欠落したもの
牢屋に打ち込まれて数時間後、俺は両手に枷を追加され、鉄球を左足に追加された。
何故? まあ、いっか。いいんだ……。
今は机の前に座らされ、バッグが側に置いてある。中身は変わってない。目の前には、牢屋の前に来た奴の内の一人が、何か紙を持っている。序に分厚い本も。
「Zadhiza au ighq wiqoul va veldexa?」
「feuhan」
よくわからないが、尋問か? 特に喋ることはないが。
「Jad! Fyuvis griiyu nigu weslem」
え、何だって? 誰を連れて来いだって?
一部理解出来ない単語があったが、誰かが連れてこられるらしい。
そいつは直ぐに連れて来られた。
俺が入って来た扉から、恐らく年下の女の子が入って来た。
淡く薄い青緑色をしたミディアムの髪、とても透いた碧の目、知的な雰囲気を感じさせるモノクル。無表情で、釣り上がった目はクールな印象がある。
その全てが、元は高貴で探究心のある人だろうと、理屈にもならない感が言った。
そして、その全てを台無しにさせる質素な服、怯えた眼差し、極めつけに奴隷の首輪。見事なまでにミスマッチ。
その少女は、俺とあの男に挟まれた机の隣に立った。
すれ違いざまに、目が合った。一層深く怯えた目で。
「俺が怖いか? なら、目を背ければいい。そうすれば、俺の目には映れど、心には映らない」
通じる筈もないのに、何故日本語を使ったんだと思い、俺は彼女を視界の隅に追いやった。
その時、彼女はキョトンとした顔に見えた気がした
「複雑な、聞いたことがない言語……」
「日本語だからね、解釈一つ違うだけで、大きく意味が違う事があって……はぁあ!? 今、日本語喋らなかった?!」
驚いて机に体重を掛け、思いっきり立ち上がると、机が壊れた。突然支えがなくなったことにより、俺は倒れた。
「ここの机、脆くない……?」
「違う、あなたが重いだけ……」
そうだった、忘れていた。今の俺は、枷によって大幅に体重を増加させられているんだった。
取り敢えず立ち上がって、もう一度彼女を見る。
「何で日本語が喋れる。何故理解できる」
「言葉を理解する魔法がある。例えそれが、獣でも魔獣や魔物でも、言葉を話せない者とも心を通じ合わせれる。だから、理解できる。貴方にもかけてあげる」
彼女は俺の前に立ち、手を首に伸ばす。
「声の届かぬ者、その心を我等に響かせ、意志を示せ。『心伝』」
その言葉が、彼女の手に淡い翠色の光を齎した。
「え~? そんな台詞間違えないと思うんだけどぉ〜。間違ってんすよ!!「まそっぷ!」なーんすか! まそっぷって!? あ~もう、やってられないんだぜぇえ!!?」
「「……」」
ふぅ〜、久しぶりにふざけた。今まで、ボケる相手が玉雪しか居なかったから虚しいだけだった。
しかし、無反応だったな。もしかして、通じてないの?
「あの……もしもし? 通じてる?」
「大丈夫、通じてるわ。言っている意味がよくわからないけど」
「こいつは一体何を言っている……」
「本当だ、通じた。ついでによく分かる」
取り敢えず、俺のボケは理解されんかったか。まぁ、いいけど。
「フッフッフ……小僧。ちょっと俺の言う事を聞いてもらおうか」
「で、何か?」
「跪け!」
「はい、跪きましたよ」
抵抗する気はないので、従う事にした。
「貴方抵抗する気はないの?!」
「今はそれで不利益を被るのはゴメンだ」
勿論、ただ抵抗しないだけでは無い。命令以外にも、他の行動ができないかを探ったが、やはり穴があった。
跪く間に、指を勝手に動かしてみたが、動いたんだ。
ひょっとしたら、解釈を曲解したら……面白い事になりそうだ。
だが、今はその時では無い。
「なぁ、一つ要求があるんだが……聞いてくれないかなぁ? 難しい事じゃないんだ」
「あぁ、いいぜぇ?」
ニヤニヤと気持ちが悪い顔しやがって。まあ良いさ、機嫌がいいんだろう。
「普通の一般人が着る服を、俺にくれないか? 流石にこの服、ボロボロでさ」
制服は所々、穴が空いたり、取れない血糊や泥で汚れていた。今まで生き抜いて来た証でもある。
