届いたのは澄んだ旋律の『歌』であった。

幾度も耳にしたその音律。哀れなる穢れの響き。



――『罪歌(ざいか)』。



鬼神が死を迎える時に漏らす終の調べ。

その歌は業負いし者ほど美しい。それもこの世に他に比するものが無いほどに。




されどそれは『呪』であった。

彼のものが負いたる悲愴を、憤怒を、憎悪を、羨望を、嫉妬を、狂気を、全ての不浄なるものを魂に刻み込む、それはそういう『呪』であった。



澱のように昏く淀み、夜の闇より深い濁りが魂へと堕ちていく。

そしてそれは穢れとなった。




「相討ちか……」

男の声が響いたのはそんな時だ。

何処に潜んで居たのであろう。壮年の男は手に深紅の刀身の打刀を持ち、修羅へと近づく。

最早、修羅は現世より零れる寸前である。身動ぎのしようもない。ただ霞みゆく視界に男を留めるだけである。



「これは壊させて頂く」

男の声と共にキーンと硝子細工の弾ける様な音が辺りに広がった。

修羅の刀を打ち砕いた音だった。修羅は己の魂に罅が入るのを感じる。



「ああ、それと……」

そう言うと男は修羅の眼前へと切っ先を向ける。修羅は既に肉体の感覚の多くを失っていた。

ただ瞳に映るは深紅の刃のみ。



「これはただの私怨なれば――」

男はそういうとずぷりと切っ先を突き入れる。修羅の金色の瞳が潰れ、鮮烈な赤が視界を覆い、やがて闇のように昏くなった後に見える世界が半分となった。

痛みはない。ただ失われただけだ。

そして男が刃を引き抜き、修羅の眼前へと再び向けたところで――、





――修羅の魂は底の見えぬ暗闇へと墜ちていった。





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