しかし、流石にこのままでは破れて大変な事になる。それは大いに困る。
だから服を要求するのだ。
しかし、盗賊の男は調子に乗りやがった。
「ぁあ゛? 服を下さい御主人様だろが?! 奴隷の、しかも野獣の分際で調子に乗るんじゃねぇよ!」
「フガッ……!」
顔を蹴られた。しかし、痛くは無い。今まで死ぬかもしれない生活を送って、激痛は味わってきた。
しかし、俺はその誇りを【奴隷】という言葉で傷つけられ、怒りで殺気立つ。
その殺気が、そいつの目を確かに貫いた。
「ひぃっ……!」
だが、俺は内側に飼っている野獣を宥めた。
そして、笑顔を取り繕い、向き直った。
「僕に服を下さい御主人様」
ニッコリと、明るい、さっきまで何事も無かったように言った。
今はまだ、牙を納める時。剥くのは、もっと隠された爪を研ぎ澄ました時だ。
だから、牙は『俺』で、それを隠すのは『僕』だ。
今日から、俺は僕になる。
「よ、よーし……良いだろう、要求を呑んでやる。独房で待ってろ。おい、お前も奴の独房と一緒に入ってもらおう。ただし、明日だ」
「……はい」
少女は、不安そうな表情でこっちを見た。
「大丈夫、僕は君みたいな貧相な体に、興味はありませんから♪ 痛いッ! 事実を言っただけなのに! 待って、椅子はめて!?」
足を思いっきり踏まれました。更に、椅子を振りかぶった状態だった。
そして、椅子を投げられ、冷静に見切って回避した。
回避と受け流しはお手の物。出来なきゃ生きてこれなかったからね。
諦めたのか、お怒りの様子で入って来た扉に消えた。
僕はバッグを拾って、独房へと戻るべく、その地下へ通ずる扉を潜った。
地下では、見張りをしていた男と、さっきの少女が話し合っていた。
彼女は僕に気づくと、無表情で僕が居た独房に入っていった。
僕は何も思わず、独房に入ろうとすると、見張りがそっと耳打ち。
「俺の妹を傷付けるなら、死んでも殺す……!」
「殺す……?」
僕は殺気を彼に向け、動けない様に縫い付ける。
「やれるものなら殺ってみてよ……! 言っとくけど、僕は殺すなら容赦は全くしない。弱肉強食を生き抜いた僕は躊躇いなく貰う……! そうだねぇ、手始めに腕の一本や二本貰おうかなあ……?! 覚悟はある?」
その言葉は、僕にとっては過剰反応のトリガー。そんなのを、覚悟の無い奴が言うのはたまらなく嫌だ。
僕は彼の右腕を掴んだ。
それに彼は怯えたが、直ぐに睨み返した。
「ああ、覚悟はあるさ! 妹を人質に取られ、やりたくない盗賊をやらされて殺される覚悟がある! 妹が助かるなら死んだっていい!」
「兄さん止めて!!」
彼女は僕の腕を剥がそうと必死になる。目には涙を浮かべ、僕を睨んでいる。
「……ゴメン」
僕は彼の腕を開放して、謝った。その一言が、僕に耳を傾けるきっかけになる。
「あの娘が僕と一緒の牢屋に入れって言われた時、凄く不安そうな顔をしてたんだ……。僕はそれを払拭させる為に、敢えて怒らせるようにした。怒りって言うのはね、不思議なんだ。不安や絶望を一時的に忘れさせ、時には前を向かせられるんだ。元は健康な体で、この生活がそうさせたのを分かっていて言った。君がただの新人の盗賊だろうと思って、そんな理由で覚悟を持ってやってるなんて思ってなかった。何も知らなくて、ごめんなさい……。それなのに、もっと酷いことしちゃったね」
僕は独房に入り、三角座りになった。後悔するよ……。
「ごめんなさい……私の為に言ってくれたのね」
「いいよ。元は嫌われても、どうでも良いと思っていたからね。そっちのお兄さんの方も、すまなかったね」
「いや、気にしないでくれ。妹の事を、思ってくれた事に感謝する」
そして沈黙、静寂……暗い雰囲気になる。
それを振り払う様に少女はこう言う。
「そ、そうだ! 私の事貧相な身体とか言って、興味無いって言ったけど、元の体には━━━「ゴメン、本当に興味が無い」━━━何でぇ!?」
「まさか、ゲイじゃねぇだろうな……?」
「全く違う! そもそも、興味が有る無い以前に、僕に問題がある!」
酷い誤解をされ、僕はため息を一つ。
誤解を解くため、本当の理由を話す。
「僕はね、性欲と言うものが、欠落しちゃったんだ……」